Deutsche Kreuz : teil 2

2012–10–21 (Sun) 01:01
DK_logomark

Deutsche Kreuz in Silber

国策推進・戦争遂行に武勲以外の側面から貢献した非戦闘員、戦闘員および民間人に対して叙勲された戦功十字章 (Kriegsverdienstkreuz:KVK)。
一概にEKとDKiGと同様の位置・意味付けとはいえないが、KVKにも対応するべく1941年9月28日付でドイツ十字章銀章(Deutsche Kreuz in Silber:DKiS)も制定されている。
その授与基準は、既にEK1(1939)もしくはEK1略章、または剣付一級戦功十字章を受章していることとされ…
また、さらに高位の騎士戦功十字章(剣のあるなしに拘らず)の授与にあたってはDKiSの受章が前提とされていた。
制定から終戦までの間に、DKiSは1,115名に授与されているとのことであるが…
その内訳は…陸軍867名、海軍105名、空軍65名、親衛隊71名、警察1名…
さらにベルトルト・コンラート・ヘルマン・アルベルト・シュペーア軍需大臣への授与、および彼の関与したトート機関に対し3個と、海運関連団体に1個という…DKiSに特徴的ともいえる授与が為され…計1,111名+4団体への授与とされている。

DKiSの正式勲記および仮所有証明書
DKiSの正式勲記および仮所有証明書。
(左)1944年12月6日付で受章したエーリヒ・ダーレ海軍中佐の正式勲記。
署名は海軍総司令官カール・デーニッツ大提督。
DKiGの正式勲記同様に海軍鷲章の空押しが為されている。
(右)1945年1月14日付で受章したDr.カール・リヒター陸軍軍医少佐(第17軍司令部付衛生将校)の仮所有証明書。
委任を受けてエルンスト・マイゼル陸軍中将が署名をしている。

Oskar Schröder_Generaloberstabsarzt und Sanitätsinspekteur der Luftwaffe
Dr.オスカー·シュレーダー上級本部軍医監(軍医大将)兼衛生部査閲長官のポートレート。
1944年3月20日付でDKiS…1945年2月1日付で剣付き騎士戦功十字章を受章している。

人数的には少ないが、DKiGおよびDKiSの両章受章者は以下の16名(HR:11名、KM:3名、SS:2名)程が確認されている。

• アルフレート・ティールマン陸軍中将 (DKiG:08.11.1944 DKiS:03.12.1942)
• ヴォルフガング・ブーファー陸軍少将 (DKiG:23.02.1944 DKiS:14.02.1943)
• エルヴィン・エドラー・フォン・ラホウゼン陸軍少将 (DKiG:20.07.1944 DKiS:15.09.1943)
• エルンスト・メルク陸軍少将 (DKiG:11.02.1944 DKiS:06.06.1942)
• オイゲン・フェリックス・シュヴァルベ陸軍歩兵科大将 (DKiG:07.12.1944 DKiS:30.10.1943)
• ハンス・ヘッカー陸軍大佐 (DKiG:19.02.1942 DKiS:19.02.1942)
• フランツ・カイザー陸軍少佐 (DKiG:01.0311945 DKiS:08.07.1943)
• ヘルムート・メーラー・アルトハオス陸軍中佐 (DKiG:15.12.1943 DKiS:30.05.1942)
• ボード・ツィンマァマン陸軍中将 (DKiG:25.09.1944 DKiS:15.02.1943)
• ローベルト・バーダー陸軍少将 (DKiG:18.03.1945 DKiS:14.02.1943)
• ユルゲン・ベンネッケ陸軍中佐 (DKiG:30.01.1945 DKiS:15.02.1943)

• パウル・ヴィリー・ツィーブ海軍技術少将 (DKiG:28.09.1944 DKiS:18.05.1944)
• 法学博士パウル・マイクスナー待命海軍少将 (DKiG:11.02.1943 DKiS:06.06.1942)
• オットー・クリューガー(海軍大尉並)特別指揮官 (DKiG:07.11.1944 DKiS:26.10.1944)

• ヴァルター・ヘルマン・ユリウス・ラオフSS(兼警察)大佐 (DKiG:07.02.1945 DKiS:20.05.1943)
• オーディロ・ロタール・ルドヴィクス・グロボクニクSS(兼警察)中将 (DKiG:07.02.1945 DKiS:20.01.1945)

DKiSとDKiGは独立した勲章と位置付けられていたが、これらを両章とも受章した場合はDKiGのみを佩用することとされていた。
但し、少なくともグロボクニクSS中将と Dr.マイクスナー待命海軍少将の両章の同時佩用↓が確認されている。
Odilo Globocnik_Paul Meixner

基本的な構造、規格サイズなどは、金環が銀環に変更されている以外はDKiGと同様であり、それを製造したメーカーもまた同様となる。
DKiS_'1' Deschler & Sohn, München

DKiS_'2' C.E. Junker, Berlin

DKiS_20_CF_Zimmerman_Pforzheim

DKiS_unknown


Fälschung und Reproduktionen

DKiSは授与数が少ないことも相まって、DKiG以上に偽物が蔓延しているようにも思える。
前頁でも既記した1957年版の改造品や、偽物?複製品?として市場では有名?なラトビア版などのように、意図・思惑は別にして…そのツメの甘さから一見して“本物ではない”と判断出来得るモノはまだしも…
本物とされるものでも、何気にきな臭さが払拭出来ないモノが多いのも事実である。
市場価格としては供給数が少ないことなどもあり、当然の如くDKiGよりも10万円以上お高く…もしくは60万円近くの価格設定のされているモノまである。
チェックポイント的にはDKiGと同様であり、そうした観点からご覧頂ければたぶん以下のようなモノには手を出されないものとは思うが…
(メーカー番号のあるなしは別に、ともにZimmermannの本物であるとクレジットされていた。)
実は↑の実物品として掲載したモノも、確実に白かと言われれば…自信を持てないところがないわけではなく…要するに、DKは…君子危うきに近寄らず…のスタンスを取る方が無難と言える代物だということである。
DKiS_sample_Fake_A

DKiS_sample_Fake_B


Stoffausführung

DKiS_Stoffausführung_Franz Barckhausen

DKiSは、その受章対象者の性格上…“布製略章”の必要性がないということなのか…DKiSにおいては製造記録、試作品なども含めた現物の存在は知られていないとする資料もあるが、以下はフランツ・バルクハウゼン陸軍砲兵科大将の制服(実物)とされる上衣であり、その右胸には…勿論、実物とされる…布製略章が縫い付けられている。
バルクハウゼンは1943年8月31日付でDKiSを受章している。
但し、バルクハウゼンの画像等の資料が乏しく、略章を実際に佩用していたかどうかが不確定なこともあり、真偽の程は定かではない。
この上衣がバルクハウゼン着用の実物、もしくは彼の上衣ではないにせよ…れっきとした実物であったとするならば…
着用者の好み等もあるので一概には断言できないが…略章を佩用するとして、私費購入品である略章にもかかわらず、被服色と台布の色の合っていない略章をはたして、あえて選択するものなのだろうか?
確かに、後付だったとしても…DKiSだけ、なぜわざわざ布製略章を縫い付けたのかということが疑問にはなってくるのだが…
因みに、襟元に剣付ルーマニア騎士十字章(ルーマニアの星)、右ポケット下にはイタリア王冠大十字章?様の大星章を佩用…さらには戦傷章金章までもを佩用させているが…
バルクハウゼンはホーエンツォレルン王家剣付騎士十字章の受章歴はあるものの、少なくとも上記三点の受章歴はない。
おそらくは服の所有者が、元々のループに合わせて、手持ちのコレクションで…それ風な組み合わせを施しただけに過ぎないとは思うが…


1957er Versionen

1957年版DKiGの金円環内が卐のない鉄十字章にすげ替えられているのと同様に…
1957年版DKiSでは、卐のない戦功十字章にすげ替えられたデザインとなっている。
こちらも、デザイン的にはイマイチ・イマニ的な観は否めない。
↓の1957年版の製造メーカーもSteinhauer & Lück社である。
DKiS_1957era versionen


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Deutsche Kreuz : teil 1

2012–10–15 (Mon) 07:07
DK_logomark

Deutsche Kreuz in Gold

Heinrich Ruhl

前線における戦闘の長期化および酷烈化にともない、その戦功に対する叙勲にあたり、既存の一級鉄十字章(Eisernes Kreuz 1. Klasse:EK1)と騎士鉄十字章(Ritterkreuz:RK)との格差が極端であったこともあり…その等級間を補う勲章の必要性も鑑み、1941年9月28日付でドイツ十字章(Deutsche Kreuz:DK)が制定された。
実質的には、EK1とRKとの中間等級的な意味合いは否めないが…
ドイツ十字章金章(Deutsche Kreuz in Gold:DKiG)は、そのデザイン・装飾・構造などからもおわかりのように、単なる鉄十字章の一等級ではない別モノとの位置付けがなされている。
勿論、DKiG授与にあたってはEK1を既に受章していることが条件ともなるが…
その、まさに“戦功”基準は…
例えば、RKが個人の、目覚しい、単一の指揮・戦功に対しても授与が為されたのに比し…DKiGは、部隊もしくは、それ以上の単位に対して、複数(一応の基準は8回程度)の指揮・戦功を挙げた者が、その対象とされたようである。
そのため、既にRKを受章している者には受章資格があったとはいうものの…
RK…もしくはそれよりも高位受章者においても、あらためてDKiGを授与されていないケースや、RK受章後に…場合によっては、数年経てようやくDKiGが授与されるというケースもあり…
極端な言い方をするならば…RKおよび、それより高位となる勲章が、受章者(個人)の栄誉を讃えた“国の誉・英雄の証”的な位置付けであるのに対し…
RK程の際立ったパフォーマンス性はないものの、一見地味でも、戦局上・作戦上・戦力維持上必要となった戦功の積み重ねを讃え、労う…言うなれば、“戦功章”の最高位的な意味合いが強い勲章のように感じられる。
その制定から終戦までの間に、DKiGは24,210名(※)に授与されているとのことであるが…
最前線で最も指揮・奮闘する尉官クラス任官時の受章が最も多かったというのも、そのことを表しているといえよう。
(※)HR:14,637名 LW:7,248名 KM:1,481名 W-SS:822名 HJ-Fhr:1名 VS:1名 Ausländer:22名
但し、大幅な増減はないものの、記録などの消失した可能性もあり不確定。

1941年10月18日付の…ハインツ・ヴェストホーフェン陸軍中尉、アルフレート・グライム陸軍少佐、アルフレート・ボトラー陸軍少佐、ゲオルク・グリューナー陸軍少佐、アントン・シュミット陸軍大佐、カール・ベッカー陸軍中将、ハンス・ケルナー陸軍中将、マルティン・ガーライス陸軍歩兵科大将↓などが、下士官~大佐だった当時に受章したのがDKiG制定後初の授与となる。

Martin Gareis_General der Infanterie

DKiG(正式)勲記

正式勲記における文言訳は概ね以下のようになっている。

総統閣下および国防軍最高司令官の名のもとに
本官は〇〇〇にドイツ十字章金章を授与するものである。
授与場所(※) 日付

(※)
高位勲章の場合は、必ずしも授与場所ということはないようで、陸・空軍の記載は国防軍最高司令本部(HQu)とされている。
海軍では、その部分の記載がHQuではなくベルリンとされているのに加え、エーリヒ・レーダー大提督(海軍元帥)が海軍総司令官を辞任したことを受け、カール・デーニッツが1943年1月30日付で大提督に昇進および後任に任官して以降のものでは“および国防軍最高司令官”の部分が割愛されている。
ただ、後述の仮所有証明書の文言においては…各軍、逆に割愛された形式の方が一般的でもあったようで、海軍自体の意図・思惑が深く反映されていた?というようなことではないものとは思われるが…

陸軍/武装SSの正式勲記 (上段)
左:1941年11月17日付で受章したエルンスト・バラァシュテット陸軍大尉(第63狙撃兵連隊/第Ⅱ大隊指揮官)の勲記。
署名は陸軍総司令官ヴァルター・ハインリヒ・アルフレート・フォン・ブラウヒッチュ陸軍元帥。
ごく初期版ということもあり、氏名等はタイプ、手書きなどではなく印字によるものとなっている。
右:1942年8月27日付で受章したジークフリート・シュヒャルト陸軍待命少佐(第226歩兵連隊/第Ⅰ大隊・大隊長)の勲記。
署名は陸軍総司令部/ヴィルヘルム・ボーデヴィン・ヨハン・グスタフ・カイテル陸軍元帥。

海軍の正式勲記 (中段)
海軍では所轄確認スタンプのかわりに海軍鷲章の空押しが為されている。
左:1942年4月23日付で受章したヨハン・ハインリヒ・フェーラー海軍中尉(のち大尉)の勲記。
フェーラーは戦争末期(1945年3月)…ドイツの軍港キールから日本に向けてドイツで潜水艦建造を学んだ友永英夫海軍技術中佐やでドイツ・イタリアでジェットエンジンを学んだ庄司元三海軍技術中佐や、ドイツ独側からの要人・技術者、新兵器および560kgの酸化ウラン魂などの積荷を輸送するための新造艦U-234の艦長として知られる人物である。
艦は1945年5月10日に大西洋上でドイツの降伏を知り、一旦は日本側両海軍中佐を中立国のアルゼンチンに送り届けようともしたが、部下の安全なる降伏を優先し、洋上にて米軍に降伏を決断…庄司、友永両海軍技術中佐は降伏するを潔しとせず自決した。
署名は海軍総司令官エーリヒ・レーダー大提督。
右:1944年7月19日付で受章したゲアハルト・ヘーバァ機関兵曹長の勲記。
署名は海軍総司令官カール・デーニッツ大提督。

空軍の正式勲記 (下段)
1944年7月23日付で受章したフリッツ・レンチュ空軍上級曹長の勲記。
空軍では所轄確認スタンプのかわりに、空軍鷲章でもなく…“ヘルマン・ゲーリング”アドラーの空押しが為されている。
文言は陸軍/武装SS版に同じ。
署名は勿論、航空大臣兼空軍総司令官 ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング国家元帥だが、空軍版勲記の場合は右下部に…「この授与を承認するものである。」旨の項目を設け、ダブルネームによる署名スタイルが執られていた。
因みに、この勲記にはブルーノ・レールツァー空軍上級大将(兼空軍人事局長)が認証者署名をしている。

Vorläufiges Besitzzeugnis
①SS戦車旅団“Groß”/ 第Ⅰ大隊・大隊長アルフレート・アルノルトSS中佐の仮所有証明書(Vorläufiges Besitzzeugnis)。
「総統閣下の名のもとに
本官はSS戦車旅団“Gross” 大隊長 アルノルトSS中佐にドイツ十字章金章を授与するものである。
国防軍最高司令本部 陸軍総司令部 1945年1月6日
陸軍総司令部 (署名:カイテル) 陸軍元帥」

②パリのヴィルヘルム・ヘーフヒェン空軍上級曹長宛の野戦郵便による仮所有証明書。
「総統閣下の名のもとに、航空大臣兼空軍総司令官は
ドイツ十字章金章を
ヴィルヘルム・ヘーフヒェン空軍上級曹長に
部局野戦郵便番号 L11 334 / パリ大菅区航空郵便
1942年9月24日付で授与された。
連隊指揮官 代理 (署名) 空軍少尉・副官」
(因みに、当郵便の差し出し年月日は1942年11月18日)

オットー・バッハ空軍少尉の妻、エリーゼ宛に送られた死後の追加授与に関する知らせ。
「件名:ドイツ十字章金章授与
妻君 エリーゼ・バッハ様 (住所)
拝啓、奥様。
総統閣下の名のもとに、空軍総司令官は、1945年3月13日付で、
貴方の夫、オットー・バッハ空軍少尉の示された幾多の並外れた勇敢さと、今戦闘における見事な最期に対し、ドイツ十字章金章を追加授与さ れました。
つきましては、勲章および証明書を同封致します。
ハイル・ヒトラー!
委任を受けて…(署名) 空軍大佐」


空軍各徽章の授与式前風景
一級及び二級鉄十字章、空軍作戦飛行徽章(偵察機、爆撃機章)、空軍搭乗員章(観測員章、無線/機関銃手章、機関銃/航空機関士章)、そして本日のメイン授与となるDKiGの置かれた陳列台…右手前にはDKiGの正式勲記も用意されている。

1944年12月_DKiG受章者一覧
A3サイズ程の紙を二つ折にして表裏併せた4頁からなる、1944年12月々間のドイツ十字章金章受章者一覧。
これは陸軍が発行した一覧のため、陸軍および武装SSの受章者のみの掲載となっている。
この一覧には戦死後受章の11名(うち武装SS:2名)を含め151名の名前が掲載され、武装SSからは、既に…もしくは後日、騎士鉄十字章受章者4名を含む24名が掲載されているが…
3頁目の↑(赤線部および拡大)にはカール・ヴォルフSS大将の名前が掲載されている。
ヴォルフは1943年9月9日付で最高級SS・警察指導者“イタリア”となり、1944年7月26日付でイタリア方面ドイツ国防軍全権委任総監 (zugl.Bevoll.Gen.d.dtsch.Wehrmacht in Italien)を兼務することとなる。
実質的なイタリア防衛の最高司令官ともなったことをうけ、1944年12月9日付でドイツ十字章金章が授与されたものと思われる。
(1945年2月に連合軍がアンチオから上陸したことをうけ、4月に師団に昇格した第29SS所属武装擲弾兵師団の司令官をも兼務)
因みに、ヴォルフは1914年版二級および一級鉄十字章の1939年版両略章(シュパンゲ)も1944年(5月29日付)になって授与されてい る。
Karl Wolff_SS-Obergruppenführer u. General der Waffen-SS


DKは“Spiegele(目玉焼き)”ともいわれるが如く…その葉環内の中央には、まさに“目玉”ともいうべきエナメル細工(七宝とは厳密な意味では違う)による独特の光沢のが、これでもかといわんばかりに冠され、そのを含め本体(ピンおよび留金部を除く)は↓のような5つのパーツから構成されている。
ドイツ十字章_構造図解

製造元としては、大統領官房認可勲章メーカー番号の若い順に、以下が確認されている。
1. Deschler & Sohn, München
2. C.E. Junker, Berlin
4. Steinhauer & Lück, Lüdenscheid(※1)
7. Paul Meyhauer, Berlin(※2)
20. C.F. Zimmermann, Pforzheim
21. Gebr. Godet & Co.,Berlin
134. Otto Klein & Co., Hanau

(※1)西ドイツ(ドイツ連邦共和国)では戦後の一時期、勲章の授与自体が禁止されていたが、1957年7月に新たな栄典制度が制定されたことに伴い、を排除、変更したカタチでの戦中授与勲章の再発行および、それらの佩用が認められることとなった。
DKも目玉となるのかわりに、中央の小さな三葉の柏葉に替えた鉄十字章が冠された。
確かに、こちらの方がドイツ“十字”章という名称にはそぐう格好にはなっているが、デザイン的にはイマイチな観は否めない。
その、いわゆる1957年版製造メーカーとして度々見かけるのが、当時も製造していたとされるSteinhauer & Lück社である。
そのため、中央部分を改造(鉄十字章をに再変更)した複製品まで出回る始末である。
Steinhauer & Lückは“L/16”というLDO番号も持っており、そのうえフルライセンスを取得していた企業であったことから、DKのみならず多くの勲章類を製造することが可能であった。
ただ当方的には、これまでに“4”Steinhauer & Lückとされる確実なDKを見たことがなく…また、当方のみならず…当時、Steinhauer & LückがDKを製造していたことを疑問視する声もあがっていることを付記しておく。

(※2)ごく初期に、ピンの外側に“7”のメーカー番号を刻字したベルリンのPaul Meyhauer社もDKiGを製造していたようだが、同社は大統領官房の通達により1942年5月に製造を中止。
(詳細等は不明。勿論、まだ未見である。)
DKiG_'1' Deschler & Sohn, München_6 rivets

DKiG_'1' Deschler & Sohn, München_10 rivets_unmarked

DKiG_'2' C.E. Junker, Berlin

DKiG_'20' C. F. Zimmerman, Pforzheim

DKiG_'21' Gebr. Godet & Co.,Berlin

DKiG_'134' Otto Klein & Co., Hanau
正面に関しては葉環部の柏葉(形状、枚数)、束帯(モールドなど)および二層構造の放射環の“様相”などで、メーカー毎の若干の違いが見て取れなくもないが…正面よりも裏面におけるパーツの固定方法の仕方(リベットの形状、数)の違いなどを見る方が識別の一助となり易い。
因みに、Deschlerは6個のドーム型リベットによる固定のモノが市場的には一般的に流通しているが、10個のドーム型リベットによる固定のモノも製造されていた。
また、後期には…各メーカーとも若干の軽量化(※)が図られることになり、Deschlerでも4個のドーム型リベットによる固定方法を採ったタイプも存在するらしいが、当方は未見である。
ドーム型リベットによる固定はC.E. JunckerやGodetなども採用しているが…
C.E. Junckerでは上下左右の4個+中央1個での固定…Godetでは左右縦並列の6個での固定方法を採っている。
一方、ZimmermannとOtto Kleinは上下左右4個のハトメ型リベットにより固定されている。
識別としては…実はこの両社は正面での判別も難しく、強いていうならば…2時、5時部の束帯の皺の様相に若干の違いが見られるようである。
ただ、これも個体差、経年差などもあるようなので判断には注意を要する。
この両社のみならず、各メーカーともメーカー番号を打刻するケースの方が多いが…
その場合は、Zimmermannでは、ピンの裏側に“20”のメーカー番号の刻字…
Otto Kleinでは、本体中央部に四角囲いで“134”のメーカー番号を浮彫りにしている。
因みに、メーカー番号の刻字がある場合…
Deschlerは“1”、C.E. Junkerは”2”を、ともにピンの表面に刻字。
Godetは四角で囲まれた“21”をピンの裏面に刻字している。

(※)
当初の放射環はトムバック(銅・亜鉛合金)により製造されていたが、それを鍍銅アルミニウムに変更することで65~70gあった総重量を20g程軽量化することが出来るようになった。
DKiG_Verleihungsetui


Fälschung und Reproduktionen 

DKに関しては、実物品として流通しているモノのなかにも偽物が少なからず存在している。
見るからに疑いたくなるようなモノでさえ実物と謳っているところもあるのが驚きである。
正面は勿論、裏面の固定方法やメーカー番号なども再現した、かなり手の込んだ偽物などもあり…実際のところ、現物を手にとってよく吟味してみないと、どちらともいえないような精巧なモノも多々見受けられる。
市場価格としては、DKiG単体であれば20万円台という…勿論、高価ではあるがRKなどに比べれば手の出ない価格帯でもないこともあり…
逆に言えば、多少お金をかけて製作しても需要があるということもいえ、偽物が出廻り易い勲章ともいえるので購入の際にはご注意頂ければと思う。
↓も、ネット上では本物として取引きが為されていたが、恐らくは偽物ではないかと思っている。
偽物もしくはグレーゾーン、および複製品にありがちなポイントは…
正面でいえば、“1941”の文字体…特に“9”が微妙に違うと思えることが多いので、その点をよく見て頂きたい。
また既記したように、柏葉と束帯の様相を確認して頂きたい。
裏面でいえば、ピン…特に本体とヒンジ部および留め具部との接合仕様が各メーカーの採っているパターンと違っていないかを確認して頂きたい。
それと、偽物?によく見受けられるのが…留め具部自体が丸棒ではなく、角棒を使用している点である。
ただ、以上のような事柄が必ずしも真偽の確証となるか否かは別にして、そのようなDKiGには手を出さない方が無難であるということである。

DKiG_Günther Heßler
ギュンター・へスラー海軍中佐
42,650トンの敵を沈める。
1944年11月9日」
…と裏面に刻まれた…当然の如く、へスラー所用の本物として流通していたDKiGでる。
確かにへスラー海軍大尉(当時)はU-107の艦長として、1941年2月から6月までの間に105,181トンに及ぶ敵艦船、商船などを撃沈し…
その戦功は、1941年5月1日付および6月8日付の国防軍名誉鑑でも紹介され…
その5月1日版で…その時点の総トン数が42,650トンに達したことが称賛・紹介されている。
6月24日付で騎士鉄十字章を受章し、9月24日に21隻目の撃沈で最終総合計スコアを118,822トンとした後に艦を降りている。
ようやくDKiGを受章するのは、なんと3年後の1944年11月9日付である。
ただ、ここで疑問なのは…なぜ42,650トンという数字を刻んだのかということ。
最終撃沈トン数ならまだしも、国防軍名誉鑑で紹介されたとはいえ…それも、その際にDKiGを受章し、それを記念して刻んだというのならば納得も行くのだが、少々不自然である。
DKiGの勲章自体を見てみると…メーカー番号などの刻字はなく…
裏面のリベット形状からは“20”もしくは“134”が推測されるが、表面の葉環(柏葉や束帯)の様相は、むしろ“1”もしくは“21”に近い。
問題となる留め具は危険な棒状であり、“1941”の文字体もあやしい。
従って、かなり黒に近いグレーのDKiGであると思われる。
↓も本物として流通していたDKiGではあるが…こちらは少々レベルが低い分、一見して偽物と判断されるものとは思うが、それ以上に刻まれた名前がビッグネーム過ぎて逆に信憑性を低くしていると言えなくもない。
DKiG_Otto Scolzeny



● Deutsche Kreuz in Gold mit Brillanten:DKiG/Br

詳細は不明だが、1942年になりDKiGのダイヤモンド章制定が検討され、ミュンヘンのRATH社に20個のサンプルが注文されたとのことである。
RATH社は大統領官房認可勲章メーカーには登録されていないことから、多数の宝石を組み込むサンプル製作にあたり…宝飾品専門の工房あたりが選定されたのかもしれない。

基本的な構造、規格サイズなどはDKiGと同様ではあるが、ピンおよび留金部も含め…本体各パーツは全て銀製。
それらの固定方法は、左右縦並列の少し大き目な6個のハトメ型リベットによる。
金葉環部には100個のダイヤモンド(計21.6カラット)が埋め込まれている。
ピンの表面には“RATH MÜNCHEN”の刻字あり。
豪華な金箔貼りが施された122.5㎜×121.5㎜×30㎜の赤革張り専用ケースに収められる。
ただ、結局のところDKiG/Brは誰にも授与されることはなかった。
RATH, münchen
DKiG_Br_case


Stoffausführung

Georg-Wilhelm Schöning

既記のように、正式なDKがかなり手の込んだ造りの勲章であったため多少重量もあり通常の佩用向きではなかったことなどから、葉環部のみをプレス加工による金属製とすることで軽量・簡略化を図った布製の略章が導入されることとなった。
これは、勤務服、戦闘服および搭乗服などの右胸(ポケット)部に台布部分の全周を縫いつけるかたちで佩用された。
正式章は全軍共通であるが、 略章に関しては各軍の被服色に対応すべく…
陸軍・武装SSに関しては、濃淡のフィールドグレイおよび戦車搭乗服用の黒、空軍は紺、海軍はそれよりも濃い紺といった、台布色を違えたタイプが用意されていた。
因みに、放射環の糸色が若干違っていたりするのは、製造元での素材(糸など)の選定によるものと思われ、基本的には台布色以外は全軍共通であると思われる。
ただ、金属製のものに比べ、略章は手作業による工程(刺繍など)が大きく出来を左右することもあり、その出来不出来は、製造元による差という以上に個体差があるように思われる。

↓が、上からHR/W-SS(濃)、HR/W-SS(淡)、Pz(黒)、LW(紺)、KM(濃紺)の略章である。
さらに、その下に裏面の画像を掲載した。
裏面は剥き出しの刺繍糸・紐、そしてピンなどを覆うための黒い保護紙が貼られている。
経年により、破れて流通するものも多いが、逆に裏側の処理が確かめられて…それはそれで、購入を検討する際の一助になるものと思う。
当然のことながら、略章においても偽物は少なくない。
因みに、金属製葉環を留めるピンは画像のような、4本の平ピンが一般的であるが、偽物などでは丸細ピンなどとなっていることがあり、そのようなモノは購入を控えた方がよいと思われる。

DKiG_Stoffausführung_HR/W-SS_FG_Dunkel

DKiG_Stoffausführung_HR/W-SS_FG_Hell

DKiG_Stoffausführung_Pz
DKiG_Stoffausführung_LW

DKiG_Stoffausführung_KM

DKiG_Stoffausführung_umkehrung_a

DKiG_Stoffausführung_umkehrung_b
この略章の裏面には“SH”もしくは“HS”のメーカーロゴが印字さ れている。
後述するラペルピンを製造した“L/57(22)”Boerger & Co.はLDO番号取得製造メーカーのうち、フルライセンス取得業社であるため、DKのデザインに付随する商品を製造することも可能かとは思うが…
“SH” もしくは“HS”のロゴに該当するメーカーを 見てみると…
例えば、Steinhauer & Lückの…“Stein”“Hauer”を“SH”とすることには無理もあるので…他の大統領官房認可勲章メーカー 番号を取得している142社のなかで該当する業社を検索してみると…
“140” Schauerte & Hohfeldと“141”Sohni, Heubach & Co.などが候補にあがる…
そのうち、Schauerte & Hohfeldは“L/54”のLDO番号を取得している。
ただ限定的なライセンスのみ取得している業者なので、はたしてDKの略章製造が許可されていたかまではわかりかね、“SH”がSchauerte & Hohfeldの メーカーロゴかは特定出来ていないので、もしご存知の方がいらっしゃればご教授頂けるとありがたい。



【 Hinzufügen 】

Anstecknadel

L/57 Boerger & Co., Berlin SO 16 Adalbertstr. 42
平服着用時などに、勲章佩用のかわりに刺した16㎜サイズのラペル・ピン。
ベルリンのBoerger&Co.製で、私費購買規格品のため勲章メーカー番号“22”ではなく、LDOコード“L/57”が裏面に打刻されている。
※L/57(22):Boerger & Co., Berlin SO 16 Adalbertstr. 42

因みに、裏面には…
「大統領官房の認可を受けて勲章および名誉章を生産しております。不良品に対して返品交換を完全保証。」旨が付記されている。

【DKiSにつづく】

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