Generalfeldmarschallstab der Heer
陸軍元帥杖の場合は、アルミ製パイプを赤色のベルベット生地(※)で覆い、そこに4列…計20個の国家鷲章と20個のマンチュアクロス型の鉄十字章が交互に配する。
両端の装飾部…上縁には「総統より〇〇〇元帥へ」(名のみ、称号のある者はvon+名)、下縁には「大ドイツ人民の自由の闘争のために」の文言と元帥号拝受の年月日が刻印された。
この刻印された文言は三軍共通。
<刻印文言例>
“
Der Führer dem Generalfeldmarschall (Rommel/von Bock)”
“
(22 Juni 1942/19 Juli 1940) Zum Freiheitskampf Grossdeutschen volkes”
全長は約49.5cm、パイプ径は約3.4cm、また両端の装飾部径は約5.6cmで、その重量は約950gということであるが…各々一本づつ手作りであることと、各元帥の注文等により個体差が見受けられる。

正式な元帥杖は、その地位を象徴・顕示するに相応しく、H.J.Wilms社(Berlin)の職人により一本づつ手仕事で作製された豪華なものであった。

元帥杖は、外装を(黒)革で覆い、内装をクリームホワイトの絹布で張った箱に収められた状態でヒトラーから直接授与された。
(カール・デーニッツ大提督の元帥杖とその装飾箱)
※陸軍元帥杖は赤(Hochrot)、空軍元帥杖は藍色(Blau)、大提督(=海軍元帥)杖は紺色(Marineblau)のベルベット生地で覆われている。


上下最端部には、陸空軍は…上端部に各軍型鷲章と、下端部には陸軍がマンチュアクロス型鉄十字章、空軍はバルカンクロス型十字章があしらわれている。
(フェードア・フォン・ボック陸軍元帥とヘルマン・ゲーリング空軍元帥の元帥杖)
※海軍は後述。

1936年4月20日付で国防軍(Wehrmacht)として“初の元帥”に任官した
ヴェルナー・フォン・ブロンベルク陸軍元帥(57歳)の元帥杖はプロイセン時代から陸軍の伝統色であるプルシアンブルー(Preußenblau)のベルベット生地で覆われていた。
※以下同様に、( )内は元帥昇級時の年齢


(左)ブロンベルクと(右)フェードア・フォン・ボック陸軍元帥の(正式)元帥杖の装飾部品である(閉翼)鷲章を比較すると、ブロンベルクの鷲章が“鈎十字直掴型”に対し、ボック他、1940年以降組の鷲章は“葉冠鈎十字掴型”となっている。
これは、やはり1940年以前に大提督(1939年4月1日付)となった
エーリヒ・レーダー(52歳)の
鷲章も同様に“鈎十字直掴型”だが、その首は右向きのみならず、左向きとの交互(縦)配列となっている。
但し、1938年2月4日付で空軍元帥となった
ヘルマン・ゲーリング(45歳)の
鷲章は、この時点で既に“葉冠鈎十字掴型”としている。
1938年、“ブロンベルク罷免事件”(1月)を機に、国防省国防軍局を2月4日付で国防軍最高司令部(OKW)に昇格させ、その直接の最高指揮権をヒトラーが掌握することとなった。
そして、1940年の西方戦役での勝利により、未だヒトラーに懐疑的な意識の燻りを持っていた軍(陸海軍)上層部とのパワーバランスはヒトラー優位が決定的となったものと思われる。
鷲章は、鈎十字を直に掴むのか、葉冠で装飾されるのかの単なるデザインの変更だけでなく、 そうした政治的な動きの目に見える形であるとも思われる。
そう考えれば、ゲーリングの空軍だけが“葉冠鈎十字掴型”なのも納得がいく。
あくまでも持論なので、あしからず。

1940年7月19日付で以下の9名が陸軍元帥に昇級。
(左端から)
ヴィルヘルム・カイテル(57歳)
ゲルト・フォン・ルントシュテット(64歳)
フェードア・フォン・ボック(59歳)
ヘルマン・ゲーリング(47歳)
アドルフ・ヒトラー(51歳)
ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ(58歳)
ヴィルヘルム・フォン・レープ(63歳)
ヴィルヘルム・リスト(60歳)
ギュンター・フォン・クルーゲ(57歳)
エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン(58歳)
ヴァルター・フォン・ライヒェナウ(55歳)
終戦までに、ロンメルを筆頭に以下の9名も陸軍元帥に昇級。
エルヴィン・ロンメル(1942年6月22日付:50歳)
ゲオルク・フォン・キュッヒラー(1942年6月30日付:61歳)
エーリヒ・フォン・マンシュタイン(1942年7月1日付:54歳)
フリードリヒ・パウルス(1943年1月30日付:52歳)
エーヴァルト・フォン・クライスト(1943年2月1日付:61歳)
エルンスト・ブッシュ(1943年2月1日付:57歳)
マクシミリアン・フォン・ヴァイヒス(1943年2月1日付:61歳)
ヴァルター・モーデル(1944年3月30日付:53歳)
フェルディナント・シェルナー(1945年4月5日付:52歳)
※( )内は元帥昇級日時および年齢


1942年10月1日、ベルクホーフ(総統大本営兼別荘)において、陸軍元帥の任命書と元帥杖をヒトラーから授与された。

ヒトラーから元帥杖を手渡された数時間後にベルリン・スポーツ宮殿(Berliner Sportpalast)で開催された集会では主賓として招かれ、ヒトラーにも劣らぬ熱狂的な歓迎を受けた。
この日はロンメルにとって正に絶頂期であったと言っても過言ではない。
(左からカイテル陸軍元帥、ロンメル、ロベルト・ライ組織全国指導者)
一説によれば、ロンメルがこの(正式)元帥杖を使用したのはこの日だけだったとのことである。


平成10年(1998年)秋、ミュンヘンのオークション会社の日本代理店から送付のチラシ。
(拡大)カイテル陸軍元帥の親族から、遺品である元帥杖のオークションへの出品依頼があった旨のお知らせである。
書面でもお分かりのように、かなりの高額での売買を希望。
残念なことに、実際に如何程で落札に至ったのかは分かりかねるが、希望(最低落札)価格に達する程の入札があったかどうかは別にしても、それなりの高額で取り引きが為されたことは容易に推測される。
ミレニアム少し前のこの時期は、代替わりの時期とも重なったようで、このような超目玉なお宝のみならず、なかなかに興味深い遺品、一品などがオークションにかけられることも多かった。

左から、長男カール=ハインツ・カイテル陸軍中尉(当時、のちSS中佐)、カイテル陸軍元帥、出品者の夫である次男エルンスト=ヴィルヘルム・カイテル陸軍中尉(当時、のち陸軍少佐)、三男ハンス=ゲオルク・カイテル陸軍少尉(1941年7月18日に東部戦線にて戦死)。
Generalfeldmarschallstab der Luftwaffe空軍元帥杖(通常)は藍色のベルベット生地で覆われ、、そこに20個(5個×4列)の国家鷲章(葉冠型)と10個のマンチュアクロス型鉄十字章、10個のバルカンクロス型十字章を交互に配したものとなる。
両端の装飾部の文言等の刻印は陸軍同様。

1940年7月19日付で以下の3名を空軍元帥に昇級。
(左端から)
エーアハルト・ミルヒ(48歳)
フーゴ・シュペルレ(55歳)
アドルフ・ヒトラー
ヘルマン・ゲーリング
アルベルト・ケッセルリンク(54歳)
その後、空軍からは1943年2月16日付で
ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン男爵(47歳)、1945年4月25日付で
ローベルト・フォン・グライム(52歳)の2名が空軍元帥に昇級している。
ゲーリング以降の空軍元帥は、従来通り?藍色のベルベット生地仕様となっている。
因みに、グライムは終戦間際の混乱の最中に総統地下壕での昇級でもあり、元帥杖の拝受はなかったものと思われる。

エーアハルト・ミルヒはユダヤ人との混血ではないかと噂され続けたが、ゲーリングに事務方としてのその手腕を請われ、空軍の装備開発・生産を総括し、空軍再建に寄与した。
しかし、戦局悪化とともに軍用機生産の殆どを占めていた戦闘機部門が軍需省の管轄となるとともに、ゲーリングとの確執から、1944年8月に航空省次官、航空機総監を解任され、事実上の実権を失った。
この写真の撮られた1940年は、その5月4日付で騎士鉄十字章を受章し、7月19日付で空運元帥にも列せられるまでに昇進した絶頂期だった。

オークションに出品されたミルヒの元帥杖。(長さ48.9㎝、重量968g)
藍色のベルベット生地は、劣化によるものか否かは不明だが、装飾部品の下に僅かに断片が残っている程度で、ほとんどが剥離してしまっているとのことである。
ミルヒは、1945年4月26日にベルリンを離れ、ホルシュタイン近郊のズィーァハーゲンへ避難するも、5月4日に英国軍の捕虜となり、ノイシュタットに連行された。
英国陸軍第1特殊任務旅団の
デレク・ミルズ=ロバーツ准将のオフィスでの尋問の際に、ミルヒはロバーツから(おそらくこの)元帥杖でかなり強く殴打されたと供述している。
Marschallstab des Hermann Göring
ゲーリングが、1940年7月19日付で空軍元帥よりも上位の“国家元帥”に任官するまでの2年5ヶ月の間…
任官当初は藍色のベルベット生地の杖を携帯していたが、暫くして、大提督の杖との差別化を図ったのか?…はたまた、ブロンベルクが辞職に追い込まれ“空色”となった…まさに「空色」様に変更し、さらにその両端の装飾部分にメレダイヤを配った独自の
空軍元帥杖を造らせた。

ゲーリングの空軍元帥、国家元帥の杖も、基本的な装飾(20個(5個×4列)の国家鷲章(葉冠型)と10個のマンチュアクロス型鉄十字章、10個のバルカンクロス型十字章)に変更はない。
勿論、国家元帥杖においても同様にメレダイヤがあしらわれており、更には、円筒部分自体が金属製のパイプではなく象牙製の豪華かつ高価な杖としてバージョンアップはさせている。
※国家元帥杖の両端の装飾部の文言も基本的に変更なし。
“
Der Führer dem Reichsmarschall Göring”
“
19 July 1940 Zum Freiheitskampf Grossdeutschen volkes”

Generalfeldmarschall Hermann Göring hat durch die schöpfung der Deutschen Luftwaffe als einzelner mann den höchsten Beitrag fürden neuaue bau der Deutschen Wehrmacht geleistet
Er hat als Führer der Deutschen Luftwaffe im bisherigen verlaufe des krieges mit die Voraussetzung zum siege geschaffen seine verdienste sind einmalige!
Jch ernenne Ihn daher zum Reichsmarschall des Grossdeutschen Reichs
Verkündet in der suzung des Deutshen Reichstages am 19. Juli. 1940 zu Berlin
Der Führer (Adolf Hitler)
任命書の文言訳としては、以下のようになるものと思う。
「
空軍元帥ヘルマン・ゲーリングは、唯一無二の存在として、ドイツ空軍創設による国防軍の組織再編に多大なる貢献をし、この戦争の勝利に向けて、空軍の司令官として比類なき功績を挙げている!
そこで、彼を大ドイツ帝国の国家元帥に任命する。
1940年7月19日、ベルリンのドイツ帝国議会にて公示
総統 アドルフ・ヒトラー(署名) 」
因みに、このゲーリングの“国家元帥任命書”はオークションに出品され、日本円で約350万円からスタートして、最終価格は約800万円で落札されたとのことである。
Marschallstab des Großadmirals Erich Raeder
海軍に対するヒトラーとの考えの相違が明確化し、これに失望したレーダーは海軍総司令官の職を1943年1月30日を以て辞した。
その後のレーダーは海軍監察総監という名目上の肩書きを与えられたものの、海軍の表舞台に戻ることは出来なかった。

エーリヒ・レーダー大提督の元帥杖には網目状の装飾が為され、そこに9+α個×4列の鷲章(※既記)と5個の鉄十字章+5個の碇章×4列が配置されたデザインとなっている。
また上下最端部は、上端部は鷲章ではなく鈎十字のみ、下端部はその周縁の鎖の装飾およびマンチュアクロス型鉄十字章と4個の錨章があしらわれている。
Marschallstab des Großadmirals Karl Dönitz
レーダーの後任として抜擢されたのがカール・デーニッツである。
1943年1月30日付で大提督昇級および海軍総司令官に任官。
海軍からの大提督への昇級はこのレーダーとデーニッツのみにとどまった。

カール・デーニッツ大提督の元帥杖は、“Graue Wölfe(灰色の狼)”と呼ばれるUボート作戦の第一人者だけあって、Uボート戦闘章をモチーフとした装飾が上端部にあしらわれ、下端部を鈎十字のみとしている。
レーダーの元帥杖のような網目状の装飾はなく、5個の鷲章+3個の鉄十字章+2個の碇章、5個の鷲章+2個の鉄十字章+3個の碇章の各2列が配置されたている。
刻印部分には上下2本づつの鎖の装飾も施されている。
Interrimsstab zum Generalfeldmarschallstab◆
HEER正式元帥杖が式典等の儀式や公式の席上で携帯されるのに対し、通常の軍務等の際に携帯された略式元帥杖は正に“Stab(指揮棒)”とも言うべき形状の杖である。


“大西洋の壁”視察中…略式杖で差し示しながら指示・確認をするロンメル。

ロンメルのご子息であるマンフレート・ロンメル氏が、父親のデスマスクについてその経緯などを説明している写真。
(黒)革の専用ケースに入れられたロンメルの正式・略式の両杖も用意されている。
後年はパーキンソン病を発病、2013年11月7日に惜しまれつつも亡くなられた。(享年84歳)


平成25年(2013年)末にオークションに出品されたブロンベルク陸軍元帥の略式杖(実物)。
全長は約61㎝(木製部分の長さは約46㎝)。
残念ながら折れた状態での出品にも拘わらず、落札価格は90,000$…日本円に換算すると約980万円、これにバイヤーズ・プレミアム(20.5%)18,450$と税金(18.5%)16,200$が加算され、締めて124,650$(約1,355万円)也。

頭部に玉飾りの付いた銀製の基部の下端には“von Blomberg”と刻印されている。
※名のみ、称号のある者はvon+名が刻印される。
またリングを通して、ドイツ帝国の国色である黒、白、赤の組紐で編まれた飾緒(Portepee)が付けられる。
柄(木製部分)の材質は黒檀。

陸軍元帥仕様の基部装飾としては、1個の直掴型鷲章(国防軍型)、1個のマンチュアクロス型鉄十字章と2個の開翼型鷲章(陸軍型)が写真のように四面に配されている。
正式杖とは違い略杖では、ブロンベルク以降の各陸軍元帥の基部(正側)にも“直掴型鷲章”が冠されている。
後述のデーニッツ(海軍)の略杖も含め、総統に任命・授与される正式杖と違い、自前観の強い略杖では、“国防軍型”を冠することで、せめても各軍色を顕示しているようにも思える。
但し、ゲーリングの威光が強い空軍においては、あくまでも鷲章は“葉冠鈎十字掴型”を徹しているのではないだろうか。
※ブロンベルクの直掴型鷲章の特徴として、鈎十字には正式・略式ともに“縁取り”が入る。

ライヒェナウが元帥杖を携帯している写真は検索してもほとんど見る機会がない。
画質はあまり良くないが、略式元帥杖の頭部の玉飾りを摘んだように持つライヒェナウ(左)の珍しい写真。
この杖には飾緒を付けていないようである。
ライヒェナウと一緒に歩く将官(右)は、シュチェチン(現:ポーランド)に司令部が置かれていた第II軍管区司令官兼第2軍団副司令官の
ヴェルナー・キーニッツ陸軍歩兵科大将。
ズボンの側線が白っぽく見えるのは、おそらくは光の関係で白飛びしてしまったためと思われ、ライヒェナウの側線も同様に白っぽく見えていることから、元の色は赤で、キーニッツが独自の白い側線にしていたわけではない。

ライヒェナウ陸軍元帥の略式元帥杖の基部(蓋し実物)。
写真では若干わかりにくいが、直掴型鷲章(国防軍型)の鉤十字は縁取りのない平滑タイプ。
もう一点、ブロンベルクの略杖基部との相違点として、開翼型鷲章(陸軍型)が配される両側の縁デザインに“縦線状のレリーフ”が見られないのがお分かり頂けるだろうか。
逆を言えば、ブロンベルク以降の特徴ともいえる。


平成9年(1997年)にドイツのオークションに出品されたルントシュテット陸軍元帥の杖(実物)。
全長は77.8㎝(木製部分の長さは62㎝)。
オークション開始価格は32,000DM…ユーロへの完全移行になる以前の当時のドイツマルクのレートで換算すると240万円程となる。
↑の写真のような、柄が黒檀のみではなく、象牙のスピッツェ(石突)が付加されている。
おそらく、下の写真で携帯している杖だと思われるが、これは一般的なタイプではない。

◆
LUFTWAFFE

空軍元帥用略式杖に関しては、なぜかゲーリングも含め、細部の分かる実物の画像がない。
これもシュペルレの略式杖を模した複製品で、装飾部品の再現は少々甘いが、空軍の略式杖がどのようなものかの参考になればと思う。
基部、柄の基本的形状、材質は陸軍元帥用と同様ではあるが、装飾部品に相違がみられる。
正側の鷲章は葉冠鈎十字掴型鷲章、対側はバルカンクロス型十字章、そして両側に空軍鷲章が配される。
飾緒(Portepee)は陸軍と共通。
因みに、シュペルレの写真からは、玉飾りの先端が複製品よりもかなり尖鋭な印象を受ける。

このミルヒ空軍元帥の写真から、空軍元帥用の杖の鷲章が葉冠鈎十字掴型であることが確認される。

1943年4月にオーストリアのグラーツを訪れた際のスナップショット。
若い女性にサインを求められご満悦なゲーリング。
国家元帥用の略杖も、基本的には空軍元帥略杖と基部の形状、装飾部品に相違はない。
(葉冠鈎十字掴型鷲章、バルカンクロス型十字章、空軍鷲章×2)
ただ、柄の素材が黒檀ではなく、正式杖同様に象牙を使用。(スピッツェ無)
正式杖同様に柄の材質を象牙にして国家元帥杖としての差別化を図っているのはゲーリングならば当然とも思えることだが…あれだけ正式杖でメレダイヤをあしらっておきながら、略式杖には一石のダイヤすらに施さなかったところは、当方的には逆に興味深い。

1941年7月に“狼の巣(Wolfsschanze)”にて撮影されたゲーリングとヒトラー。
スペース上割愛したが、二人が対面しているのは、両名の連絡役でもある
カール・ハインリヒ・ボーデンシャッツ空軍航空兵科大将(兼航空省次官)。
ボーデンシャッツが1941年7月1日付で空軍航空兵科大将に昇進しているので、その直後の撮影と思われる。
別枠の拡大画像から、国家元帥用の杖の鷲章も葉冠鈎十字掴型であることが確認される。
余談だが、この時のゲーリングの胸鷲章は金属製の(おそらくは)蝶タックなどの針状の留具で留めるタイプの物だったのでは…その片方が外れて傾いてしまっている。
(スクリュー式の留め具ならば、ネジ胴部を通すためのピンホールを上衣に加工しておく必要があるが、この画像を見る限りでは穴かがりのあとが見られない)
因みに、一般的な
金属製の鷲章はループにピンで留めるタイプであり、これだとどうしてもピンが見えてしまうのが難点で、ゲーリングもこれを嫌ったものと思われる。

ゲーリングが空軍元帥当時に略式杖を携帯している写真は、実は意外と少ない。
これは、ポーランド戦役最中の1939年9月13日、ポーランドのキエルツェ空港に降り立った際の写真である。
◆
KRIEGSMARINE
海軍(大提督)の略杖は、陸・空軍などのような細い棒状の杖ではなく、海軍ならではの遠眼鏡を模したような形状をしていた。
デーニッツの略杖には、最上端に(正式)元帥杖と同様にUボート戦闘章を模した装飾を施し、握り手部分には5個+αの直掴型鷲章(国防軍型)、3個の鉄十字章+3個の碇章の各2列が金地で型押しされた紺色の革が巻かれている。

ベルヒテスガーデン近郊のベルクホーフ(総統大本営兼別荘)で撮影された写真。
(左からカイテル、ゲーリング、デーニッツ、ヒムラー、ボルマン)
この大提督略杖を携帯しているデーニッツを確認できる。

1944年5月18日に撮影されたヒトラーと握手を交わすヒムラーの写真。
(左からヒトラー、カイテル、デーニッツ、ヒムラー)
この写真でもデーニッツが縮めた状態の略杖を携帯しているのが確認できる。