Nahkampfspange des Heeres

2013–08–29 (Thu) 12:47
Nahkampfspange_logo

Die Nahkampfspange des Heeres und der Waffen SS

白兵戦章(Nahkampfspange)は、歩兵突撃章(Infanteriesturmabzeichen)の補足的意味合いを持ち、1942年11月25日付で制定された。
歩兵突撃章が一般突撃章、戦車戦闘章などの戦闘徽章のなかで戦闘参加回数による等級差がないのはこのためだとされている。

金章・銀章・銅章の3等級があり、その受章にあたっては白兵戦に規定日数以上参加することが要求された。
(金章:50日、銀章:30日、銅章:15日)
尚、戦闘により負傷した場合の規定日数は、それぞれ40日、20日、10日に短縮された。

また戦闘参加期間が8ヶ月、12ヶ月、15ヶ月に及ぶ場合は、規定日数からそれぞれから5日、10日、15日の減算がなされた。
さらに1941年6月22日のソ連侵攻まで遡及して、制定以前に戦死した受章対象者に対しては遺族に対して勲記が発行された。

白兵戦金章は極めて高位の受勲とみなされ、場合によってはヒトラー自らが直接授与することもあった。
さらに金章受章者が一級鉄十字章を受章していない場合は、同時にそれも授与される規定となっていた。

Nahkampfspange_Bronze_Silber_Gold

手前味噌で恐縮ではあるが…うち銅章および銀章は工兵科所属のヨーゼフ・ベッツ陸軍上級曹長に授与されたものであり、以下では銅章(右)、銀章(左)それぞれの背面の詳細について触れたいと思う。
その背面には↓のような刻印がなされており、左部が設計元、右部が製造元となっている。
銅章、銀章とも設計元は“FEC.W.E.PEEKHAUS, BERLIN”となっている。
“FEC”はラテン語の“Fecit=~製”の略で、“W.E.”は“Wilhelm Ernst”の略で…おそらくは設計元経営者の人名を冠したヴィルヘルム・エルンスト・ペーク社製であると思われる。
因みに、PEEK(Polyetheretherketone)樹脂という“芳香族ポリエーテルケトン”の一種で、熱可塑性樹脂に属する合成樹脂というものがあるのだが、これは1978年になって英国のICIというメーカーにより開発されたものであり、戦前戦中に開発されていた合成樹脂(プラスチック等)とは年代的に符合しない。
製造元に関しては…銅章が“AUSF. A.G.M.u.K. GABLONZ”…“AUSF”は“Ausführen=仕上げる、完成させる”の略で、つまりは“~の製造”を意味する。
“A.G.M.u.K.”は“Arbeitsgemeinschaft Metall und Kunstoff”の頭文字をとった略で、“金属およびプラスチック(合成樹脂)製品労働共同体”ということになろうか。
“GABLONZ”は、製造元の所在地…チェコスロバキア(現:チェコ共和国)のリベレツ州にあるガラスと宝飾品の生産地として知られている地方都市で、チェコ語ではヤブロネツ(Jablonec)と表記されるようであるが、ドイツ語ではガブロンツ(Gablonz)となる。
因みに、ガブロンツはズデーテン地方に位置し、当時ドイツ系住民が多数派を占めていたこともあり、ヒトラーは1938年9月30日のミュンヘン会談においてチェンバレン(英)、ダラディエ(仏)両首相にズデーテンラントのドイツ編入を認めさせた。
銀章の“FLL”は“Friedrich Linden, Lüdenscheid”の略で、現在はドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州に属するリューデンシャイトにあったフリードリヒ・リンデン社製である。

Nahkampfspange_02


上記以外にも以下のような製造元が確認されている。

C.E.Junker, Berlin
F&B.L:Funcke & Brueninghaus, Lüdenscheid
H&C/L:Heymmen & Co, Lüdenscheid
GWL:Gebruder Wegerhoff, Lüdenscheid
R.S:Rudolf Souval, Wien
JFS:Josef Felix Söhne, Gablonz


刻印のない場合も以下の3社の製造元のうちのどれかである可能性がある。

Deschler & Sohn, München
Hobascher, Wilhelm, Wien
Steinhauer & Lueck, Lüdenscheid


↓の2点は先に示したヨーゼフ・ベッツ陸軍上級曹長に附与された白兵戦章・銅章(上段)および銀章(下段)の勲記。
Nahkampfspange_urkunde_Josef Betz_Bronze
Nahkampfspange_urkunde_Josef Betz_Silber
書式としては以下のような感じになる。

Besitzzeugnis(所有証明書)

Dem (階級、氏名、所属)

verleihe ich für tapfere Teilnahme an (   ) Nahkampftagen
Die (   ) Stufe der Nahkampfspange

(勇敢なる〇日にわたる近接戦闘(白兵戦)参加に対し△等級の白兵戦章を授与する)

Ort und Datum(場所と日付)
Unterschrift(署名)
Dienstgrad und Dienststellung(階級と職務)

銅章:第127機械工兵大隊・第2中隊に所属時の1943年11月8日付で、戦地において授与。
第127工兵大隊指揮官のモイゼル陸軍少佐lによって署名されている。
(※1.gez.:gezeichnet=本人の署名であることを示すの略)
(※2.大隊指揮官副官(Adj.:Adjutant)(氏名判読出来ず“Lougeu”?)陸軍少尉による追署名あり)

銀章:第51装甲工兵大隊・第3中隊に所属時の1944年6月12日付で、大隊前線司令部(Btl.Gef.Std.=Bataillon Gefechtsstand)において授与。
第51装甲工兵大隊指揮官ハンス・ミコシュ陸軍中佐によって署名されている。


【 Ergänzung 】

●Joachim Peiper
ヨアヒム・パイパーがSS少佐(SS第2装甲擲弾兵連隊“LSSAH”・第Ⅲ大隊指揮官)任官当時に受章した銅章の勲記。
Nahkampfspange_urkunde_Joachim Peiper_Bronze

第1SS装甲師団“LSSAH”・師団前線司令部(Div. Gefechtsstand)において、1943年9月7日付で授与されている。
↓写真において佩用しているのは銀章で、銅章受章から一ヶ月半後の1943年10月20日付で同任官時に授与されている。
Joachim Peiper

この勲記の署名は第1SS装甲師団“LSSAH”司令官のテオドーア・ヴィッシュSS准将(当時)によってなされている。
Theodor Wisch


●Martin Däumann
SS装甲偵察大隊“Das Reich”・第5中隊所属のマルティン・ドイマンSS少佐が受章した銅章の勲記。
Nahkampfspange_Bronze_urkunde_Martin Daumann

1944年12月9日付で、大隊前線司令部(Abt.Gef.Std.=Abteilung Gefechtsstand)において授与されたこの勲記には、第2SS装甲師団指揮官の代理(i.V.:in Vertretung)としてオットー・バウムSS准将(当時)により署名がなされている。
(但し、バウム(代理)署名の勲記に関しては偽造物が出回っていることも一応付記しておく。
因みに、この勲記に関してもその観が無きにしも非ずといったところでもある…)
『SSガイドブック』(山下英一郎氏著)によれば…バウムは1944年7月28日~“12月”までの期間、第2SS装甲師団の師団長に任官しているが、同時に1944年10月24日付で第16SS装甲擲弾兵師団“Reichsführer‐SS”の師団長に任官している。
従って10月24日以降は、次期師団長の正式就任までの“代理”として両師団の師団長を兼務していたことになる。
また、この勲記の記載が事実だとすれば、12月9日の時点でも第2SS装甲師団指揮官代理をまだ兼務していたことになる。
その後、ハインツ・ラマーディングSS少将が再任というカタチで師団長に任官し、バウムと交代するも、ラマーディングもまた短期間…1945年1月20日付をもって解任。
(ラマーディングの任期を1944年10月23日~1945年1月20日とする旨もある)
因みに、終戦までにさらに4度…ほぼ一ヶ月おきに師団長が交代するというお粗末な人事を繰り返すこととなる。
Otto Baum

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Stauffenberg 《P'log移転 作例 第一弾》

2013–08–12 (Mon) 00:27
Stauffenbrg_DRAGON_Erwin Stangenberg_03

前記事に引き続き、シュタウフェンベルクを1/6スケールで再現した拙作もP'logであらためて紹介させて頂こうと思う。
HP【PEIPER's CUSTOM】上のコンテンツでは、DML(Dragon Models)から2004年6月にリリースされた第3降下猟兵師団“Erwin Stangenberg”のヘッドを、リペイントマイスターとして一世を風靡した米国のboot-25氏に塗装して頂いたものを使用していた。
現在のような“リアル・スカルプト&ペインティング”時流に1/6市場を引き込んだのはboot-25氏によるところが大である。
確かに、あの時期…それを促すように、DMLのヘッド・スカルプトが、それまでのオモチャ的なものからなかなかによくなった時期(一時的とも言えるが)と呼応していたということも一因ではあるとは思うが…
造形のみならず、それまでがベタ塗りに近いお粗末なペインティングだったこともあるのだが、彼の手により生まれ変わったヘッドたちは…まるで血の通った生身の肌かと見まごう程の質感のようにさえ思え、当時としてはかなり衝撃的であった。
某人形メーカーの謳い文句ではないが…彼が組み上げる作品たちは、お世辞にも良いとは言えない既製衣装を…ウェザリングなどを施しているとはいえ、そのままに近い状態で纏わせているにもかかわらず…そのヘッドに「命」が吹き…塗り?込まれるだけで、こうも全体的な印象が変わるものなのだということが…衣装に拘る当方にとっては驚きと感動以上にショックでさえあった。
Stauffenbrg_DRAGON_Erwin Stangenberg_01

Stauffenbrg_DRAGON_Erwin Stangenberg_02

トム・クルーズ主演の映画に合わせ、3R/DiDが(勿論、無版権による)便乗リリースをした”トム似”版ヘッドも合わせてごら頂こうと思う。
ご存知のように、現在の3R/DiDのヘッドはHotToysやEnterbayに並ぶようなレベルの高さを維持しており…
これら各社のヘッドは、マスプロ製品にもかかわらず、当時のboot-25氏の塗装以上の肌感をいともなく再現してしまっている。
Stauffenbrg_DiD_Tom Cruise_01

Stauffenbrg_DiD_Tom Cruise_02

これはヘッドのみを挿げ替えただけで、首から下は…肩章と鷲章を作成・変更した以外は制作当時のままである。(首上の制帽も…)
Stauffenberg_Brustadler & Schulterstucke_Generalstab

ただ今回…画像として見比べてみると…写真の撮り方・撮影条件ということもあるのだろうが…
若干、バーリンデン塗りの流れを汲む…“影”などの陰影・濃淡を強調して塗装されているboot-25氏のリペイント・ヘッドの方が全体的な雰囲気としてはシックリとくるようにも思える。
実際に間近で見て映える作風と、レンズを通し画像において映える作風のあり方の違いを実感するとともに、彼の手懸けたヘッドの魅力をあらためて再認識させられた。

Stauffenbrg_DRAGON_Erwin Stangenberg_05

Stauffenbrg_DRAGON_Erwin Stangenberg_06

素体はDRAGONのものをそのまま使用しているが、片手(左)だけではあるが…それも指二本を切断してはいるが…当時、造型的に気に入っていたSideshowToyのものに変更している。
またブーツはNewLine miniaturesのGerman Officer Riding Bootsを履かせている。


Valkyrie_Stauffenberg_Tom Cruise
シュタウフェンベルク役をするにあたりトム・クルーズもなかなかに研究したそうで、本人に近い雰囲気を醸し出すような努力は窺われるが、以前にも書いたが…シュタウフェンベルク本人の写真を見るにつけ、やはり2004年10月10日に長い闘病生活に終止符を打ち、惜しまれつつ亡くなられた4代目“スーパーマン”…クリストファー・リーヴにこそ、このシュタウフェンベルク役を実演して頂きたかったものである。
最近では、ようやくHotToysからリーヴ版“スーパーマン”の超絶ヘッドがリリースされており…本来ならばコチラ↓を使いたいところではあるが、如何せん“髪型”が少々そぐわず…
されど、“超絶”が故に当方如きが手を加えるには忍びなく、今回は挿げ替えを断念した。
因みに、コレ↓はHotToysの初版(2011年)となる1978年版『スーパーマン』ヴァージョンではなく、今年(2013年)リリースされた『スーパーマンⅢ』における“悪人格”版のりーヴ・ヘッドで…‘78版の“善人格”との相反を強調するために目付き(瞳)を変えたり不精髭などの塗装が施されているということもあるが、単なるリペイント版というのではなく、造形・塗装とも前作よりも若干ヴァージョンアップされてのリメイクとなっている。
Hot Toys

出来得れば、1982年製作の『MONSIGNOR(邦題:バチカンの嵐)』でのこのような↓りーヴ・ヘッドなどもリリースして頂けたらと思ってしまうのは欲張り過ぎというものであろうか…(^ ^;
Christopher Reeve


Aktentasche

Stauffenberg_bag

シュタウフェンベルクを制作するにあたり…やはり、爆弾を作戦会議室に持ち込むために持参した“鞄”も一応用意しなければということで…黒革製の“ダレスバッグ”風の鞄も制作した。
実際にはシュタウフェンベルクがどんなタイプの鞄を持っていたのかは分ってはいないが…
また映画等でも様々なタイプの鞄が用いられているようなので…
シュタウフェンベルクが手が不自由であったこともあり、片手でも簡単に開閉の出来るものの方が使い勝手が良くよかったのではなかったかという深読みと…個人的嗜好と独断と偏見によりダレスバッグ・タイプとしてみた。

ダレスバッグ
1950年に来日した米国務長官のジョン・フォスター・ダレスが愛用していた「口金式鞄」を目にした銀座の老舗鞄屋『タニザワ』がこのタイプの鞄を 「ダレスバッグ」として売り出したのが名称の由来らしいが、一般には“ドクター・バッグ”または“フレーム・バッグ”と呼 ばれている。
因みに、「革」を「包」と書く「鞄」という漢字も、実はこの老舗の創設者の閃きによる産物とのことである。


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