RF-SS Heinrich Himmler 《P'log移転 作例 第六弾》

2015–02–24 (Tue) 15:27
Heinrich Himmler_headsculpt_3R_01

Heinrich Himmler

Heinrich Himmler

1945年5月23日、午後11時4分…世界を震撼させた“SS(Schutz Staffel=親衛隊)”という組織を確立した男がひっそりと息を引き取った…青酸カリによる服毒自殺だった。
その遺体は丸一日放置され…その後、軍葬も、宗教儀式もなく、3日後の26日の朝、英軍少佐以下四名によりLuneburg近郊の森の中に埋葬されたが、その場所は明らかにされることはなかった。
奇しくも、ヒムラーは生前に…「いつの日か貧しく死ぬことが私自身にとっては理想である」と、語っていたのだとか…
正に、それを地で行くようなハインリッヒ・ヒムラーという男の質素な最期であった。




3R(DiD)からリースされた、この“ヒムラー”ヘッド…
期待に違わずなかなかよい感じであった!
これが製品版のクオリティーとしてスタンダード化してきたことは嬉しい限りではあるが…
その反面…リアル化の行き着く先に関しても一抹の不安材料がないわけではない。
ただ、やはり“人形は顔が命”なのだとあらためて実感させられる。
Heinrich Himmler_headsculpt_3R_02

さて、被服に関しては、1932年7月7日付で導入された黒色開襟型制服(SS-Dienstrock)…いわゆる“黒服”と呼ばれているものに褐色シャツというスタイルである。
これは1930年代のヒムラーをモデルにしている。
白いシャツというスタイルも見られるが、かつての“褐色シャツ”時代の精神を髣髴とさせる褐色のYシャツという勝負モードのヒムラーにしてみた。

Heinrich Himmler_RFSS_01
素体に関しては…当初は、出来るだけ貧弱な体系にしたいということもあり…低身長で、しかも胸厚もDRAGON製に比べ薄かった21st Century Toys製(モデルチェンジ前)のモノを使用していたが…
今作例では…箪笥の隅でずっと起用されずに淋しそうにしていたボークス製の“NEO-GUY”に替えている。
因みに、ヒムラー自身…均整のとれた体系…というわけでもないので… 若干、下肢部をつめている。

Heinrich Himmler_RFSS_02

右袖にアルテケンプファー章(Ehrenwinkel für Altekampfer)、左袖にSS腕章(Armbinde)およびSS本部長級プリオンカフ(Ärmelstreifen)。
右ポケット雨蓋のボタン穴には、1933年3月15日付で制定された“1923年11月9日栄誉章(Ehrenzeichen vom 9. November 1923)”のリボンが通されている。
これは、ミュンヘン一揆の参加者に対し授与されたもので…
1938年5月30日以降は、ミュンヘン一揆の際の“血染めの旗(Blutfahne)”に由来した『血の勲章(Blutorden)』に正式名称が変更されている。
左ポケット部には、φ30.5mmの金枠党員章(Goldenes Parteiabzeichen der NSDAP)ドイツ国家体力検定章(Deutsches Reichabzeichen für Leibesubungen(D.R.L))…別名、『国家スポーツ章』の銀章。
(※ヒムラーが本来、受章したのは銅章ランクだったようだが、カール・ヴォルフから昇進させる代わりに銀章を譲り受けたという)
またネクタイピンにもφ24mmの金枠党員章をつけていることがあるので、それに倣っている。

Heinrich Himmler_RFSS_03

現在に至っても、なかなか“これ!”というようなモノは、まだまだ作れていないというのが正直なところなのだが…
やはり10年も前ということで…
今以上に納得のいかない部分も多々あり…
ただ、こうしたことをやり始めた…モノ作りに貪欲だった時期でもあり…
“好きこそモノの…”ではないが、パッションだけは今とは想像も出来ない程だったわけで…
案外、小手先でどうこうというよりも、そうした気持ちを込めて作ったモノの方が、粗はあっても存外納得がいったりもするのかもしれない。

Heinrich Himmler_headsculpt_3R_03


ヒムラーをモチーフにした作例に関しては、2000年頃には一応はカタチにしていたのだが…如何せん、15年程前の作例でもあり…(^ ^;
ただ、単にすげ替えただけなのだが、このヘッドのお陰で以前よりも数段…らしくもなっている!
まぁ、言い換えれば…何を着せているかではないと言うことなのかもしれず、少々複雑でもあるのだが…(苦笑)
せっかくこのような超絶ヘッドがリリースされたことでもあり…
また、かなり以前に『PEIPER's CUSTOM』HP上のコンテンツとしても掲載を取りやめた経緯もあり…今回、このようなカタチで改めて紹介をさせて頂くこととした。

Heinrich Himmler_1st_01

以前に使用したヘッドはDRAGONの“Gerhard”で…それに髭・眉・頭髪等を植毛してみた。
実際のヒムラーについての記述に「顔色は青白かった」ともあることから、色白肌にリペイント。
嗜好性の低い“Gerhard”だが、思わぬところに活用法があった…(苦笑)

ヒムラーの特徴でもある眼鏡は、“フルリム”タイプの場合もあるが…
作例としては金縁鼻眼鏡とし、白洋丸線等で自作。
 
Heinrich Himmler_1st_Head sculpt_DRAGON_Gerhard
“Gerhard”の髪の部分を削り、鑢掛けし、塗装。
その後、毛を貼り付け…それを“美容師よろしく”カットして完成。
当時は、こんなにゆる~い、陳腐はモノでも、許される甘い時代であったのだ…(^ ^;


Ergänzung

Kragenspiegel und Schulterstücke eines Reichsführer-SS

Kragenspeigel_Reichsführer-SS

Schulterstücke_Reichsführer-SS
1934年10月15日付で制定されたSS全国指導者の肩章(左)。
※右はA-SSの将官ランクの肩章(各階級共通)
黒服の際は右肩のみに着用し、1938年以降のフィールドグレー開襟服の際は両肩に着用。
肩章には、3枚の柏葉を象った金属製の装飾が付けられている。
これは、肩章が導入された1934年から1939年末までは銀色のものであった。
1939年12月から1942年4月頃に一旦、金色のものに変更されるが、それ以降はまた銀色のものに変更されたということである。

Heinrich Himmler_RFSS_insignia
作例では、今作例に限らず…襟章および肩章は…タミヤのエポキシ造形パテで一個一個作成している。
現在は、肩章の場合は実際の紐(糸)を編んで作成するようにしているが…
この当時は、パテを細い紐状に伸ばし…ヒムラーの場合は、それを実際の紐と同様に三連に縒って編んで成形していた。
国防軍および武装SSの佐官級の場合は四連になるので、さらに面倒な作業になる。
A-SSの場合、三連は三連でも肩章自体の幅も細く、袖ぐりから7~8編と多く、また一編みが小さいため、さらに厄介となる。
左右ある場合はシンメトリーになっているため、逆向きに編んで、なおかつ幅・長さをある程度揃えなければならず…フィールドグレー開襟服ヴァージョン制作の二の足を踏む一因となっている…(苦笑)。

Schirmmütze für Führer der Allgemeinen SS

Heinrich Himmler_1st_03

ヒムラーとしては…やはり“黒服”だけではなく…
アースグレイの開襟型制服も作ってみたい気持ちは山々なのだが…
如何せん…今は、そのパッション…モチベーションを上げることが一番の問題で…
はたして何時になることやら…(^ ^;

※この記事は、『PEIPER's CUSTOM』のコンテンツおよび2010年6月28日にmixiに掲載の日記「忠臣ハインリヒ」をもとに、新たに編集したものです。


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『PEIPER's CUSTOM』 HP閉鎖のお知らせ

2015–02–12 (Thu) 00:01
PEIPER's CUSTOM_title

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INDEX
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約14年の長きに亘りご覧頂いてまいりましたPEIPER's CUSTOMのホームページですが…
PCクラッシュ等の影響で、更新が出来ない状態が続いており…
この度、↓のコンテンツの移転を済ませましたことを機に閉鎖をさせて頂くことと致しました。
長い間、本当にありがとうございました。
今後は、当P'logを引き続き宜しくお願い致します。


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Waffen-Scharführer der SS 《P'log移転 作例 第五弾》

2015–02–09 (Mon) 08:53
SS-Scharführer_title

HPなどを開設していると、国内は勿論だが、時として遠く離れた外国の方々と交流する機会が得られることもあり、何とも嬉しい限りである。
そんな交流のひとつに…
日本から1万キロ以上も離れた東欧の国…エストニアからメールを下さった方がおり…
そのうえ、その方の友人というのが騎士鉄十字章受章者でもあるハラルド・ヌギセクスSS所属武装伍長なのだという。
奇しくもそうした関わりを持たせて頂く以前に、彼の直筆サイン入りポートレートを入手していたことなどもあり、ヌギゼクス氏へのオマージュも込めた作例とさせて頂いた。
ただ、階級はSS所属武装軍曹に…また戦車撃破章(銀章)を受章させるなど若干変更を加えている。

Waffen-Scharführer der SS_estnische Nr.1_01

この作例は、『Spec FIGURES 3』への掲載作例として制作したものなのだが、撮影の当日…それも一時間前になって、とりあえず何とか“カタチ”にはしたものの…
それでも当初描いていた“カタチ”に近づけるには、少々のモディファイが必要ということで…
C.F.E.2007への出展にあたり、このようなエストニアンな作例として改めて紹介させて頂いたという作例である。

ヘッドについて

Waffen-Scharführer der SS_estnische Nr.1_02
使用しているヘッドおよび素体はHotToys社(以下HT)からリリースされる『Prison Break / Inmate Michael Scofield』(2007)

“人形の命”とも言われる“顔(ヘッド)”…作例を制作するにあたってもヘッドが重要なファクターになるという方は多いのではないだろうか…
このヘッドの使用の経緯は、SF3用の掲載作例を依頼された折に、個人的な友人でもありHTのプロダクション・ディレクターとして“ムービー・マスターピース”シリーズなどの総指揮を執るホン氏、そしてHTのチーフ原型師のユーリ嬢とのコラボレーション…つまり、ユーリ嬢造形のヘッドをHTのマスターペインティングも手懸けるホン氏がペインティング…そして、僭越ながら当方が衣装、装備品などを制作するということが出来ないものかとホン氏に持ちかけたところ快諾を得て実現した次第である。
そこで、ユーリー嬢造形のヘッドのうち、独軍兵士としてのイメージを兼ね備えたモノということでスコフィールド役のウェントワース・ミラーを模したヘット&素体をご用意頂いたわけである。
さらに、ホン氏の計らいで独軍兵士然とするため髪や瞳の色、不精髭といった商品バージョンとは一味違うペインティングにもして頂いた。
ただ、今回は特定の人物や高級将校といったモチーフを再現するというのではなく、これまで手をつけることを躊躇していた感もある“官給品の野戦服(Feldbluse)”も…やはり独軍将兵をモチーフとして扱う以上、いつかは作っておかねばという想いもあり…
今作例の制作にあたってのメインコンセプトとしてヌギセクス氏はモチーフにとどめ、“名も無き一兵士”という作例にしている。


M43-Feldmütze

Waffen-Scharführer der SS_estnische Nr.1_03

1943年10月1日付で制定された‘43年型規格帽は、前合わせの留めボタンの数(2個または1個)、鍔のつくり等のバリエーションに違いのある場合がある。
また、徽章の着け方にも…
例えば、この作例のように髑髏章のみを前部に着けたり、鷲章・髑髏章とも前部に着けたりしているケースもある。
また‘44年中期以降は、徽章類も簡素化が計られ図られ、鷲章と髑髏章の一体型などが登場する。

Waffen-Scharführer der SS_estnische Nr.1_04



Stahlhelm M42 für Waffen-SS

M42ヘルメットは1942年4月20日付けで導入されている。
軍種を示すデカールとしては1943年88月28日付で廃止となっているが、完全に守られることはなかった。
ライナーとしては、1931年に採用されたものが終戦まで改良を加えられてはいるものの、ほぼそのまま使用され続けていた。

sample_SS-Scharführer_estnische Nr.1_stahlhelm_01
上にいくつか既製品およびカスタム品のヘルメットの比較を掲載してみた。
今作例では…今となっては入手は簡単ではないかもしれないが…一番上段のCotswold社製の旧タイプを使用している。
個人的に既製のヘルメットのなかでは、フォルム的、またサイズ的にも気に入っている。

sample_SS-Scharführer_estnische Nr.1_stahlhelm_02
薄化を図るため、内側などを削り、ピン穴、通気孔のための穴を開けている。
因みに、通気孔にはハトメを用いてみた。
その他、M31ライナー、チンストラップなども革などを用いて自作。


Waffen-SS Kragenspiegel der "Estnische SS"

1942年10月1日に“エストニアSS連隊”(~1943年5月5日)として編成された当時の(右側)襟章はブランクだったようである。
ただし、1943年3月頃には既にSSルーン襟章も着用はされていた。
独自の襟章は、“エストニアSS義勇旅団”(1943年5月5日~10月22日)から“第3エストニア義勇旅団”として再編成された頃に導入されている。

kragenspiegel_estnische SS_1st.. type
※エストニアの頭文字“E”と“剣を持つ腕”をモチーフにしたデザインの1stタイプ(エストニア製)

kragenspiegel_estnische SS_2nd. type (E)
※2ndタイプ(エストニア製)

kragenspiegel_estnische SS_2nd. type (D)
※2ndタイプ〈改〉(ドイツ製)


1944年1月24日に“第20エストニアSS義勇師団”(~5月26日)として再々々編成されたが、ナルヴァでの攻防で消耗した戦力を整えるべく“第20SS所属武装擲弾兵師団”(1944年5月26日~1945年5月8日)として再編成が為されることとなる。
義勇師団からSS所属の正式師団に格上げされたこともあってか?…SS長官命令により「SSルーンの襟章を着用し、独自の襟章廃止とする。」旨の通達が出されたようだが、数日後には師団側からの相次ぐ不満の声に、ヒムラーも師団独自のデザインに戻すことを容認したのだという。
そこで、1944年夏頃にドイツ製の2ndタイプ〈改〉となる襟章が正式採用されることとなったようだが、残念ながら当方はこのタイプの着用例を見たことがない。
結局、それまで通りに1stタイプ、エストニア製の2ndタイプ、そしてSSルーンなどを…各裁量により着用され続けた。

kragenspiegel_estnische SS_3rd. type & 20SS Divisional symbol
“第20SS所属武装擲弾兵師団”の師団マークともなっていたデザインによる3rdタイプとなる襟章(ドイツ製)も導入されたが、これもまた統一襟章とはならなかった。
このタイプのデザインでは、“剣を持つ腕”が省略されている。


Ärmelschild der Estnischen Freiwilligen der Waffen-SS

Ärmelschild der Estnischen Freiwilligen

義勇兵の部隊においては、各出身国を示すデザインの徽章類…“盾形袖章”なども着用され、エストニアは1881年にエストニア学生会のシンボルとして制定され、19世紀末に国旗としても取り入れられた青、黒、白のトリコロールカラーを基本デザインにしたいくつかのタイプのものを着用している。
上の画像の左から、“陸軍仕様”、“三匹のゴールドのライオンが冠された陸軍仕様”、“一般的なSS仕様”である。
因みに、青色は「中世エストニアの紋章の色で青空と自由」を、黒色は「かつて失われた独立と祖国への愛着」を、白色は「労働と明るい未来」を象徴するものなのだという。


Waffen-Scharführer der SS_estnische Nr.1_collar tab
今作例では、ヌギセクスの着用にも見られる1stタイプの襟章にしている。
頭文字“E”および“剣を持つ腕”は、いつもの如くエポキシパテで作成している。

Waffen-Scharführer der SS_estnische Nr.1_sleeve insignia
“盾形袖章”は、多少厚みを出すため別珍生地で…黒の盾枠パーツの内枠を切り取り、そこに同生地の青、白のパーツをはめ込んでみた。

Waffen-Scharführer der SS_estnische Nr.1_shoulder board
階級を下士官クラスに設定するにあたっては、襟章・肩章を縁取る“トレッセ”を如何にするかということも要件になってくるところだが…
CVI(Connectiut Valley Insignia)製の『陸軍/SS下士官用トレッセ』が、なかなかに出来が良く…これを入手出来たことが、下士官クラスを制作するに至った理由の一つでもある。
因みに、SSのアドラーはCVI製のモノではなく、こちらは以前…オータ氏に頂いたSTEINER-OTTO-WERKのモノを使用した。


Feldbluse43

1941年頃には武装SSにおいてもSS独自の被服工事や契約工場などが拡充され、それまでの陸軍野戦服の流用からほとんど独自ラインによる官給体制を整えるに至っていた。
ただし、戦局の悪化…物資困窮の深刻化に伴う野戦服の変遷に関しては、若干の違いはあるものの陸軍野戦服に準じた簡素化が施されることとなる。

今作例では、そうした変遷のうち 四つの貼付ポケット形式としては最後となる‘43年型野戦服(Feldbluse43)を制作してみることとした。
野戦服を制作するにあたっては、如何にウール生地様の生地質感で再現出来るかということが課題で…今回も、当初は別の生地での制作を考えていたのだが、やはり風合いを優先するとシルエットに妥協を余儀なくされることとなり断念。
そんな時、以前にDRAGONから発売された“SOLDAT 001”に付属のロングコートをバラしていたことを思い出し、染色し直して使用してみたのだが…ウール生地風の風合いも残しつつ、シルエットもさほど損ねることもなく使用できそうだったので、今回はこの生地を使い制作した。

’43年型野戦服の外観的な特徴の一つとして、貼り付けポケットのプリーツが省略されたことと、ポケットフラップが直線的な形状に変更されていることであろう。
左右前(腹腰)部にベルトフック金具を出すための各部2個づつの穴が設けられている。
陸軍用野戦服ではベルトフック穴は各部3個づつ設けられているが、武装SS用では1942年以降は各部2個づつに変更された。

SS-Scharführer_1944_01

SS-Scharführer_1944_02

Waffen-Scharführer der SS_estnische Nr.1_collar

使用した、このHot Toysの素体(TrueType(旧):New Generation)は…ボディーとネック、ネックとヘッドにジョイントのある構造であることから、ヘッドとネックのつなぎ目が目立つため、インナーをハイネック・セーターにして、その部分を隠すことにした。
SF3の撮影時には、のようにDRAGONのドイツ軍用セーターを着せていたが…
色目的に…グレーというよりは、かなり紫がかって見えて、しっくりとこないこともあり…
確か、やはりDRAGONのモノであったとは思うのだが…DAK用(?)のVネックセーターを解き、襟ぐり部分を加工したモノに変更している。


M44 Erbsentarn Hose

また下衣は、色調に多少の差をつけたとしても、上下共にフィールドグレーでは少々色どりに欠ける?ような気もして…そこで、やはりオータ氏より頂いてあったSTEINER-OTTO WERKの…通称、“M44ドット”こと“エンドウ豆迷彩図柄”がプリントされたシート状の生地が、そのまま手付かずのままになっていたことを思い出し、それを使用して…SF3の掲載作例としては… 1944年3月1日付で制定された’44年型迷彩ズボンを選択した次第である。

’44年型迷彩ズボン
形状は、既に1942年7月1日付で制定されていたカイルホーゼ(Keilhose)と同様である。
※戦争中期頃よりジャックブーツから編上靴が多く用いられるようになったことにより、裾部を細くし、足首絞りを設けたスタイルのカイルホーゼが導入された。

M44_dot_trousers_F

M44_dot_trousers_R


Schnürschuhe u. Gamaschen

M44アンクルブーツ&短ゲートル
アンクルブーツ(Schnürschuhe=編み上が[短]靴)としては、戦前(’37年)から採用はされていたが、’44年になり本格採用されることとなる。
今作例では、『Desert Fox』同様に…英国の実際の靴職人により製作された…M44アンクルブーツを履かせている。
武装SSにおいては、1942年7月1日付でジャックブーツに替り逐次導入されたアンクルブーツと、1944年8月8日付で制定された短ゲートル(Gamaschen)を自作し、これらの組み合わせとしている。

Schnürschuhe u. Gamaschen



Zubehörteil

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Waffen-Scharführer der SS_estnische Nr.1_09

SS-Scharführer_estnische Nr.1_equipment


Brotbeutel 31

’31年型雑嚢(中期型)
一応、SP3掲載作例用にも間に合わせて的に制作してみたのだが、時間的にも、出来栄え的にも納得がいくまでには至らず…
実は、こうした目立ちにくい備品・小物などのアイテムの制作にこそ時間をかけ、しっかり作り込むことが、ひいては全体の見え方にも影響をしてくるということもあり…
C.F.E.2007の出展にあたり、あらためて制作し直してみた。
因みに、独語のBrotbeutelは、直訳すれば「携帯食料袋」。

Brotbeutel 31


Meldekartentasche 35

’35年型マップケース
バックルの形状なので、前・後期型に分別されるが…これは、その後期型にあたる。
因みに、独語のMeldekartentascheは、直訳すれば「報告書類用鞄」。

Meldekartentasche 35


Feldflasche 31 u. Trinkbecher

’31年型コップ付0.8ℓ水筒
コップ部分はDRAGON製のパーツを使用し、取っ手部分などを真鍮線・真鍮板で作成。
またフェルト・カバー、キャリングストラップなども自作。
コップ部分のの塗装は、1941年4月からは、それまでの黒色からオリーブグリーンに変更されているのであろうが…

Feldflasche 31 u. Trinkbecher


P-08 Pistolentasche

ルガーP-08用ホルスター
いわゆるハードシェル・タイプといわれる前期型を制作。
蓋の裏側にはマガジン・ローダー兼分解工具を収納するポケットが付加されている。
因みに、左に小さく見える黒い“物”がそのローダーのつもりである。
このローダーは真鍮板で制作。
※撮影時の光量、光源、露出などの影響で色味に違いがあるが、濃茶色の革を使用して制作している。

P-08 Pistolentasche


Magazinetasche für MP38/40

MP38/40マガジンポーチ
1942年にDリング・ストラップの位置に変更が加えられた…いわゆる後期型といわれるMP38/40用のマガジンポーチ。
そのマガジン・ローダーを入れるための小袋が付加されている“左用”を制作。
因みに、DRAGON製のマガジンのサイズで制作している。

Magazinetasche für MP38/40


20.Waffen-Grenadier-Division der SS (estnische Nr.1)_Logomark

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SS-Oberscharführer Harald Nugiseks

Harald Nugiseks_01

ハラルド・ヌギセクスは、1921年10月22日、(現)エストニア共和国のイェルヴァ県サレヴェレに生まれている。
1941年6月22日、ソ連とドイツの戦争状態突入により、エストニアのなかにはドイツの進攻がソ連からの解放と捉える機運もあり、ヌギセクスはソ連軍からの招集を受けるも拒否し、1941年8月にドイツ国防軍に志願した。
同年10月2日には第185エストニア保安隊(185. Eesti julgestusgrupi)に配属となり、翌1942年12月をもって除隊をし、発足したばかりのエストニSS連隊に志願した。
1943年5月~9月までラウエンブルクのSS下士官学校において下士官教育を受け、SS所属武装伍長に任官し、エストニアSS義勇旅団に配属。
エストニア義勇旅団の一部は、第5SS装甲師団“Wiking”に配属され、他は第45SSおよび46SS義勇擲弾兵連隊として第3エストニアSS義勇旅団を構成した。
ヌギセクスは、第46SS擲弾兵連隊/第1大隊に配属され、1943年12月にロシアのプスコフ州南部のネヴェリ近くの戦闘に参加、12月21日に負傷し戦傷章(黒章)と歩兵突撃章を受章。

1944年2月…北部軍集団に配置された第3SS装甲軍団の守るナルヴァ橋頭堡は、迫り来るソ連軍の脅威にさらされつつあった。
東側面は第11SS義勇装甲擲弾兵師団“Nordland”のオランダ人からなる大隊が苦戦を強いられ、西側面にも大規模な攻撃が繰り返され攻防が続いていた。
また北側面も苦戦が強いられており、この戦区が包囲される危機的状況に晒されていた。
この状況に際して稼働可能な部隊を総動員するべく、1944年1月24日付で改編された第20エストニアSS義勇旅団もエストニア最東部の都市ナルヴァにおける戦闘に投入された。
2月15日~28日にかけての戦闘において、ヌヌギゼクス所属の第20SSエストニア義勇師団/ 46SS擲弾兵連隊/第1大隊・第1中隊は、激戦のなか士官クラス以上が戦死したため、下士官だったヌギセクスが事実上中隊の指揮を執ることとなった。
ヌギセクスは、地雷原を越えての敵の塹壕への突撃を敢行し、Vopskula橋頭堡を北側面から攻撃…ついに、この戦区からソ連軍を後退させるに至った。
これらの戦功により、2月27日付で二級鉄十字章、3月7日付で一級鉄十字章。
さらに、第1大隊の大隊長エルヴィン・メリSS中佐の推薦により 騎士鉄十字章を4月9日付で受章している。

Harald Nugiseks was awarded RK at hospital room
因みに、この後の戦闘により重傷を負い、4月13日から南チロルの陸軍病院において長期の療養を余儀なくされ、騎士鉄十字章も4月20日に病床において授与されている。

半年ほどの療養後、1944年10月にポーランドのスビエトシュフ(ノイハマー・アム・クァイス)で原隊復帰。
1945年5月7日、チェコのパルチザンによって捕捉され、捕虜収容所に送られた。
三度脱走を試みるもいずれも失敗し、まもなく身柄をソ連に引き渡され、12月にはシベリアのラーゲリ(強制収容所)へ送られる。
そして、10年におよぶ抑留生活(恩赦により1953年9月17日に解放)と5年間の国外追放を経て、1958年にエストニアへの帰国を果たした。
エストニア国防軍のアレクサンダー・アインゼルン少将は、1994年2月21日付けでヌギセクスにエストニア退役大尉の名誉階級を授与。
その後、ヌギセクスにはエストニア市民功労勲章(Eesti Rahva Tänumedal)の他、数々の功労章、名誉章なども贈られ、祖国解放を願い闘った彼の精神と武勇を讃えている。
(※晩年のヌギセクス氏)
残念なことに、ヌギセクス氏は2014年1月2日にお亡くなりになられ、多くの人が彼を見送り、その死を悼んだ。(享年92歳)




Ergänzung

Alfons Rebane, Harald Nugiseks, Haralt Riipalu
左からアルフォンス・レバネ、ハラルド・ヌギセクス、ハラルト・リーパル
レバネ、ヌギセクスともに1stタイプの襟章を着用していることがわかる。
また、ヌギセクスは一般的なSS仕様の盾章を着用している。

Alfons Rebane
アルフォンス・レバネSS所属武装少佐(1944年9月8日撮影)(※reverse)
3rdタイプの襟章と陸軍仕様(ライオン無)の盾章を着用していることがわかる。

エストニア第1といえば…“エストニアのロンメル”と異名をとるこのレバネのプレスフォトもほぼ同時期に入手していたりと、当時は“エストニア”に何気に感情移入をしていたりもした。
第3エストニア義勇旅団に陸軍所属のエストニア諸連隊を編入し、エストニア第1の前身である第20エストニアSS義勇師団として1944年1月24日付で再編成することとなるのだが、レバネはそのなかの陸軍第658エストニア連隊指揮官であり、その任官時期…1944年2月23日付で、エストニア人として初となる騎士鉄十字章を受章している。
同年11月9日付でSS所属武装中佐に昇進。
また終戦後の1945年5月9日付でSS所属武装大佐に昇進および柏葉章を受章している。
5月9日以降の昇進、授章は敗戦後の処遇が優遇されるようにというデーニッツ政権下の措置でもある。

Haralt Riipalu
ハラルト・リーパルSS所属武装中佐(1944年9月4日撮影)
1944年7月14日~25日のナルヴァ戦区におけるソ連軍の攻勢に対して、これを逆襲し包囲の危機を防いだ功績に対して8月23日付で騎士鉄十字章を授与されている。
2ndタイプ(エストニア製)の襟章を着用している。

Haralt Riipalu_Felix Steiner
これは1944年9月4日に…第Ⅲ.SS装甲軍団を構成する師団のなかから、先の8月23日付で騎士鉄十字勲章を受章した四名に対し、その授章式典が行われた際の写真である。
軍団長であるフェリックス・シュタイナーSS大将がリーパルの首に騎士鉄十字勲章を授与している。
シュタイナー自身による授与は、第11SS義勇装甲擲弾兵師団“Nordland”の第11SS戦車大隊“Hermann von Salza”の指揮官パウル=アルベルト・カウシュSS少佐から始まって…第4SS義勇装甲擲弾兵旅団“Nederland”の第54SS砲兵連隊指揮官のヴィルヘルム・シュリュターSS少佐、同旅団の第49SS義勇装甲擲弾兵連隊“De Ruyter”の副官カール=ハインツ・エアテルSS大尉…最後にリーパルへと続いた。
因みに、奥に見えているのがエアテルで…後ろ手に組み、右端に立っているのは第4SS義勇装甲擲弾兵旅団の第54SS砲兵連隊副官のクリスティアン・シュテーホルト・シュートSS少佐である。

Haralt Riipalu_Paul-Albert Kausch_Wilhelm Schlüter_Karl-Heinz Ertel
この日の式典における四人の受章者(左から):リーパル、カウシュ、シュリュター、エアテル

因みに、第11SS義勇装甲擲弾兵師団“Nordland”の第45SS所属武装擲弾兵連隊/第I大隊指揮官のパウル・マイトラSS所属武装大尉と、第4SS義勇装甲擲弾兵旅団の第54SS戦車猟兵大隊/第1中隊所属のデルク=エルスコ・ブラインスSS兵長(最終階級:SS曹長)なども1944年8月23日付で騎士鉄十字章を受章しているのであるが…
この両名が、9月4日の式典の一連の報道の場になぜ同席していないのか…などについてはわからない。
ただ、マイトラの騎士鉄十字章・予備勲記によれば後日(9月8日)に陸軍総司令部の本部にて授与されたこととなっている。
(エストニアの首都タリンから南180kmにある南エストニアの中心都市…タルトゥにおける戦闘で負傷し、加療中であったために式典には出られなかったとのことである。)

Paul Maitla

Paul Maitla_RK_Vorläufiges Besitzzeugnis

予備勲記の書式としては以下のような感じになる。

Vorläufiges Besitzzeugnis (=予備勲記)
Der Führer
hat dem


(階級、氏名、所属部隊および職務)

DAS RITTERKREUZ DES EISERNEN KREUZES (=騎士鉄十字章)

am (日付) verliehen

※総統は(第45SS所属擲弾兵連隊(エストニア)/第Ⅰ大隊 指揮官 SS大尉 パウル・マイトラ) に騎士鉄十字章を(1944年8月23日)付で授与する
(階級の表記は“SS所属武装大尉(Waffen-Hauptsturmführer der SS)”でなく、単に“SS大尉(SS-Hauptsturmführer)”となっている)

H.Qu (Hauptquartier=本部)
OKH (Oberkommando des Heeres=陸軍総司令部)
(授与された日付)
※1944年9月8日 陸軍総司令部 本部にて

OBERKOMMANDO DES HEERES
I.A.(im Auftrag=委任)
※陸軍総司令部の委任により当該部局 陸軍中将(未詳)が授与確認の署名をしている。


Derk-Elsko Bruins_Felix Steiner
これが何時撮られた写真であるかに関しては言及はできないものの…何れにしても9月4日の式典とそう日を違えない時期ではあるものと思われる…上機嫌なシュタイナーとブラインスのツーショットである。
おそらくは、シュタイナーから直接に騎士鉄十字章を授与された後での記念撮影的な写真なのではないだろうか?

20. Waffen-Grenadier-Division der SS
この写真はエストニアSSの3人の兵士を撮らえた有名(?)な写真であるが…
3人とも違った襟章を着用しているのも興味深い。
一番奥のSS所属武装上等兵は2ndタイプ(エストニア製)の襟章を着用。
盾章は陸軍仕様のようで、佩用位置も…左袖の上腕部に三角章(エルメルヴィンケル)を着用しているためか、前腕部に着用されている。
またM43規格帽には金属製の髑髏章を着けている。
中央のSS所属武装伍長は1stタイプ(エストニア製)の襟章を着用。
略帽の前部には徽章が着けられていないようにも見える。

Waffen-Unterstrumführer der SS
1stタイプの襟章を着用するSS所属武装少尉
一般的なSS仕様の盾章を着用。

Waffen-Oberscharführer der SS
1stタイプの襟章を着用するSS所属武装曹長
一般的なSS仕様の盾章を着用。

Waffen-Unterscharführer der SS
3rdタイプの襟章を着用するSS所属武装伍長
盾章は一般的なSS仕様を着用をしている。
ザッテルホルムの制帽に着けられている金属製アドラーは陸軍型の“鷲”のようである。



Postskriptum

SS-Scharführer_3SS_Totenkopf_01

C.F.E.2007、そしてPEIPER’s CUSTOMでのコンテンツ化の後に…先の記事で紹介をさせて頂いたような変遷を経て…
2015’新春ブラックホールでは、maru氏より植毛・リペイントを施したSoldierStoryの『FBI HRT』に付属のマット・デイモン似(?)のヘッドをお譲り頂いたこともあり、今回このようなカタチで改めて紹介をさせて頂いた次第である。
ヘッド造形・塗装の進化は…ここに来て少々頭打な観も無きにしも非ずではあるが…
元々の出来が良いだけに、このように植毛などを施すことによって、よりリアルな表情ともなる。

SS-Scharführer_3SS_Totenkopf_02

今回のBHの搬出の際に、maru氏が出展していた作例「Waffen-SS officer」で使用してたジェイソン・ステイサム似(?)のヘッド(メーカー不明)にも挿げ替えさせて頂いたので、こちらも合わせて紹介させて頂きたい。

SS-Scharführer_3SS_Totenkopf_03


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