砂漠の狐 《P'log移転 作例 第四弾》

Generaloberst ROMMEL

“ロンメル”とのファースト・コンタクトは…
確か、小学生の頃にTVで観た映画『砂漠の戦場 エル・アラメン』だったと記憶している。
当時は勿論、実在の人物としての“ロンメル”という捉え方ではなく、あくまでも映画のなかでのドイツ軍人というキャラクターの一人という捉え方ではあったものの…ロベール・オッセン演じるロンメルの鮮烈な登場シーンは子供ながらに自分の記憶なかに鮮明に残り、その後の原体験となったと言っても過言ではない。
こうしてカスタム作品を作り始めようと思った切っ掛けも、やはり「“ロンメル”を作ってみたい!」という思いからで…
ごく初期の作例では、その登場シーンのイメージの如く“ドイツ軍人”然とした詰襟タイプの制服姿を制作したのだが…
ただ、やはり“ロンメル”といえば…“砂漠の狐”と異名をとった北アフリカ戦線時などにみられる開襟の熱帯用上衣を是非、作ってみたいと予々思っていた。
(因みに…勿論、上記劇中でも…多少?とも思える熱帯服…熱帯?制帽姿で登場している)
そこで『SpecFIGURES 2』(2006年4月発売)のための作例を依頼された時には一も二もなくこのスタイルのロンメル…“Desert Fox”を制作することにしたという次第である。

エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメルがはじめてアフリカの地に降り立ったのが1941年2月12日。
その後、ロンメル自身が北アフリカを去る2年1ヶ月程の期間のなかで彼はいくつかのスタイルの制服を着用している。
詰襟タイプの着用も見られるが、やはり開襟タイプの…いわゆる“熱帯服”を着用する機会がやはり多く…
その色目的にはフィールドグレー(~オリーブ)、カーキそしてオフホワイトなどのものを着分けていたようである。(※素材、ポケット・フラップの形状など若干の違いが見うけられる)
下衣に関しては赤い側線の入ったタイプの(乗馬)ズボンなども勿論着用しているが、側線無しのタイプの着用の方が、当地では度々見うけられるように思う。
また、カーキの半ズボンなどの着用もみられる。
因みに、当作例の設定としては1942年1月30日~6月21日までの…彼が上級大将就任期間とし、トブルク攻略に向け意気の盛んだった時期とした。
この上級大将昇進以降になると度々オフ・ホワイトの上衣を目にする機会があることからもこの時期を選んだ。
当作例では、なんといっても…今後このような顔ぶれはもう実現しないと思われるような贅沢な布陣…
ヘッドの造型には…何と、この作例のためだけに原型の作製を手懸けて下さった林 浩己氏。
更に、その造型に息吹を与えるペイント作業を…
『SpecFIGURES 2』作例ヴァージョンでは米国のペインターboot-25氏に…
そしてその後の、ブラックホールなどの展示会用ヴァージョンとして…当時はまだ一ペインターではあったが、今やHot Toysの“顔”となった韓国の“魂”J.C.Hong氏に依頼するという贅沢な顔合せで挑ませて頂いていた。


【 boot25 version 】


【 魂J.C.Hong version 】



素体はメディコム・トイのRAH301改 NAKEDを使用しているが、そのままではスマート過ぎるということもあり腹部にシリコン素材(ヌーブラの成れの果て)の肉襦袢をつけて体系を補正?してみた。
もともと、この素体自体が“細身”で華奢なこともあり…肩章等を強調する軍服には、その撫で肩な肩のラインが不適当なのではないかとも懸念されたが…
日本人や小柄な体形を制作するにあたっては、この素体を使用するようにしている。
まぁ、これはこれで肩のラインは勿論のこと、なかなか人間臭いシルエットになってくれているのではないかと…当方的には思っていたりもするのだが…

作例の制作にあたって、少なからずイメージとしての影響を受けたのが、タミヤから発売されているスケールモデル・キットの“1/16 ワールドフィギュアシリーズ No.5 『ドイツ・アフリカ軍団 ロンメル元帥』”のこの箱絵。

そこで、画者としてはカーキの上衣のつもりで描いたのだと思うが…
SF2の撮影時には、拙作もパッケージ・デザインと同様のポーズで撮影して頂いた。

当方制作の、この1/16スケール・フィギュアとの並撮もして頂いた。

【 Selbstgemachte Produkte 】
左右がシンメトリーのアラベスク模様の将官用襟章と、胸のアドラー(鷲章)はエポキシ・パテで作製した。
肩章に関しては…以前は細い紐(棒)状に捏ねたエポパテで成形していたが、当作例から金・銀色の紐を実物と同様に編んで再現している。
因みに、肩章も…左右同形ではなくシンメトリーである…くれぐれもご注意あれ!…(苦笑)

剣柏葉章付騎士鉄十字章(のち宝剣付)とセットで佩用されているフランス語で「勲功に対し」の意味を持つ…プロイセン帝政時代に制定された、金地にブルーのマルタ十字のデザインとなっているプール・ラ・メリット(Pour le Merite)勲章…通称、ブルー・マックスなどの勲章類がロンメルのトレードマークとして襟元を飾っている。
今回の作例にあたっては当時タイピンとして販売されていた金属製の鉄十字章を加工したものと、確かパスト・トイズの付属品だった…やはり金属製のプール・ラ・メリットでその襟元を飾ってみた。
そうなるとやはり剣付柏葉章も…ということで、出来得るだけ金属製のパーツ等で自作した。
※今回の設定時期では宝剣付柏葉章の受章(1943年3月11日付)前である。
因みに、ロンメルは剣付柏葉章受章(1942年1月20日付)後に上級大将に昇進している。

今では既製品でも革製のブーツが当たり前…廉価で手に入る時代となったが…これは、それ以前の…後に出回るブーツの基ともなった?ともいわれている…英国の実際の靴職人が作製したというロングブーツである。
因みに、お値段は…確か185ドル?…ポンドだったか?記憶は定かではないが、とにかくイイお値段であったことだけは記憶している。
ただ、それでも脹脛部が若干太かったので…シルエットがタイトになるように改造を施した。

ロンメルは大きく分けて北アフリカの前後でタイプの違う制帽を被っている。
1943年3月に北アフリカを離れる頃までは、クラウン(正面)部の形状が△な山型タイプのSattelform(鞍型)と呼ばれるタイプの着用が多い。
この時期は柏葉冠、アドラー(鷲章)ともに銀色タイプの金属製のものをつけている。
※将官帽章は1942年11月16日付で柏葉冠、アドラーとも銀色から金色に変更される。

ロンメルと言えば…制帽にゴーグルをつけて愛用の無線指揮車(Sd.Kfz.250/3)“グライフ(GREIF)”で北アフリカの砂漠を疾駆する姿を連想する方も多いだろう。
ロンメルのトレードマークともなったそのゴーグルは、実はイギリス製の捕獲品で…正式名称はAnti-Gas Eye Shield “Mk.II.”といい、北アフリカでの砂塵に対するものではなく、毒ガスの空中散布から目を保護する目的(効果については疑問であるが…)のもの。


ロンメルはこれを北アフリカ戦線から使用しているとの記述もあるが、フランスのシェルブールにおける1940年6月19日の写真を見ると、この時すでにMk.II.を制帽につけている。

因みに、その一週間ほど前の6月12日…サン・ヴァレリー・アン・コーで撮られた写真までは、Mk.II.をつけている姿は確認されておらず、ライツ社製のゴーグルのみを使用していたものと思われる。
従って、この間に何らかのかたち(戦利品?)で入手したものと推測される。

第7装甲師団の作戦参謀であったオットー・ハイドケンペル陸軍参謀少佐(のち陸軍中将)がMk.II.を制帽につけている写真が確認されている。
ただ、この時以降の写真では、ロンメル自身がMk.II.はおろかライツ・タイプもつけておらず…
ロンメル以下、第7装甲師団の幕僚たちの集合写真でもハイドケンペルだけがMk.II.をつけていたことなどから勝手に推測するに…
もしかしたら、ハイドケンペルがつけているMk.II.はロンメルから譲り受けた品なのではないかなどと想像を膨らませてしてしまう。
そのため、ハイドケンペルは“ロンメル”よろしく、誇らしげ?につけているのではないか…

北アフリカ戦線赴任直後と思われる写真だが、この時はMk.II.ではなくライツ社製のゴーグルを再びつけている。
【 Ergänzung 】

2011年に、前製品のリベンジとも言える“砂漠の狐”が3R/DiDからようやくリリースされたことにより、上記二頭は“永久保存頭”とさせて頂き…3R頭(改)に挿げ替えをさせて頂いている。
※首から下に変更はなく、素体はメディコム・トイのRAH301改 NAKEDを そのまま使用。

2014年のGWに開催されたBHの展示の際に、Kampfgruppe“YAS!”による『1942年6月 ロンメル軍団 / エル・アラメイン進撃準備完了!!』のロンメル役として出展をさせて頂いた時の画像。 (撮影:KAZ氏)
その際の模様はKAZ氏の写真集からご覧ください。

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カテゴリ : Mil-FIG
テーマ : WWIIミリタリーフィギュア
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