モノグラム
Hamburg-Amerikanische Packetfahrt-Actien-Gesellschaft※(HAPAG)は、大西洋を横断しアメリカとの交易を目的に1847年に創設された海運企業で…
(※ハンブルク-アメリカ間貨物輸送船運航合資会社とでもなろうか…)
しばしば英語表記のHamburg-American Line…ドイツ語表記でもHamburg-Amerika Linieの豪華旅客船事業の名称の方が一般的なことから、その頭文字をとって“HAL” とされることも多い。

国力増大を図るうえでも商船の拡充と海軍の増強は必須であると考えたヴィルヘルム2世は、当時のドイツの地理的、つまりは海岸線の少ない不利な条件下での海上勢力拡張戦略に糸口を見出すべく、1895年6月に北海とバルト海を繋ぐキール運河の建設を指示する。
そして、その後の更なる発展に重要な役割を果たしたのが1899年にHAPAG総裁に就任したユダヤ系の海運王アルベルト・バリンで…1910年には、ハンブルク港はニューヨーク港に次ぐ世界第2位の港にまでなるのである。
因みに、バリンおよびHAPAGはドイツ海軍(軍艦)建設計画を支持し、ドイツ議会は1900年には大型海軍艦艇2隻の建造に関する艦隊法を採決している。
ドイツ海軍はその後も二度の大戦を通して大型艦による船隊を遠洋まで拡張するという戦略を目論むが…結局、北海の制海権を握れず、建造された全ての大型艦も殆んど実質的な役割を果たせないまま1943年に断念した。
さて、少々話が横道にそれたが…
今回は、まずHamburg-American Line“HAL”の客船内で使用されたロゴ入りの食器2点からご覧頂こうと思う。

上段は1910年製のガラス器のワイングラス。
下段は1935年製のカップ&ソーサーで、どちらにも“HAL”の文字をデザインしたモノグラムのロゴマークが入っている。
次に…以下のモノグラムもご覧頂こう。

これは“アドルフ・ヒトラー”連隊(Leibstandarte SS Adolf Hitler)の頭文字“LAH”から為るモノグラムで…SSVT(SS-Verfügungstruppe=SS特務隊)期に装着された…いわゆる初期型のモノグラムである。
(※この画像はクラウゼ提供によるゼップ用肩章画像をSTEINER氏のHPよりお借りしたものである。)
ご覧頂ければお分かりのように、先の“HAL”のモノグラムとかなり酷似しており…
真偽の程は定かではないが、それがもとで1939年に以下の後期型モノグラムに変更するに至ったのではという逸話のあるモノである。
#1

#2

SS上級曹長(#1)など下士官クラスはシルバーのモノグラムを…SS大尉(#2)など将校クラスはゴールドのモノグラムを装着した。(下士官以下は肩章およびタブに刺繍)
但し、1943年以降は将校クラスにおいてもシルバーのモノグラムを装着する旨の通達が出たということであるが、御多分に洩れずこれも守られることは少なかったようである。
将校用のLAH後期型モノグラム装着者とくれば、やはり彼を外すわけにはいかない!

将官クラスにおいては…国防軍、武装SSにかかわらず…特定の人物等による例外的な装着を除き、基本的にはモノグラムなどの付加物の装着はみられない。
これは将官たる者はある特定の部隊の指揮官、模範に非ずとの姿勢からかもしれない。
まぁ、なかには過去の栄光にどっぷりと漬かってやまない元帥閣下などもおられるが…(苦笑)
“LAH”のモノグラムに関しては、その知名度・人気度から…また造りが単純なこともあり偽物も多い。
実物品はプレス加工によって製造されるが、複製品やフェイクは鋳造=キャストで作られていることが多い。
以下は当方所有の複製品…といっても既に30年以上前のモノではあるが…その頃に作られた複製品はなかなかに出来の良いモノも多く…
そのため実物品として出回ってしまっているモノも存外多い。

以下は、もう10年近く前に海外のオークションに出品されていたLAH初期型モノグラム装着のSS大佐(装甲科)の肩章であるが…
確かに複製品ではあり、既出の実物品と比べると見劣りはするが、初期型モノグラムの複製品自体もなかなか出回っておらず、それなりに希少性があるものと思う。
まぁ、うっかり入札を忘れてしまったことを今でも後悔しないでもないが、確か270ドル程まで値が付いていたのではなかったかと記憶しており…現在のレートよりも30~40円も円安傾向にあったわけなので…今思えば、うっかり中の幸いだったと言えるのかもしれない…(苦笑)

【 Ergänzung 】
先に紹介した“LAH”の初期型モノグラムはヨーゼフ“ゼップ”ディートリヒSS大将(当時)用のデッドストックもしくはサンプル品とのことであるが…
ゼップのこの装着例は一般SS型肩章の着用時に限り確認されており、陸軍型肩章着用時の場合は装着例(初期型、後期型とも)は確認されてはいないものと思う。
↓の1938年…後期型への変更以前のアースグレー開襟勤務服での一般SS型肩章着用時においては…見難いかもしれないが、サンプル品同様な初期型の着用例が見て取れる。

以下は1940年にゼップがベルクホーフに招かれた際の様子で、夏季にゲッベルスの子供達と談笑する一連の映像および冬季に訪れた際にヒトラーの専属運転手エーリヒ・ケンプカ(最終階級:SS少佐)などとおさめられた映像である。
ゼップは西方戦役での勲功により1940年7月4日付で騎士鉄十字章が授与されたが、前半はその労を労うという意味もあって招かれていたのかもしれない。
この映像は若干不鮮明ではあるが、同時期(‘40)の↓の写真などからも初期型から後期型に切り替えられてからはゼップもそれに倣って後期型のモノグラムを装着していることがわかる。

モノグラムといえば“LAH”同様に知名度・人気度の高いGroßdeutschland…“GD”も忘れてはならない。
“GD”モノグラムに関しても、金属製、刺繍タイプともやはりフェイクが多い。
金属タイプの“GD”モノグラムの場合もほとんどが銀やアルミ、ジンク(亜鉛合金)、真鍮などをプレス加工して製作されている。
以下は当方所有の“GD”歩兵科所属の陸軍少尉の肩章で、素材は真鍮製と思われる。

“GD”モノグラムにおいてはシュタウフェンベルク陸軍参謀大佐らによるヒトラー暗殺未遂事件の際の功績(?)のお陰で一躍有名になったエルンスト・オットー・レーマー陸軍少将の将官用肩章における例外的な装着例を見ることができる。

レーマーは7.20事件の際に二階級特進で陸軍大佐に昇進し…その後、1945年1月31日付でドイツ国防軍における最年少(32歳)での陸軍少将に昇進、同日付で総統護衛師団(FBD)の指揮官に任官している。
将官の場合、ピプ(少将なのでピプはないが…)、その他の付加物の色調としてはシルバーが一般的だが、写真の印象ではゴールドタイプのモノを装着しているようにも見え、将校タイプをそのまま流用しているのかもしれない。

(※ハンブルク-アメリカ間貨物輸送船運航合資会社とでもなろうか…)
しばしば英語表記のHamburg-American Line…ドイツ語表記でもHamburg-Amerika Linieの豪華旅客船事業の名称の方が一般的なことから、その頭文字をとって“HAL” とされることも多い。

国力増大を図るうえでも商船の拡充と海軍の増強は必須であると考えたヴィルヘルム2世は、当時のドイツの地理的、つまりは海岸線の少ない不利な条件下での海上勢力拡張戦略に糸口を見出すべく、1895年6月に北海とバルト海を繋ぐキール運河の建設を指示する。
そして、その後の更なる発展に重要な役割を果たしたのが1899年にHAPAG総裁に就任したユダヤ系の海運王アルベルト・バリンで…1910年には、ハンブルク港はニューヨーク港に次ぐ世界第2位の港にまでなるのである。
因みに、バリンおよびHAPAGはドイツ海軍(軍艦)建設計画を支持し、ドイツ議会は1900年には大型海軍艦艇2隻の建造に関する艦隊法を採決している。
ドイツ海軍はその後も二度の大戦を通して大型艦による船隊を遠洋まで拡張するという戦略を目論むが…結局、北海の制海権を握れず、建造された全ての大型艦も殆んど実質的な役割を果たせないまま1943年に断念した。
さて、少々話が横道にそれたが…
今回は、まずHamburg-American Line“HAL”の客船内で使用されたロゴ入りの食器2点からご覧頂こうと思う。

上段は1910年製のガラス器のワイングラス。
下段は1935年製のカップ&ソーサーで、どちらにも“HAL”の文字をデザインしたモノグラムのロゴマークが入っている。
次に…以下のモノグラムもご覧頂こう。

これは“アドルフ・ヒトラー”連隊(Leibstandarte SS Adolf Hitler)の頭文字“LAH”から為るモノグラムで…SSVT(SS-Verfügungstruppe=SS特務隊)期に装着された…いわゆる初期型のモノグラムである。
(※この画像はクラウゼ提供によるゼップ用肩章画像をSTEINER氏のHPよりお借りしたものである。)
ご覧頂ければお分かりのように、先の“HAL”のモノグラムとかなり酷似しており…
真偽の程は定かではないが、それがもとで1939年に以下の後期型モノグラムに変更するに至ったのではという逸話のあるモノである。
#1

#2

SS上級曹長(#1)など下士官クラスはシルバーのモノグラムを…SS大尉(#2)など将校クラスはゴールドのモノグラムを装着した。(下士官以下は肩章およびタブに刺繍)
但し、1943年以降は将校クラスにおいてもシルバーのモノグラムを装着する旨の通達が出たということであるが、御多分に洩れずこれも守られることは少なかったようである。
将校用のLAH後期型モノグラム装着者とくれば、やはり彼を外すわけにはいかない!

将官クラスにおいては…国防軍、武装SSにかかわらず…特定の人物等による例外的な装着を除き、基本的にはモノグラムなどの付加物の装着はみられない。
これは将官たる者はある特定の部隊の指揮官、模範に非ずとの姿勢からかもしれない。
まぁ、なかには過去の栄光にどっぷりと漬かってやまない元帥閣下などもおられるが…(苦笑)
“LAH”のモノグラムに関しては、その知名度・人気度から…また造りが単純なこともあり偽物も多い。
実物品はプレス加工によって製造されるが、複製品やフェイクは鋳造=キャストで作られていることが多い。
以下は当方所有の複製品…といっても既に30年以上前のモノではあるが…その頃に作られた複製品はなかなかに出来の良いモノも多く…
そのため実物品として出回ってしまっているモノも存外多い。

以下は、もう10年近く前に海外のオークションに出品されていたLAH初期型モノグラム装着のSS大佐(装甲科)の肩章であるが…
確かに複製品ではあり、既出の実物品と比べると見劣りはするが、初期型モノグラムの複製品自体もなかなか出回っておらず、それなりに希少性があるものと思う。
まぁ、うっかり入札を忘れてしまったことを今でも後悔しないでもないが、確か270ドル程まで値が付いていたのではなかったかと記憶しており…現在のレートよりも30~40円も円安傾向にあったわけなので…今思えば、うっかり中の幸いだったと言えるのかもしれない…(苦笑)

【 Ergänzung 】
先に紹介した“LAH”の初期型モノグラムはヨーゼフ“ゼップ”ディートリヒSS大将(当時)用のデッドストックもしくはサンプル品とのことであるが…
ゼップのこの装着例は一般SS型肩章の着用時に限り確認されており、陸軍型肩章着用時の場合は装着例(初期型、後期型とも)は確認されてはいないものと思う。
↓の1938年…後期型への変更以前のアースグレー開襟勤務服での一般SS型肩章着用時においては…見難いかもしれないが、サンプル品同様な初期型の着用例が見て取れる。

以下は1940年にゼップがベルクホーフに招かれた際の様子で、夏季にゲッベルスの子供達と談笑する一連の映像および冬季に訪れた際にヒトラーの専属運転手エーリヒ・ケンプカ(最終階級:SS少佐)などとおさめられた映像である。
ゼップは西方戦役での勲功により1940年7月4日付で騎士鉄十字章が授与されたが、前半はその労を労うという意味もあって招かれていたのかもしれない。
この映像は若干不鮮明ではあるが、同時期(‘40)の↓の写真などからも初期型から後期型に切り替えられてからはゼップもそれに倣って後期型のモノグラムを装着していることがわかる。

モノグラムといえば“LAH”同様に知名度・人気度の高いGroßdeutschland…“GD”も忘れてはならない。
“GD”モノグラムに関しても、金属製、刺繍タイプともやはりフェイクが多い。
金属タイプの“GD”モノグラムの場合もほとんどが銀やアルミ、ジンク(亜鉛合金)、真鍮などをプレス加工して製作されている。
以下は当方所有の“GD”歩兵科所属の陸軍少尉の肩章で、素材は真鍮製と思われる。

“GD”モノグラムにおいてはシュタウフェンベルク陸軍参謀大佐らによるヒトラー暗殺未遂事件の際の功績(?)のお陰で一躍有名になったエルンスト・オットー・レーマー陸軍少将の将官用肩章における例外的な装着例を見ることができる。

レーマーは7.20事件の際に二階級特進で陸軍大佐に昇進し…その後、1945年1月31日付でドイツ国防軍における最年少(32歳)での陸軍少将に昇進、同日付で総統護衛師団(FBD)の指揮官に任官している。
将官の場合、ピプ(少将なのでピプはないが…)、その他の付加物の色調としてはシルバーが一般的だが、写真の印象ではゴールドタイプのモノを装着しているようにも見え、将校タイプをそのまま流用しているのかもしれない。

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カテゴリ : 3R
テーマ : 第二次世界大戦【ドイツ】
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