永遠の0

2014–02–01 (Sat) 18:11
昨年末(‘13.12/21)公開時より観たいと思ってはいたものの、なかなか観に行けず…
所々、諸氏によるレヴューなどを拝読し…ようやく重い腰を上げ、遅まきながら話題の映画…『永遠の0』を鑑賞してきた。

永遠の0_title

“戦争映画”自体が、そもそもドキュメンタリー・ドラマではなく…
たとえ史実を基にしているといっても、多かれ少なかれのフィクションと、それを効果的に見せるための脚色が盛り込まれているのが常である。
ましてや“特攻”モノの映画では、実際の特攻要員・特攻隊員たちの証言や文章など…脚本を構成するに当たっての“感動的”素材にも事欠かず…
これまでも、いわゆる“特攻”モノ映画に限っても…
古くは『雲ながるる果てに』(1953年)の鶴田浩二…
あゝ同期の桜』(1967年)などでは、その鶴田浩二をはじめ…高倉健、松方弘樹、千葉真一、西村晃、天知茂という超豪華な出演陣に加え…残念ながら、『永遠の0』が映画としての遺作となってしまった夏八木勲も出演している。
木村拓也が長髪のまま出演して話題ともなった『君を忘れない』(1995年)などという変化球もあった。
因みに、当時の海軍では准士官以上では原則として髪型は自由とされ“長髪”も許されていたとはいえ…それはあくまでも“丸刈り”に比してある程度髪を伸ばすというものであり、さすがにポニーテールの隊員はいなかったものとは思うが…(苦笑)
“戦闘機”モノではないが…
反町隆史、中村獅童、松山ケンイチ、仲代達矢などが出演し、戦艦大和による水上特攻を描いた『男たちの大和/YAMATO』(2005年)。※前記事参照
市川海老蔵主演で、人間魚雷“回天”による特攻作戦を描いた『出口のない海』(2006年)。
陸軍の特別攻撃隊の基地があった鹿児島県の知覧で“富屋食堂”を経営し、そこに集う多くの特攻隊員たちに“特攻の母”と慕われた鳥濱トメさんとの逸話などを基に映画化された『俺は、君のためにこそ死ににいく』(2007年)…
製作総指揮と脚本を石原慎太郎が手掛けたことでも話題?となった。
…などなど、その時々の旬の俳優たちを起用し、多くの戦争…反戦映画が製作されてきた。
暫く前の作品はまだしも…ここ最近の戦争映画・ドラマでは…どうも出演者に時代的リアリティが感じられず…
『永遠の0』に関しても、ストーリーテラー的役回りの三浦春馬(佐伯健太郎役)、その(実)祖父である主人公の宮部久蔵役の岡田准一などの出演陣への短慮なイメージから…少々懐疑的な思い込みをしていたのだが…
144分という長編にもかかわらず…中弛みすることなく…それどころか尺が進むにつれ一層、物語に引き込まれていった。
現代劇(人間ドラマ)&証言シーン、そして回想・戦闘シーンなどが上手く盛り込まれ…
それも、“特攻”モノにありがちな、単なるお涙頂戴的進行ではなく…
久蔵の思いの丈を推し量るべく…観る者各人が己の内に投影し…様々な思いを巡らせられる作品となっている。
岡田准一をはじめ、三浦春馬…
松乃役の井上真央、佐伯慶子役の吹石一恵、他…
当時(戦時中)のシーンにおける若手俳優陣の演技も然る事ながら…
証言シーンで脇を固める、長谷川役の平幹二郎、景浦役の田中泯、武田役の山本學、井崎役の橋爪功…
そして何といっても、今は亡き名優…祖父・大石賢一郎役の夏八木勳といった名優陣の存在は大きいものと思う。
やはり注目せざるを得ない戦闘シーンは…
ここ最近の…いわゆる“戦争映画”でもCGVFXなどといった技法が駆使されリアルな映像が目の当たりに出来るようになっているが…
本作もまた、まさにその“視覚効果”は見応え充分である。

永遠の0_零戦_VFX

原作は、百田尚樹による…やはり575頁と、かなり読み応えのある長編小説『永遠の0』…
小説を読んでから観るか…映画を観てから読むかは個々の判断すべきことではあろうが…
私的には、こうした場合は後者を選択している。
それはさておき、まだご覧になられていない方は、是非…公開中であれば劇場の大画面でご覧になり、それぞれに何かを感じて頂ければと思う次第である。


“宮部久蔵”のモデルに関しては、原作者の百田尚樹氏の思い描いた架空の人物であり、様々な人物の人間像と思いを集約したカタチとなっている。
そのモデルの一人ともされているのが…
1945年4月11日14時43分、低空飛行により戦艦ミズーリの右舷甲板に体当たりを敢行した爆装零戦の搭乗員である。
下がまさにその瞬間を撮らえた写真である。

Kamikaze attack on the USS Missouri

突入させた機体の右翼をミズーリの第3副砲塔上部にぶつけ、燃料に引火し炎上。
ただし搭載爆弾は不発で、艦は表面に損傷を受けた程度で速やかに消火作業が行われ鎮火している。
その後、搭乗員の遺体(ほぼ上半身のみ)が40mm機銃座から回収された。
ミズーリ乗組員たちからすれば、狂気の沙汰とも思える自艦に対し“自爆”を強行した搭乗員の肉片などすぐに処分してしまいたいところだったのは言うまでもないが…
ミズーリ艦長ウイリアム・キャラハン海軍大佐は、多くの乗組員の不満の声があがるなか、この搭乗員を…「この日本のパイロットは我々と同じ軍人である。生きている時は敵であっても今は違う。激しい対空砲火を掻い潜ってここまで接近してきたパイロットの勇気と技量は、同じ武人として称賛に値する。よってこのパイロットに敬意を表し、水葬に付したい」とし、翌朝9時、艦上において米海軍のしきたりに則り、星条旗に包まれた遺体は木製の担架に乗せられ、5発礼砲とともに海に葬られた。

特攻隊員の遺体

聯合艦隊告示によると昭和20年4月11日に、海軍では鹿児島県にあった以下の二つの航空基地から四つの部隊が特攻に出撃している。

【第一国分基地】
第210隊:3機
第三御盾/第252隊:2機
第三御盾/第601隊:2機

【鹿屋基地】
第五建武隊:16機

さらに検証をすすめると、ミズーリの砲台に突き刺さっていた“九九式二号20mm機銃”を装備していたのは第五建武隊の16機の零戦五二型だけだったようである。
また各搭乗機からのモールス信号による打電報告、米軍側のアクション・リポート、ミズーリの航海日誌などから推測される事実が浮かび上がった。
それによると、第五建武隊のうち第4区隊(区隊最東側)をペアを組み索敵していた3番機搭乗の石井兼吉二等飛行兵曹と4番機搭乗の石野節雄二等飛行兵曹は、レーダーに捉えられぬよう低空飛行を選択。(※二等飛行兵曹=“二飛曹”と省略呼称)
しかし、機動部隊を見付けられなかったかめ右に旋回し北上。
石野二飛曹からの打電によると…
14時39分、突然視界に…喜界島南方に展開していた敵艦(第58機動部隊第4隊)を発見。
米軍側も零戦2機を確認し、戦闘機をスクランブル発進。
石野二飛曹は14時41分に「テキセントウキミユ」と打電し…その2分後の14時43分、敵機の攻撃および対空砲火を掻い潜り…上記したように、空母イントレピッドを護衛していたミズーリに体当りしたという。
これらの結果を踏まえ、体当たりを敢行したのは、4番機搭乗の石野二飛曹の機の可能性が高いという報告をしている。
勿論、体当たりを敢行したのが石井二飛曹の可能性もある。
ミズーリの航海日誌によれば、体当たりから3分後の14時46分に2機目の突入が試みられたとの報告がある。
ただし、この機は対空砲火により撃墜されている。
石井二飛曹からの打電報告は当初から何もなかったが、もしかしたら無線機が故障していたのかもしれない。
もしも石井二飛曹が先に突っ込んだのならば…その3分間の間に、石野二飛曹からの「ワレモトツニュウス」などの打電が打たれた可能性もある。
結局、突入報告はどちらからもなかったが…このような状況下では既にそれどころではなかったのかもしれない。
いずれにしても、ミズーリに体当りしたのは石野、石井の両二飛曹である可能性が高いようである。
石野節雄二等飛行兵曹_石井兼吉二等飛行兵曹

因みに、同部隊の第3区隊を索敵していた4機のなかに…
14時10分に「トツニュウス」と打電をした2機のうち(もう一人は第1区隊の西本政弘一飛曹)の1機に搭乗していた宮崎久夫一飛曹がいる。
宮部久蔵…名前的には…一瞬、この人物が名前の由来?などとも思ってしまったが…??


龍を屠る者たち

劇中でも訓練中に墜落してしまうというシーンがあるのだが…
私の父も、終戦まで…海軍ではないが、三重県鈴鹿市高塚町におかれていた陸軍第一航空軍教育隊で飛行訓練を受けていたとのこと。
やはり、訓練飛行中の事故で亡くなられた戦友も結構いたようで…
未熟故の操縦ミスということもあるかもしれないが、当時はなかなか完璧な整備状態での飛行も難しかったのだろうから、起こるべくして起こってしまったケースも多々あったことだろう。

父から聞いた話のなかで印象深かったのは…
米軍の空襲などが、例えば名古屋などの近隣都市にあると、迎撃に向かうというのではなく…
戦闘機を温存するために…空襲のない方向に退避飛行をしていたようである。
当時の単発戦闘機のほとんどが もともと高高度(1万m以上)飛行向けのエンジンではなく…
また大戦後期には材料や工員の質が低下したうえに、高オクタン価の航空燃料の入手が困難になっていたため、排気タービン(ツインターボ)を装備している高高度飛行のB-29を迎撃する事は困難であった。

それでも、来襲機の10~15%を撃墜したという記録があるようで…
樫出 勇陸軍大尉が所属する、二式複座戦闘機を配備する陸軍飛行第4戦隊の“屠龍戦隊”は来襲した80機のうち23機を撃墜…損害は3機未帰還、5機が被弾という、欧州戦線でも例を見ない史上空前の大戦果をあげるなど勇猛果敢に挑んでいった例もあったとのこと。
当初、二式複座戦闘機には「屠龍」という愛称は冠されていなかったそうだが、樫出をはじめ、木村准尉、西尾准尉、藤本軍曹などといった他の搭乗員たちの活躍も目覚ましく、彼ら北九州を防衛する防空隊の戦果・活躍が報じられるや、樫出が所属していた小月(山口県下関市)の飛行第4戦隊と芦屋の飛行第13戦隊を“屠龍部隊”と呼ぶようになり、この名が定着したそうである。
“屠龍戦隊”の名称の由来は…
荘子の『列禦寇』に“屠龍(とりょう)の技”(龍を屠る)という言葉があるそうで…
意味は、「龍を殺すわざを身につけるのに多くの費用と時間をかけたが… 結局、龍がおらず、その技が役に立たなかった」という故事から…
“高価な犠牲を払って学んでも、実際には役に立つことのない技芸。 身につけても役立たない技術。”…と、なんとなくネガティブな意味合いが強いようだが…
無駄、無理と分かっていても邁進するといったポヂティブな捉え方をしていたのかもしれない。

二式複座戦闘機“屠龍”は制空戦闘機としては運動性がそれ程でもなかったことから相当分の悪さはあったが、彼らには被弾し、もはやこれまでとなった時には必中必殺…体当たりを敢行し、必ず敵機を道づれとする信念があったという。
実際、後部座席を排除し軽量化を図って体当たり専門の対空特攻隊“震天部隊”も編成されたということである。

まぁ、当時は“屠龍”に限ったことではなかったが、その分の悪さを…
例えば、B-29による夜間爆撃への迎撃に際して…
探照灯の明かりだけを頼りに追撃、攻撃するなど…
搭乗員たちの、まさに“屠龍の技”で勇戦敢闘したといえるのかもしれない。
二式複座戦闘機 “屠龍” (川崎 キ45改)_01

二式複座戦闘機 “屠龍” (川崎 キ45改)_02
二式複座戦闘機 屠龍」(川崎 キ45改)
1942年(昭和17年)2月、制式採用。連合国側のコードネームは“Nick”。


最後の特攻隊

昭和20年8月15日正午、玉音放送が流れ…日本の戦争は終を向かえたことが伝えられた。
だが、この日の夕刻、大分海軍航空隊の基地を飛び立った11機の特攻機があった。
11機(23名が分乗)のうち3機が不時着、8機が突入…未帰還となっている。
詳細は、突入8機のうち2機が沖縄伊平屋島の米軍基地施設直前でルートを変え、畑に墜落炎上…
あとの6機もまた、米艦にまさに突入する直前にやはり進路を変え、海上に機体を激突させた。
この“最後の特攻?”を隊長として率いたのが、第七〇一航空隊・第103艦上爆撃分隊の隊長であった中津留達雄海軍大尉である。
そして中津留の隊長機に同乗したのが、第五航空艦隊総司令官の宇垣 纏海軍中将である。

中津留達雄_宇垣纏

15日朝、いつものように特攻の出撃命令が下され、中津留は自らも含め、予定された数機の特攻隊の編成を黒板に書いていたが、玉音放送により事態は一変する。
だが午後1時、中津留は自分を隊長とする5機編成による特攻隊の搭乗割をあらためて黒板に書いた後、全艦爆隊員たちに兵舎前に集合するよう命じた。 
(おそらく、宇垣により沖縄突入の決意・打診を聞いたことによるものと思われる。) 
午後3時、その隊員たちの前に、第五航空艦隊司令長官の宇垣海軍中将が訓示を行った。
そのなかで宇垣は…
「本日、我が国はポツダム宣言を受諾した。小官は幾多の特攻隊員を犠牲にしてきて誠に遺憾に堪えない。これから沖縄に最後の殴り込みを掛けるから、諸君、着いて行ってくれないか…」という懇願にも似た訓示だったという。
その後、宇垣を囲んで別盃が交わされたが、我も行くと参加を希望する者が増え…当初、艦上爆撃機「彗星」5機をもっての突入予定が、最終的には11機編成となったという。
そして午後5時、沖縄に向け出撃した。

因みに、出発の直前…中津留は、自機のエンジンに異常音を感じ…
自分の乗る機には、決死の覚悟を決めた宇垣を同乗させるため、万が一にも不時着などという失敗は許されない。
そのため、劇中の宮部のように…他の者に愛機を譲り、別の機体に乗り換えたというのである。
案の定、中津留の乗るはずだった機はエンジントラブルを起こし、途中で不時着したとのことである。

宇垣海軍中将と最後の特攻機「彗星」43型
特攻出撃直前の宇垣海軍中将と搭乗した艦上爆撃機「彗星」43型

宇垣は、山本五十六連合艦隊司令長官の参謀長として…1943年(昭和18年)4月18日に、山本長官と共に一式陸上攻撃機2機に分乗して前線視察中、待ち伏せしていた米軍機に襲撃されている。
山本搭乗機、宇垣搭乗機ともに撃墜されたが宇垣は九死に一生を得て、山本の遺骨とともに戦艦「武蔵」で内地に帰還した。
その後、形見として山本の短刀を譲り受け…最後の搭乗の折には、その短刀を携え乗機している。
沖縄への機上、宇垣は以下のような“決別の辞”を電文として打っている…
「過去半歳にわたる麾下各部隊の奮戦にかかわらず、驕敵を撃砕し神州護持の大任を果すこと能わざりしは本職不敏の致すところなり。本職は皇国無窮と天航空部隊特攻精神の昂揚を確信し、部隊隊員が桜花と散りし沖縄に進攻、皇国武人の本領を発揮し驕敵米艦に突入撃沈す。指揮下各部隊は本職の意を体し、来るべき凡ゆる苦難を克服し、精強なる国軍を再建し、皇国を万世無窮ならしめよ。天皇陛下万歳。」

伊平屋島周辺の洋上には煌々と明りを灯した無数の米艦船があるものの、日本の無条件降伏による戦勝の祝いが其処此処で催され、対空砲火を受けることもなく、祝宴に酔いしれる様子がくっきりと見て取れる上空にまで達することが出来たということである。
思いもよらぬ敵機来襲に慌てふためく米兵たちの鼻を掠め、上記の如く散ってゆきました。

宇垣を含む23名のうち、8機17名が死亡。
3機がエンジ不調で着水…その際、6名中1名死亡…5名が救助されている。
翌16日早朝…伊平屋島の岩礁に激突している機体をを米軍側が調査…3名の遺体を収容。
そのなかに宇垣と思われる…短刀を所持した遺体があったという。
(おそらく3名搭乗可能な艦上爆撃機「彗星」43型(後部複座型)の隊長機で、宇垣、中津留と偵察員の遠藤秋章飛曹長)
この時点ではまだ停戦命令が発せられていなかったということもあり、突入した搭乗員たちは戦死と認められ特進(但し一階級)しているが、宇垣は進級はされていない。

艦上爆撃機「彗星」43型_D4Y4
艦上爆撃機「彗星」43型(D4Y4)


中津留は、1922年(大正11年)に大分県津久見町(現:津久見市)に生まれでいる。
セメント会社勤務の父と、教員の母との間に生まれた一人息子。
少年時代から文武ともに成績優秀…1938年(昭和13年)、県立臼杵中学から一人だけ難関の海軍兵学校に合格している。
海軍兵学校のなかでも、長身で端整な顔立ちから中津留には女学生のファンも多かったようである。
士官となった後も、部下に優しく、体格もよく、おまけにハンサム…まさに“美丈夫”という言葉がぴったりだったと評されている。
その後、宇佐海軍航空隊(大分県)において…まさに宮部の如く、教官として後進パイロットの養成に努めている。
ここでもまた…優しく、親身に部下を気遣い、艦爆の急降下や、編隊、滑走の方法を微に細にわたり指導し、大声を出したり、暴力を振るったりすることのない教官だったそうである。

この宇佐海軍航空隊の時代に、基地に慰問袋が送られ、たまたま中津留が受け取った慰問袋の送り主は、基地から家も近い女性であったらしい。
そこで、義理堅い中津留はお礼に訪ねたそうである。
その女性が何とも麗しい女性で…中津留は一目惚れし、求婚。
それが後に、妻となる保子さんとの馴れ初めだったそうである。
結婚後、一旦…美保海軍航空隊(鳥取県)に転属となるも…故郷の大分では妻・保子が長女・鈴子を無事出産している。
中津留の上官だった江間 保陸軍少佐による粋な図らいで…昭和20年8月初旬に故郷大分の大分海軍航空隊に転属となっている。
そして、8月15日の終戦を向かえる。
2週間程の短い期間ではあったものの、そん間に親子三人のささやかな時間も持てたわけではあるが…現代(いま)をのうのうと生きる者にとっては、その心中を推し量ることは難しいことである。(享年23歳)
戦後、江間は自分のこの短慮な図らいが、中津留を死に至らしめる結果になってしまったのではないかと心を痛め続けたということである。


余談ではあるが…
若干ストーリーは違うものの、直掩隊の隊員であった直居欽哉が書き下ろした脚本を基に…
終戦翌日の16日未明、爆音を蹴って戦友のもとへと飛び立った、直掩隊隊長の宗方大尉の生き様、宗方を取り巻く人間模様を描いた『最後の特攻隊』(1970年)という映画がある。
俳優陣は、その宗方に鶴田浩二、特別攻撃隊指揮官に高倉健…その他、若山富三郎、梅宮辰夫、菅原文太、千葉真一、渡瀬恒彦、笠知衆といった東映オールスター共演の…これまた豪華な顔ぶれの映画なのだそうだ。
当方も未見なので…DVD化されているようなので…是非、見てみたいものである!



●閑話休題

最後に、また映画に関する独り言的話題を…
それは、映画にはもはやつきものともなっている主題歌に関して…
たいていの映画はラスト間近になると、その主題歌が流れはじめ…そしてエンディングロールへと続いていくのが常のようになってきているが…
本編の余韻・感動をさらに掻き立てるべく…確かに、その効果は否めない。
そのため洋画・邦画を問わず、映画のイメージを左右しかねないイメージソング≒主題歌には話題となるアーティストの楽曲がチョイスされることが多い。
この作品ではサザンオールスターズの「」が主題歌となり、これも話題となったようである。
ただ、これは…あくまでも私見であるが…
楽曲そのものはメロディ、歌詞ともなかなかのバラードではあるのだが…
本編のラストのあとの楽曲にしては少々軽い印象を受けてしまった。
因みに、上記した各作品では…
『君を忘れない』 岩田雅之「Nobody loves me like my baby
『出口のない海』 竹内まりや「返信
『俺は、君のためにこそ死ににいく』 B'z 「永遠の翼
『男たちの大和/YAMATO』 長渕 剛 「CLOSE YOUR EYES
…など、『君を忘れない』は別にして、錚々たるアーティストが楽曲を提供している。
因みに、役所広司が山本五十六役を演じた『聯合艦隊­司令長官 山本五十六』 の主題歌として使われたのは小椋佳の「」であったが…
楽曲自体はどれもそれなりにはよい曲なので、お聴きになられたことのない方は是非、聴いてみて頂きたいところではあるのだが…
ただ、これも、あくまでも私見ではあるのだが…
こうした散りゆく者を見送る場面に流れる曲としては、どれもイマイチ“ぴん”とこない。
『連合艦隊』(1981年)で挿入された谷村新司の「群青」…
時代設定は少々違うものの…豪華メンバー総出演による戦争スペクタクル巨編とでも言うべき作品の『二百三高地』(1980年)で挿入されたさだまさしの「防人の詩」などが、私のなかでのイメージとしてはドンピシャ(死語?)…更なる感涙間違いなしだったことだろう…(苦笑)
…ということで、「群青」「防人の詩」をBGMにしたイメージビデオがありますで、ご覧下さい!






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