Silvester feiern!!
“大晦日”にあたる言葉を、独語では“Silvester(ジルヴェスター)”というそうで…
つまり“Silvester feiern!!”は「大晦日を祝す!」という意味になるのだそうだ。
この“Silvester”とはA.D.314年にローマ皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を公認した直後に選任した第33代のローマ教皇…シルウェステルⅠ世(PaPa Silvestro I)のことで…独語の綴りだと“Heilige Silvester I”となる。
(在位期間は314年1月31日~335年12月31日の21年11か月1日で、歴代教皇中で8番目に長い)
このシルウェステルⅠ世の亡くなったA.D.335年12月31日にちなんで、この日が特別な日として、ドイツ、オーストリア、スイス、ボスニア、ヘルツェゴビナ、クロアチア、リヒテンシュタイン、チェコ共和国、ハンガリー、ルクセンブルク、ポーランド、スロバキア、スロベニア、フランス、イタリアなどでは、祝日または少なくとも半休日となっているそうである。
因みに…
A.D.325年5月20日に皇帝コンスタンティヌスが召集した“第一回ニカイア公会議”を主宰したのも、このシルウェステルⅠ世で、キリスト教における教義としては結構重要な“三位一体”を教理(アリウス派の唯一神教論を異端と退けた)とすることが決定されたことで有名な会議なのだそうである。
この他の重要決定事項としては…こちらの方が私たちにとってはある意味、重要?な…
つまり、これ以前にはキリストが生まれた日というものが聖書に記されていなかったためいくつかの誕生日説があり…これを当時のローマで信仰されていた太陽神ミトラの誕生を祝う祭りが冬至の日にあたる12月25日でもあったことから、“12月25日”と定めたのも、この会議だったそうである…(^ ^;テキト~
2013年の大晦日…そんなジルヴェスターつながりということで…
先にも掲載したシルヴェスター・ヴェステル・シュタドラーSS少将の別画像を、本年最後にご覧頂こうと思う。
下の写真は加工したもので、おそらく戦時中にはこのようなスタイルをとることはなかったものと思われるが、剣柏葉付騎士鉄十字章を佩用したシュタドラーSS少将の勇姿を再現してみた。
シュタドラーは、SS師団“Reich”/SS連隊“Der Führer”の第5中隊長として東部戦線初戦に参加し…
1942年11月10日付で再編成されたSS装甲擲弾兵師団“Das Reich”/SS第4装甲擲弾兵連隊“Der Führer”の第2大隊長(SS少佐当時)として、1943年4月6日付で騎士鉄十字章を、同年9月15日付で同連隊長(SS中佐当時)として第303人目の柏葉章を受章している。
1943年12月12日付で白兵戦章・金章が授与され…さらに、独力による敵ソ連軍戦車2輌の破壊も成し遂げるなど、東部戦線における幾多の激戦において沈着冷静かつ的確な統率力を発揮するとともに、常に戦闘の只中で指揮を執り、規律正しく勇敢なその様は多くの兵士からの信頼を集めていた。
その勇敢さは、戦傷章・金章を受章していることからも窺える。
その後、“パンツァー・マイヤー”ことクルト・マイヤーとともに最年少(33歳)の師団長として、1944年7月15日(~7月31日)付で第9SS装甲師団“Hohenstaufen”の師団長(SS准将当時)に任官。
尚、同年10月10日(~終戦)付で再び同師団の師団長に再任している。
終戦間近の、1945年5月6日付で第152人目となる剣付柏葉章を駆け込み格上げ受章をし、更にSS少将に昇進。
ドイツの降伏に伴い、オーストリアのシュタイアー近郊で米軍に投降した。
シュタドラーは、1995年8月23日に(独)バイエルン州南西部に位置するアウクスブルク地区のケーニヒスブルンで亡くなっている。(享年74歳)
因みに、シュタドラーは1910年12月30日にオーストリアのフォーンスドルフで生まれており、この記事を書いている12月30日は奇しくも彼の生誕103年目となる誕生日でもある。

2013年も、あとわずか…それでは、よいお年を…
つまり“Silvester feiern!!”は「大晦日を祝す!」という意味になるのだそうだ。
この“Silvester”とはA.D.314年にローマ皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を公認した直後に選任した第33代のローマ教皇…シルウェステルⅠ世(PaPa Silvestro I)のことで…独語の綴りだと“Heilige Silvester I”となる。
(在位期間は314年1月31日~335年12月31日の21年11か月1日で、歴代教皇中で8番目に長い)
このシルウェステルⅠ世の亡くなったA.D.335年12月31日にちなんで、この日が特別な日として、ドイツ、オーストリア、スイス、ボスニア、ヘルツェゴビナ、クロアチア、リヒテンシュタイン、チェコ共和国、ハンガリー、ルクセンブルク、ポーランド、スロバキア、スロベニア、フランス、イタリアなどでは、祝日または少なくとも半休日となっているそうである。
因みに…
A.D.325年5月20日に皇帝コンスタンティヌスが召集した“第一回ニカイア公会議”を主宰したのも、このシルウェステルⅠ世で、キリスト教における教義としては結構重要な“三位一体”を教理(アリウス派の唯一神教論を異端と退けた)とすることが決定されたことで有名な会議なのだそうである。
この他の重要決定事項としては…こちらの方が私たちにとってはある意味、重要?な…
つまり、これ以前にはキリストが生まれた日というものが聖書に記されていなかったためいくつかの誕生日説があり…これを当時のローマで信仰されていた太陽神ミトラの誕生を祝う祭りが冬至の日にあたる12月25日でもあったことから、“12月25日”と定めたのも、この会議だったそうである…(^ ^;テキト~
2013年の大晦日…そんなジルヴェスターつながりということで…
先にも掲載したシルヴェスター・ヴェステル・シュタドラーSS少将の別画像を、本年最後にご覧頂こうと思う。
下の写真は加工したもので、おそらく戦時中にはこのようなスタイルをとることはなかったものと思われるが、剣柏葉付騎士鉄十字章を佩用したシュタドラーSS少将の勇姿を再現してみた。
シュタドラーは、SS師団“Reich”/SS連隊“Der Führer”の第5中隊長として東部戦線初戦に参加し…
1942年11月10日付で再編成されたSS装甲擲弾兵師団“Das Reich”/SS第4装甲擲弾兵連隊“Der Führer”の第2大隊長(SS少佐当時)として、1943年4月6日付で騎士鉄十字章を、同年9月15日付で同連隊長(SS中佐当時)として第303人目の柏葉章を受章している。
1943年12月12日付で白兵戦章・金章が授与され…さらに、独力による敵ソ連軍戦車2輌の破壊も成し遂げるなど、東部戦線における幾多の激戦において沈着冷静かつ的確な統率力を発揮するとともに、常に戦闘の只中で指揮を執り、規律正しく勇敢なその様は多くの兵士からの信頼を集めていた。
その勇敢さは、戦傷章・金章を受章していることからも窺える。
その後、“パンツァー・マイヤー”ことクルト・マイヤーとともに最年少(33歳)の師団長として、1944年7月15日(~7月31日)付で第9SS装甲師団“Hohenstaufen”の師団長(SS准将当時)に任官。
尚、同年10月10日(~終戦)付で再び同師団の師団長に再任している。
終戦間近の、1945年5月6日付で第152人目となる剣付柏葉章を駆け込み格上げ受章をし、更にSS少将に昇進。
ドイツの降伏に伴い、オーストリアのシュタイアー近郊で米軍に投降した。
シュタドラーは、1995年8月23日に(独)バイエルン州南西部に位置するアウクスブルク地区のケーニヒスブルンで亡くなっている。(享年74歳)
因みに、シュタドラーは1910年12月30日にオーストリアのフォーンスドルフで生まれており、この記事を書いている12月30日は奇しくも彼の生誕103年目となる誕生日でもある。

2013年も、あとわずか…それでは、よいお年を…

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カテゴリ : 3R
テーマ : 第二次世界大戦【ドイツ】
ジャンル : ブログ