8輪重装甲偵察車(Sd.Kfz.234)
↓は、第20装甲師団と、プラハに分割駐屯していた第2SS装甲師団“Das Reich”/第4装甲擲弾兵連隊“Der Führer”が、ソ連軍やパルチザンからの執拗な追跡から辛くも逃れ…
(旧)チェコスロバキアのピルゼン(Plzeň)の東約15kmロキツァニ(Rokycany)近くの米第2歩兵師団の守備ラインまでたどり着き降伏した際の映像である。
この映像の冒頭には60口径5cm“KwK39”対戦車砲を搭載したSd.Kfz.234/2(Puma)と、その後方に24口径7.5cm“K51”対戦車砲を搭載したSd.Kfz.234/3も見受けられる。
また車列を撮った映像では55口径2cm“KwK38”機関砲を搭載したSd.Kfz.234/1も見受けられるよである。
これは、上面オープンの手動全周旋回式砲塔タイプとなる。
8輪重装甲偵察車のSd.Kfz.234系車輌が、1944年中頃に第20装甲師団/第20機甲偵察大隊等に16輌が配備されたとの記録があり…その際に配備された車輌かもしれない。

Sd.Kfz.234系車輌は、Sd.Kfz.231系の後継車として、もともとは砂漠地帯での運用を目的として開発が進められた重装甲偵察車輌のようで…
チェコスロバキアのタトラ社製V12空冷ディーゼルエンジン103型を搭載。
ビュッシング-NAG社により設計された車体は、シャーシにモノコック構造を採用したというのが特徴である。
その搭載装備により、大きく分けて/1~/4タイプがあり、1943年12月から1945年4月までに総計509輌程が生産されたようである。
※Sd.Kfz.は「Sonderkraftfahrzeug(特殊車輌)」の略

因みに、この映像に残る独軍将兵たちは、まさに死にものぐるいでやっとのこと米軍に降伏を果たしたものの…すぐにソ連軍に引き渡されることとなった。
(旧)チェコスロバキアのピルゼン(Plzeň)の東約15kmロキツァニ(Rokycany)近くの米第2歩兵師団の守備ラインまでたどり着き降伏した際の映像である。
この映像の冒頭には60口径5cm“KwK39”対戦車砲を搭載したSd.Kfz.234/2(Puma)と、その後方に24口径7.5cm“K51”対戦車砲を搭載したSd.Kfz.234/3も見受けられる。
また車列を撮った映像では55口径2cm“KwK38”機関砲を搭載したSd.Kfz.234/1も見受けられるよである。
これは、上面オープンの手動全周旋回式砲塔タイプとなる。
8輪重装甲偵察車のSd.Kfz.234系車輌が、1944年中頃に第20装甲師団/第20機甲偵察大隊等に16輌が配備されたとの記録があり…その際に配備された車輌かもしれない。

Sd.Kfz.234系車輌は、Sd.Kfz.231系の後継車として、もともとは砂漠地帯での運用を目的として開発が進められた重装甲偵察車輌のようで…
チェコスロバキアのタトラ社製V12空冷ディーゼルエンジン103型を搭載。
ビュッシング-NAG社により設計された車体は、シャーシにモノコック構造を採用したというのが特徴である。
その搭載装備により、大きく分けて/1~/4タイプがあり、1943年12月から1945年4月までに総計509輌程が生産されたようである。
※Sd.Kfz.は「Sonderkraftfahrzeug(特殊車輌)」の略

因みに、この映像に残る独軍将兵たちは、まさに死にものぐるいでやっとのこと米軍に降伏を果たしたものの…すぐにソ連軍に引き渡されることとなった。

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カテゴリ : 3R
テーマ : 第二次世界大戦【ドイツ】
ジャンル : ブログ