5人目のSS上級大将

以前、カール・ヴォルフ“出”であるというペアの肩章↓のコレクション紹介をネットで見かけた。
まぁ、ヴォルフ物に関しては、これまでも制服や制帽、サイン入りポートレートなどなど…
有名人物にしては比較的、オークションなどで目にすることも多い人物でもあるので、実はそう珍しいという程ではないのだが…

この“物”…にはギャランティ代りのヴォルフ本人署名の添状↓がついており…
正確ではないかもしれないが、この文面を訳してみると…

カール・ヴォルフ
退役 上級大将
私、退役武装SS上級大将カール・ヴォルフは、以下に示された武装SS大将用の肩章が私自身からの出物であり
また、これを第二次世界大戦中に所有していたことを証明するものである!
(署名)カール・ヴォルフ 退役 SS上級大将(最高集団指導者) 兼 武装SS上級大将
私の拙い解釈だと…
“getragen”の訳としては、“身に着けていた→着用していた”と直訳的に解釈すべきか迷ったのだが…
“物”の拡大画像を見る限りでは、縫い付け糸痕などがほとんどないことなどから…
ヴォルフが所持していた“物”であったとしても、おそらくは“スペアの肩章”…
実際に勤務服などに着用していた“物”ではないのではないかと判断した次第である。
…と、前置きが長くなってしまったが、今回は、そんな“重隅”なことを言いたいのではなく…
まぁ、以下も十分“重隅”だと揶揄されそうだが…(苦笑)
この書面にヴォルフがタイピングした、彼の階級…
のっけに記載の“Generaloberst a. D.”
後段の“SS-Oberstgruppenführer und Generaloberst d. Waffen-SS a. D.”の部分が私的には興味深かった。
この何気なく書かれている階級呼称…
↑の訳をご覧頂ければお気づきかと思うが、どれも“上級大将”ということなっている。
(公称的には“SS-Obergruppenführer und General d. Waffen-SS”(SS大将 兼 武装SS大将)とされている)
“SS上級大将”という階級は、総統の肝入りもあって…
ヒトラー53歳の誕生日の1942年4月20日付で…
“上級大将”階級新設に難色を示していた国防軍サイドに一応配慮し、フランツ・クサフェァ・シュヴァルツ、クルト・マックス・フランツ・ダリューゲの両SS文官を、まずはなんとか昇進させ…


総統暗殺未遂事件後にパワーバランスがSS優位にシフトすると…
1944年8月1日付で武装SSにもこの階級を新設し…
ヨーゼフ・“ゼップ”・ディートリヒ、パウル・ハウサーの両SS武官を昇進させた。
以上、この四名のみが公式的には“SS上級大将”であるとされているわけである。
当方の勝手な解釈としては…1945年4月28日に“忠臣ハインリヒ”の裏切り行為を知り、激怒したヒトラーは、すぐさまヒムラーの全官職を剥奪し、逮捕命令を出す。
それに伴い…それまで、ハイドリヒ亡き後…建前的にはSSのNo.2ではあったものの…
カタチ的にはイタリアに飛ばされ…既に親ヒムラー派でもなくなっていたヴォルフにとりあえずの最高階級でヒムラーの代わりとすべく、直に昇進を決めたとのことであるが…
ヴォルフはヴォルフで、この時期…イタリアにおける全面降伏に向けての調整で大忙し…
ましてや、ライチュがもう一人いたとしても、既に地下壕に辿り着くことは困難であり…
ヒトラーはヒトラーで…思いつき的にヴォルフ昇進を仄めかしたかもしれないが…
最期の時を間近にして、ある意味…それどころではなかったわけで…
もしヴォルフが明記したように、彼がSS上級大将に昇進していたというのであれば…
レーマーの時の如く、電話越しに…ヒトラー自らか、もしくは側近によって伝言で通達されただけなのかもしれない??
ご存知のように、ヒトラーは4月30日未明に自決しており…
またヴォルフ自身も5月2日には米軍に投降していることもあり…
この昇進が事実としても、手続き的なことが行われる時間も余裕もなかったものと思われ…
結局は非公式な昇進となってしまったのではないだろうか?
まぁ、明記するくらいなので、そのへんの経緯は、どこぞで語っているのかもしれないが…
ただそれも、このヴォルフ本人署名の添状自体が“本物”ということが前提ではあるのだが…
勿論、肩章も“本物”であるということは言うまでもないことである。
【補足】
“a. D.”は“außer Dienst”の略で“退役”という意。
“Generaloberst d. Waffen-SS ”の“d.”は“der”の略…英語で言えば“of”…“~の”ということになり、“武装SS(の)大将”となる。
【 Ergänzung 】
SS-Oberstgruppenführer Josef "Sepp" Dietrich

1944年8月10日…全軍第16番目の宝剣付き柏葉章(同年8月6日付で受章)の授与式前に、総統大本営「狼の砦(巣)」で撮影された、ヒトラーと握手を交わすヨーゼフ“ゼップ”ディートリヒSS上級大将(第5装甲軍司令官)を収めた写真である。
因みに、ヒトラーの右手は、同年7月20日の暗殺未遂事件での影響で、この時点でもまだ若干不自由であったようで、左手で握手を交わしている。
後方の三人は…左からヘルマン・フェーゲラインSS中将(総統官邸附連絡将校)、オットー・ギュンシェSS大尉(総統附補佐官・警護官)、ハインリヒ・シュプリンガーSS少佐(OKW附連絡将校)

同日に撮影された単独の写真を見ると、数日前の8月1日付で昇進したSS上級大将の新しい階級章(襟章・肩章)が誇らしげに着用されているのがはっきりとわかる。
SS-Oberstgruppenführer Paul "Papa" Hausser

連合軍のノルマンディ上陸後、後手に回ったドイツ軍は劣勢を挽回できぬまま激戦を繰り返していた。
ヒトラーは、シェルブールを要塞化し、最後の一兵に至るまで死守せよと厳命。
しかし、第7軍司令官のフリードリヒ・ドルマン陸軍上級大将は、最早これ以上の戦闘は無意味と判断し、残存のシェルブール守備隊を撤退。
これによりシェルブールは1944年6月26日に陥落した。
ヒトラーは激怒し、ドルマンらを叱責…軍法会議にかけ断罪を求めた。
これに対しドルマンは、6月28日午前3時にヒトラー宛に釈明の電報を送った後、第7軍参謀長のマックス=ヨーゼフ・ペムゼル陸軍少将(当時)に別れを告げ、ル・マンの司令部自室で服毒自殺をしている。(ペムゼル談)
尚、公式記録上は心臓発作により急死したこととされている。(享年62歳)
訃報に接したヒトラーは、同年7月1日付で全軍518番目の柏葉章を授与することとした。
ドルマンの死の翌日…6月29日付で第7軍の後任司令官に抜擢されたのがパウル・ハウサーSS大将(当時)である。
既記の如く、同年8月1日付でSS上級大将に昇進。
ファレーズ包囲戦を陣頭指揮したハウサーは、顎部貫通銃槍の重症を負い、同年8月21日付で第7軍司令官を退任。
ハウサーは、この戦功により全軍90番目の剣付き柏葉章を同年8月26日付で受章。
傷の静養後、翌年1945年1月29日付でG軍集団の司令官に任官。
因みに、SS上級大将に昇進後間もなく受傷し、復帰まで5ヶ月間を要したとはいえ、ハウサーのSS上級大将任官時の写真(修正物でなく)、映像を当方は未見である。

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カテゴリ : 3R
テーマ : 第二次世界大戦【ドイツ】
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