白兵戦章

Die Nahkampfspange des Heeres und der Waffen SS
白兵戦章(Nahkampfspange)は、歩兵突撃章(Infanteriesturmabzeichen)の補足的意味合いを持ち、1942年11月25日付で制定された。
歩兵突撃章が一般突撃章、戦車戦闘章などの戦闘徽章のなかで戦闘参加回数による等級差がないのはこのためだとされている。
金章・銀章・銅章の3等級があり、その受章にあたっては白兵戦に規定日数以上参加することが要求された。
(金章:50日、銀章:30日、銅章:15日)
尚、戦闘により負傷した場合の規定日数は、それぞれ40日、20日、10日に短縮された。
また戦闘参加期間が8ヶ月、12ヶ月、15ヶ月に及ぶ場合は、規定日数からそれぞれから5日、10日、15日の減算がなされた。
さらに1941年6月22日のソ連侵攻まで遡及して、制定以前に戦死した受章対象者に対しては遺族に対して勲記が発行された。
白兵戦金章は極めて高位の受勲とみなされ、場合によってはヒトラー自らが直接授与することもあった。
さらに金章受章者が一級鉄十字章を受章していない場合は、同時にそれも授与される規定となっていた。

手前味噌で恐縮ではあるが…うち銅章および銀章は工兵科所属のヨーゼフ・ベッツ陸軍上級曹長に授与されたものであり、以下では銅章(右)、銀章(左)それぞれの背面の詳細について触れたいと思う。
その背面には↓のような刻印がなされており、左部が設計元、右部が製造元となっている。
銅章、銀章とも設計元は“FEC.W.E.PEEKHAUS, BERLIN”となっている。
“FEC”はラテン語の“Fecit=~製”の略で、“W.E.”は“Wilhelm Ernst”の略で…おそらくは設計元経営者の人名を冠したヴィルヘルム・エルンスト・ペーク社製であると思われる。
因みに、PEEK(Polyetheretherketone)樹脂という“芳香族ポリエーテルケトン”の一種で、熱可塑性樹脂に属する合成樹脂というものがあるのだが、これは1978年になって英国のICIというメーカーにより開発されたものであり、戦前戦中に開発されていた合成樹脂(プラスチック等)とは年代的に符合しない。
製造元に関しては…銅章が“AUSF. A.G.M.u.K. GABLONZ”…“AUSF”は“Ausführen=仕上げる、完成させる”の略で、つまりは“~の製造”を意味する。
“A.G.M.u.K.”は“Arbeitsgemeinschaft Metall und Kunstoff”の頭文字をとった略で、“金属およびプラスチック(合成樹脂)製品労働共同体”ということになろうか。
“GABLONZ”は、製造元の所在地…チェコスロバキア(現:チェコ共和国)のリベレツ州にあるガラスと宝飾品の生産地として知られている地方都市で、チェコ語ではヤブロネツ(Jablonec)と表記されるようであるが、ドイツ語ではガブロンツ(Gablonz)となる。
因みに、ガブロンツはズデーテン地方に位置し、当時ドイツ系住民が多数派を占めていたこともあり、ヒトラーは1938年9月30日のミュンヘン会談においてチェンバレン(英)、ダラディエ(仏)両首相にズデーテンラントのドイツ編入を認めさせた。
銀章の“FLL”は“Friedrich Linden, Lüdenscheid”の略で、現在はドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州に属するリューデンシャイトにあったフリードリヒ・リンデン社製である。

上記以外にも以下のような製造元が確認されている。
C.E.Junker, Berlin
F&B.L:Funcke & Brueninghaus, Lüdenscheid
H&C/L:Heymmen & Co, Lüdenscheid
GWL:Gebruder Wegerhoff, Lüdenscheid
R.S:Rudolf Souval, Wien
JFS:Josef Felix Söhne, Gablonz
刻印のない場合も以下の3社の製造元のうちのどれかである可能性がある。
Deschler & Sohn, München
Hobascher, Wilhelm, Wien
Steinhauer & Lueck, Lüdenscheid
↓の2点は先に示したヨーゼフ・ベッツ陸軍上級曹長に附与された白兵戦章・銅章(上段)および銀章(下段)の勲記。


書式としては以下のような感じになる。
Besitzzeugnis(所有証明書)
Dem (階級、氏名、所属)
verleihe ich für tapfere Teilnahme an ( ) Nahkampftagen
Die ( ) Stufe der Nahkampfspange
(勇敢なる〇日にわたる近接戦闘(白兵戦)参加に対し△等級の白兵戦章を授与する)
Ort und Datum(場所と日付)
Unterschrift(署名)
Dienstgrad und Dienststellung(階級と職務)
銅章:第127機械工兵大隊・第2中隊に所属時の1943年11月8日付で、戦地において授与。
第127工兵大隊指揮官のモイゼル陸軍少佐lによって署名されている。
(※1.gez.:gezeichnet=本人の署名であることを示すの略)
(※2.大隊指揮官副官(Adj.:Adjutant)(氏名判読出来ず“Lougeu”?)陸軍少尉による追署名あり)
銀章:第51装甲工兵大隊・第3中隊に所属時の1944年6月12日付で、大隊前線司令部(Btl.Gef.Std.=Bataillon Gefechtsstand)において授与。
第51装甲工兵大隊指揮官ハンス・ミコシュ陸軍中佐によって署名されている。
【 Ergänzung 】
●Joachim Peiper
ヨアヒム・パイパーがSS少佐(SS第2装甲擲弾兵連隊“LSSAH”・第Ⅲ大隊指揮官)任官当時に受章した銅章の勲記。

第1SS装甲師団“LSSAH”・師団前線司令部(Div. Gefechtsstand)において、1943年9月7日付で授与されている。
↓写真において佩用しているのは銀章で、銅章受章から一ヶ月半後の1943年10月20日付で同任官時に授与されている。

この勲記の署名は第1SS装甲師団“LSSAH”司令官のテオドーア・ヴィッシュSS准将(当時)によってなされている。

●Martin Däumann
SS装甲偵察大隊“Das Reich”・第5中隊所属のマルティン・ドイマンSS少佐が受章した銅章の勲記。

1944年12月9日付で、大隊前線司令部(Abt.Gef.Std.=Abteilung Gefechtsstand)において授与されたこの勲記には、第2SS装甲師団指揮官の代理(i.V.:in Vertretung)としてオットー・バウムSS准将(当時)により署名がなされている。
(但し、バウム(代理)署名の勲記に関しては偽造物が出回っていることも一応付記しておく。
因みに、この勲記に関してもその観が無きにしも非ずといったところでもある…)
『SSガイドブック』(山下英一郎氏著)によれば…バウムは1944年7月28日~“12月”までの期間、第2SS装甲師団の師団長に任官しているが、同時に1944年10月24日付で第16SS装甲擲弾兵師団“Reichsführer‐SS”の師団長に任官している。
従って10月24日以降は、次期師団長の正式就任までの“代理”として両師団の師団長を兼務していたことになる。
また、この勲記の記載が事実だとすれば、12月9日の時点でも第2SS装甲師団指揮官代理をまだ兼務していたことになる。
その後、ハインツ・ラマーディングSS少将が再任というカタチで師団長に任官し、バウムと交代するも、ラマーディングもまた短期間…1945年1月20日付をもって解任。
(ラマーディングの任期を1944年10月23日~1945年1月20日とする旨もある)
因みに、終戦までにさらに4度…ほぼ一ヶ月おきに師団長が交代するというお粗末な人事を繰り返すこととなる。


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テーマ : 第二次世界大戦【ドイツ】
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