Das Massaker - Der Fall Kappler

2012–02–24 (Fri) 19:05
裂けた鉤十字/ローマの虐殺/ローマの最も長い一日
【 Rappresaglia / Massacre in Rome (1973) 】
『裂けた鉤十字/ローマの虐殺』ポスター

“映画”という媒体を通しての表現であれば、どうしても作り手の思い入れや作意により脚色が加えられることは致し方のないところではあるが…
そういう意味では、この映画は…リチャード・バートン演じるヘルベルト・カプラー中佐の苦悩と報復による処刑・虐殺を止めようと奔走するマルチェロ・マストロヤンニ演じるアントネッリ神父の人間ドラマも含め…それなりにしっかりと描かれている作品といってもよいかもしれない。
いつもの如く内容、詳細等に関してはご容赦頂き、興味を持たれた方はご自身で検索もしくは是非ご覧頂ければと思う。



…ということで、少々派生した話題のみ…
この映画の主人公でもあるヘルベルト・カプラーSS中佐(日本語字幕ではなぜか“大佐”)は実在の人物で…
1943年9月8日のイタリア無条件降伏後…
同月12日にオットー・スコルツェニーSS大尉(当時)らに救出されたムッソリーニを首班として樹立された“ファシスト共和国”下の北イタリアにおいて警察権などを持ち…
またイタリアにおけるユダヤ人強制移送にも重要な役割を持っていた人物である。
カプラーは国家保安本部第6局(SD外国局)に所属しており、ムッソリーニ救出…“Eiche(柏)作戦”にも、その立案・計画・組織化等に深く関わっていた人物のようである。
(※第4局(秘密国家警察:ゲスターポ)ではない)
この第6局は海外情報部、国防軍情報部など全ての諜報活動を掌握する部署にまで拡大しており、1942年7月から…若干32歳にして、その局長に就いたのが…
戦時中、ココ・シャネルと浮名を流したということでも有名なヴァルター・シェレンベルクSS大佐(のちSS少将)である。
因みに、スコルツェニーら特別部隊による準軍事的特殊任務および破壊、諜報活動などには第6局が深く関与していた。

さて話を戻し、この映画の題材ともなっているのが…
1944年3月24日、ローマ郊外のフォッセ・アルデアティーネの洞窟内で行われた虐殺…
いわゆる“アルデナティーネの虐殺”である。
事の発端は、その前日のファシスト党の記念日でもあった3月23日午後…
ローマ市内を定時巡察するSS警察連隊“ボーゼン”第3大隊/第11中隊の156名がラッセラ街に差し掛かった際に…
パルチザンによってゴミ運搬車に仕掛けられた12㎏と6㎏の計18kgの爆薬により…
32名が即死、重軽傷(うち1名がその後死亡)者77名という惨事が起こった。
(※最終的な死亡者数:42名)
これに激怒したヒトラーは「24時間以内に死亡したドイツ兵1名に対しイタリア人50名を処刑(処刑対象人数:1,650名)…ラッセラ街全域も焼き払え」という無謀な命令を出す始末。
最終的には、東部戦線における報復処刑者対象比率ともなっていた「1:10」を適用することでケッセルリンクはなんとかヒトラーの了承を取り付ける。
拘留中の政治犯、パルチザン、反ナチス・反ファシスト主義者…それでもまだ足りず…結局、ユダヤ人(約70名)からも選別し…330名の“処刑者リスト”を作成した。
この…“シンドラーのリスト”ならぬ“カプラーのリスト”のリストアップ、一連の処刑任務における指揮を執ったのがカプラーであった。
結局、処刑の場となった洞窟に連行されて来たのは…手違いもあり、リストには記載されていない5名も含まれていたが、結局335名全員が処刑されている。
劇中ではカプラー自身も洞窟に赴いているが、実際のところは…現場で指揮を執らされたのはエーリヒ・プリーブケSS大尉である。
1948年5月3日に行われた、敗戦後のローマ軍事法廷においてケプラーはこの虐殺指揮の責任・罪により終身刑が言い渡された。
ところが、末期癌であることが告げられた直後の1977年8月15日にナポリ刑務所を脱獄…
その翌年2月9日に生まれ故郷であるシュトュトガルトで…獄中結婚した妻と息子に見守られ亡くなったとのこと…享年70歳。
Herbert Kappler
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ミニチュア帽

2012–02–22 (Wed) 02:22
2/22…ニャンニャンニャン♪の猫の日に相応しく…先ずは…
元祖“駅長猫”といわれる岡山県美咲町の旧 片上鉄道/吉ヶ原駅の“コトラ”くん…
福島県会津若松市の会津鉄道/芦ノ牧温泉駅の名誉駅長、猫の“ばす”ちゃん…
そして、和歌山県紀の川市の和歌山電鐵/貴志駅…三毛の“たま”ちゃん…
…など、各地で駅長猫に就任した(させられた?)猫ちゃんたちは皆、人気者で…
招き猫ぶりを発揮して経済効果をも生み…
まさに、借りたその“猫の手”は各地域を盛り上げるのにも一役買っている。
それだけに、皆…ちゃんと駅長帽を誂えてもらっているようで…
それも何気にちゃんと作ってあったりする。
駅長猫
たぶん、彼らの駅長帽は…スケール的には正確な縮小ではないかもしれないが…
おそらくは頭周囲20cm程とすれば…約1/3スケールということになろうか。

そんな、“ミニチュアの駅長帽”というキーワードを検索していたところ…
パンジャマらみー氏という方のブログに掲載されているこんな帽子↓がヒットした。
JNR駅長帽
これは国鉄時代の駅長帽を1/2スケールで再現したモノのようで…
1972年(昭和47)の新橋~横浜間鉄道開通100年を記念して製作されたノベリティ・グッズではないかとのことである。
その際に…詳しいことはわかりかねるが…時代等の違う三点を含む…計四点セットの駅長帽として製作されたようだ。
まぁ、ココでいろいろ書くよりは直接↓よりパンジャマらみー氏のブログをご覧頂ければと思う。
アモーレ番長 男泣かせブログ


因みに、ミニチュアまたはマスコット的な縮尺ヘッドギアは…
駅長帽に限らず、F1やGPレーサーなどのヘルメットなどもあるようだが…
それらは概ね1/2スケールが一般的だったりするようである。
まぁ、ちょうどインテリアとして飾っても…そぅ邪魔にもならず、見栄えもするスケールということになるのかもしれない。

やはり鍔付帽…制帽とくれば独軍モノを外すわけにはいかない!
…ということで、いろいろ検索をかけてみたところ…
戦時中、ミュンスター(Münster)にあった帽子職人ヨーセフ・グラノフスキー氏の工房が製作した1/2スケールの空軍将校制帽↓がヒットした。
Josef Granowsky Luftwaffe Officer's Visorcap
Josef Granowsky Luftwaffe Officer's visorcap_sample

キャプションには…当時、セールスマンがお得意様廻りをする際に携帯した商品サンプルとのことであるが…
1/2スケールの商品サンプルというのも、あまり意味をなさないような気もするので…
おそらくは、↑の国鉄駅長帽同様…グラノフスキー工房の技術力の高さをアピールする意図も含め…お得意様への贈答用もしくは店舗ディスプレイ用、またはインテリア用のマスコット制帽として製作したという方が妥当なようにも思われる。
↓も、やはりグラノフスキー製の…こちらは陸軍将官制帽である。
こちらもスケールが小さくなったこともあり、多少甘さは目立つものの帽章類などもそれなりに銀モール糸による手刺繍で施され、なかなかの出来である。
チンコードに関しては、空軍将校制帽よりも、陸軍将官制帽の方がしっかりとした出来の物が装着されている。

Josef Brannowsky_miniature cap_WH_general_01

Josef Brannowsky_miniature cap_WH_general_02

Josef Brannowsky_miniature cap_WH_general_03


そういえば、国内…広島県呉市には精巧なミニチュア帽も製作してくれる“高田帽子店”という1913年(大正2)創業の帽子専門店がある。
その土地柄…戦前戦中は帝国海軍御用達…それも、山本五十六が中将時代に自ら来店したという由緒ある?店だそうで、現在は海上自衛隊の帽子なども作っている。
また、そうした経緯から呉の観光ルートの一つにもなっているようで…
その際のお土産品にもなっているのがミニチュア帽のようである。
実は、このお店には12年程前に実物独軍制帽の修理をお願いしたことがる。
その時は…記憶違いかもしれないが…確か、帝国海軍の士官用ミニチュア軍帽(紺)も商品化されていたのではなかったかと思うが…
(この写真のように…士官用軍帽のサイズは2/3スケール?だったかもしれないが…)
現在は1/2スケール?ミニチュア帽は…おそらく、帝国海軍水兵帽と、海上自衛隊の制帽だけのようであるが…不確かな情報なので、購入希望の方は直接お問い合わせ頂きたい。

高田帽子店
〒737-0046 広島県呉市中通1丁目-10
TEL:0823-21-5026

因みに、2008年(平成20)制作のNHK広島開局80年ドラマ「帽子」で…
緒形拳演じる帽子職人・高山春平はこの高田帽子店のご主人がモチーフとなっており…
ドラマのなかでは“ミニチュア(水兵)帽”が重要な役割も果たしている。

< 2017年2月22日 追記 >

ミニチュア海軍軍帽_01
2014年3月末頃に、たまたまオークションに出品されていた↑のミニチュア海軍軍帽を入手。
ほとんど注目されることもなく、誰とも競わずに…なんと、たったの1,000円という破格の値段で落札をしたのだが…
この精巧な造りから、おそらく既記した高田帽子店製造の品ではないかと思っている。

ミニチュア海軍軍帽_軍帽前章
軍帽前章も…金モール糸刺繍による葉冠は勿論、金属製のミニチュア錨、錨座円廊および桜花弁も手を抜くことなく造られていて素晴らしい。

ミニチュア海軍軍帽_02
手前の(階級)襟章は、神風特別攻撃隊第五御盾隊の…当時の上官であった成瀬海軍中尉という人物から遺族に返還されたという品。
(死後昇級のため、元々の海軍中尉の襟章に桜章を追加とのこと)

こうした素晴らしい一品を目の当たりにすると、そろそろ制帽とはいかないまでも、(旧)野戦帽あたりでも作ってみようかという気分にはなってくる。
まぁ、いつになるかはわからないが…完成の暁には是非またココで紹介でもさせて頂こうかと思っている。


【 Hinzufügen 】

ミニチュア制帽ということで…画像フォルダを漁っていたら…手前味噌で恐縮だが…
2003年『カスタムのすすめ』で“フィギュアカスタマイザー列伝”として採り上げて頂いた際の撮影画像↓が…やはり1/6スケールでは帽子単品だと思った以上に小さく…これだけで飾っておくとゴミに紛れてなくしそうである。
まぁ、やはりこのサイズはフィギュアに被せてナンボといった観は否めないかもしれない。

『カスタムのすすめ』_フィギュアカスタマイザー列伝_2003

帽子考帽

2012–02–19 (Sun) 04:52
今回は先ず、以下URLにて…STEINER氏が自身のHPでご紹介くださっている…当方が所有していた“陸軍装甲科将校用制帽”の末尾に…
<参考>資料として掲載されている『Offizier Kleiderkasse 1936/37』の価格表からご覧頂きたい。
http://steiner.web.fc2.com/uni/m/m03/m03.html
※Offizier Kleiderkasse:“将校被服売場”とでもなろうか。

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トップ生地:最高級エスキモー(極厚ドスキン生地)製
金属製帽章付き
チンコード無し
人絹内装/Sonderklasseマーク入り/エレガントなフォルム
価格:6.90RM

アルミ製チンコード:1.75RM
チンコードボタン(アルミ色/金色共):1個 0.05RM

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上記中の“RM”はライヒスマルクのことで…
1924年8月30日~1948年6月20日まで使用されたドイツ国の公式通貨である。
WWI後の超インフレの引き金ともなったパピエルマルクと呼ばれる超高額紙幣の増発政策に対処するために…先ずレンテンマルク、そして新法定通貨であるライヒスマルクが追加発行されることとなった。
因みに、レンテンマルクは1934年までに全てライヒスマルクに置き換えられることとされていたようだが、実際にはその後もレンテンマルク紙幣が発行され1948年まで併用されていた。

さて、そのRMを現在の“円”に換算してみるといくらぐらいになるのか?
1940年の為替レートは…一圓=0.581RM(※一圓=0.23437$)とされており…
1RMは一圓72銭前後と換算される。
それを日本銀行が算出した、1940年の我が国の物価指数から割り出して、現在の通貨価値(年次により変動あり)に換算した金額にあてはめてみると…
1940年当時の一圓は現在の4051.80円≒4,000円程と思われる。
(※1944年の一圓は現在の286718円≒2,870円程)

因みに、将校用アルミ/銀チンコードを装用した…
上記制帽のイメージが↓の「陸軍工兵科将校制帽 / ”ザッテルフォルム(D)” 」に相当するものと思う。
これが8.45RM(6.90RM+1.75RM+0.05RM×2)ということは、現在の価格にすれば58,136円と…
高級レプリカ品を特注するよりも高値…というより、制帽によっては…さすがに工兵科のモノは無理だが歩兵科あたりであれば現在の実物品価格相場ともそう大差はない値段ともいえる。

価格表には帽章のみ価格も設定されていたようで…
金属製鷲章:0.30RM(=2,064円)
金属製柏葉冠/コカルデ章:0.40RM(=2,752円)
モール製柏葉冠/金属製コカルデ帽章:2.30RM(=15,824円)
総モール製柏葉冠/コカルデ帽章:2.90RM(=19,952円)

勿論、これはあくまでも当時の物価から算出したものであり、必ずしも現在の物価、市場価格などとリンクしているわけではないが…
共に金属製のセット価格は奇しくも現在のレプリカ品などのセット価格とほぼ同じ位…
後二点は…このタイプの実物品市場価格よりも少々高値ということになってしまうようだ。

但し、これは公売所価格のようなものであろうから…
テーラーメイドの場合は、もう少しお高かったものと思われる。
<参考>資料では紹介されていなかったが…
トップ生地もウールラシャ、ウールフラノやトリコットなどの場合は、既製品or特注品の何れにしてもドスキンで仕立てたよりは本体価格が多少は安かったものと思われる。
また、“(旧)野戦帽”(1938年に支給が廃止されている)の本体は…基本、ウールラシャ生地であり、帽章類はBevoタイプのものであるので…
そのうえ、“(旧)野戦帽”でも革製鍔ではなく、共布製の鍔のモノは更に低価格だったものと思われるが…現在では、その実物品市場価格は大きく逆転している。


それでは、上記項目などにも絡めて…今は、既にもう手元にないモノもあるが…所有していた経緯のある帽子の幾つかも合わせて紹介させて頂こうかと思う。

【 WH Pioniere Offiziers Schirmmütze 】
陸軍工兵科将校制帽_01
陸軍工兵科将校制帽 / “ザッテルフォルム(D)”
トップ生地:淡緑がかったフィールドグレーのドスキン生地
鉢巻:ダークブルーグリーンウール生地
金属製 鷲章+金属製 柏葉冠/コカルデ章
陸軍工兵科将校制帽_02
※クラウン部分の形状が鈍(D)なザッテルフォルムの制帽である。
金属製の柏葉冠の素材はアルミ合金製ではなく、おそらくは…戦争末期によくみるZink(亜鉛)合金製と思われる。


【 WH Generals Schirmmütze 】
陸軍将官制帽_01
陸軍将官制帽 / “ザッテルフォルム(D)”
トップ生地:青緑がかったフィールドグレーのドスキン生地
鉢巻:ダークブルーグリーンウール生地
金属製 鷲章+金属製 柏葉冠/コカルデ章
陸軍将官制帽_02
※クラウン部分が高く、全体的なフォルムも将官然としており…またその作り、素材とも丁寧で高級感のある制帽となっている。
因みに、将官用帽章は1942年11月16日付で鷲章、柏葉冠ともに銀色から金色のモノにすることとなった。


【 WH Infanterie Offiziers Schirmmütze 】
陸軍歩兵科将校制帽_01
陸軍歩兵科将校制帽 / “ザッテルフォルム(S)”
トップ生地:青灰がかったフィールドグレーのドスキン生地
鉢巻:ダークブルーグリーンウール生地
金属製 鷲章+モール刺繍製 柏葉冠/金属製コカルデ帽章
陸軍歩兵科将校制帽_02
※クラウン部分の形状が尖(S)なザッテルフォルムの制帽である。
この角度から見るとかなりの尖にも見えるが、正面から見ると適度であり…
フォルム的には…例えるならば、アフリカにおけるロンメルの制帽のイメージに近い。


【 WH Artillerie Offiziers Schirmmütze 】
陸軍砲兵・突撃砲兵将校制帽_01
陸軍砲兵・突撃砲兵将校制帽 / “ザッテルフォルム(D)”
トップ生地:緑がかったフィールドグレーのギャバジン生地
鉢巻:ダークブルーグリーンウール生地
モール刺繍製 鷲章+モール刺繍製 柏葉冠/金属製コカルデ帽章
陸軍砲兵・突撃砲兵将校制帽_02
※おそらくはOMによる帽子と思われ、トップ生地は光沢感のある緑がかった高級なギャバジン生地仕立てとなっている。
この生地は、例えばカイテルのような高級将官などの制服生地として用いられているタイプにも似ており…帽子の素材としてはあまり例がないのではないかと思う。
モール刺繍製の鷲章もかなり丁寧な作りのモノをセレクトしているが…それ以上に、柏葉冠の台布は丁寧にカットされ、更にその縁どりを銀モール糸によって綺麗に処理するなど、依頼主・持ち主の拘わりが感じられる制帽である。


【 WH Panzertruppe Offiziers Schirmmütze 】
陸軍装甲科将校制帽_01
陸軍装甲科将校制帽 / “ザッテルフォルム(S)”
トップ生地:淡緑がかったフィールドグレーの太畝トリコット生地
鉢巻:ダークブルーグリーンウール生地
モール刺繍製 鷲章+モール刺繍製 柏葉冠/コカルデ帽章
陸軍装甲科将校制帽_02
※この帽子は既記したように、STEINER氏のHPでご紹介して頂いているシェレンベルク社製の制帽である。
購入時には、その解説にもあるように金属製の鷲章が後着けされていたが…その日焼け跡などから初着けはモール刺繍製の鷲章であったことが推測され…モール刺繍製の中央帽章と、その銀モール糸の太さ、質感、刺繍の出来、サイズなどを考慮し、セレクトした鷲章を追加購入し装用させた。
これにより、少しは着用者であったと思しきアフルバン(?)陸軍少佐の…着用当時の雰囲気に近付けられたものと思うのだが…
詳細に関しては下記URLからコンテンツをご覧頂ければと思う。
http://steiner.web.fc2.com/uni/m/m03/m03.html


【 WH Infanterie Offiziers oder unteroffiziers Feldmütze älterer Art 】
陸軍歩兵科(旧)野戦帽_01
陸軍歩兵科(旧)野戦帽
トップ生地:淡緑がかったフィールドグレーのドスキン生地
鉢巻:ダークブルーグリーンウール生地
Bevo製 鷲章(初期型)+Bevo製 柏葉冠/コカルデ帽章(初期型)
陸軍歩兵科(旧)野戦帽_02
※おそらくは高位階級者向の(旧)野戦帽と思われ、トップ生地は高品質のドスキン生地仕立てとなっている。
そのうえ鷲章、柏葉冠/コカルデ帽章ともに初期型(1934年型)のBevo製帽章類が装用されていることもあり…1934年頃の初期製作品、もしくは後年であれば依頼主・持ち主の拘わりが感じられる野戦帽である。
何れにしても、こうした高級感と希少性の揃った“クラッシュキャップ”は最近ではなかなか目にすることが出来なくなってきている。


【 WH Kavallerie Offiziers oder unteroffiziers Feldmütze älterer Art 】
陸軍騎兵科(旧)野戦帽_01
陸軍騎兵科(旧)野戦帽
トップ生地:緑がかったフィールドグレーのウールラシャ生地
鉢巻:ダークブルーグリーンウール生地
Bevo製 鷲章+Bevo製 柏葉冠/コカルデ帽章
陸軍騎兵科(旧)野戦帽_02
※この帽子に関しては、以前「緒正しき馬の骨」の頁でも紹介させて頂いているが…
第5騎兵連隊由来の将兵たちによって冠された伝統記章の髑髏章を正面に装用している。
勿論、戦後の後付けではなく希少性がある。
官給(既製)タイプの(旧)野戦帽は、生地パーツの段階で既に帽章類が縫い付られていることがあり、その場合はこの帽子のように鉢巻部のパイピングの下に中央帽章の縫い目がくることになる。
↑の陸軍歩兵科(旧)野戦帽の中央帽章は製品として組まれた後に縫い付られたもので、比較してご覧頂きたい。
また、革製鍔も切りっぱなしの状態ではなく、縁どり加工が施されている。


【 W-SS Offiziers oder unteroffiziers Feldmütze älterer Art 】
武装SS将校・下士官(旧)野戦帽_01
武装SS将校・下士官(旧)野戦帽
トップ生地:灰色味の強いフィールドグレーの“イタリアン”サージ生地
鉢巻:黒ラシャ生地
金属製 SS鷲章+金属製 SS髑髏章
武装SS将校・下士官(旧)野戦帽_02
※イタリアの降伏に伴い‘43年後半頃より使用されることが多くなったサージ生地…いわゆるイタリアンサージと呼ばれるものである。
この生地は少々厚手で、固めで、しかも湿気の多い日本では湿気を含んで余計に重く感じられるという厄介な生地だが…個人的嗜好であるが、このイタリアンサージ生地で仕立てられた…帽子といわず、勤務服やズボンには何故か惹かれてしまう。
SSの場合は、(旧)野戦帽用の帽章類などが用意されていなかったこともあり…
SS鷲章、SS髑髏章などは、比較的簡単に装着できる金属製の組み合わせが多かったようにも思えるが、モール糸刺繍製のSS鷲章やSS髑髏章(襟章用をカット)、Bevoタイプなどによる各人好みの組み合わせ例もあった。


【 SS Offiziers Schirmmütze 】
SS将校制帽_01
SS将校制帽 / “ザッテルフォルム(S)”
トップ生地:灰緑がかったフィールドグレーのの太畝トリコット生地
鉢巻:黒コットン製ベルベット生地
金属製 SS鷲章+金属製 SS髑髏章
SS将校制帽_02
※武装親衛隊、もしくはSSアースグレー開襟服着用時のSS将校用制帽。
クラウン部分が反り、またサイドに垂れたフィールドスタイルとなっているため、この角度から見るとクラウン頂部が鈍にも見えるが、実はなかなかに尖なザッテルフォルムの帽子である。


【 Luftwaffe Offiziers Schirmmütze 】
空軍将校制帽_01
空軍将校制帽 / “ザッテルフォルム(S)”
トップ生地:LWブルーの太畝トリコット生地
鉢巻:空軍用光沢タイプ黒色人絹製モヘア
モール刺繍製 LW鷲章+モール刺繍製 LW柏葉冠/コカルデ帽章
空軍将校制帽_02
※クレメンス・ヴァーグナー社製のクラウン部分の高いザッテルフォルム(S)の制帽である。
言うまでもないことであるが、LWの場合は…将校以上は兵科に関係なくパイピングはアルミ製の(金or銀)打紐となっている。
Offizieranwärter(士官候補生)のうち、“少尉”昇進間近の下士官たちのなかには、兵科色のパイピングの入った制帽に撚紐タイプのチンコード(初期には銀糸製、アルミ糸製、後期にはツェロン(ナイロン)製などが普及する)を装用する者を極稀に見ることがある。
そのチンコードは、LWの場合は将官、将校、下士官以下に関わらず…連合国側軍帽を評する時に使われる“50 Mission look”…要するに、両サイドが垂れ下がった…使い込まれた感のある帽子…ドイツ陸軍・W-SSで言えば“クラッシュタイプ”の帽子においてもチンコードを装用しないということはなかったようである。
また帽章においては、将校以上の場合…夏(白)帽において、金属製のLW鷲章に替える場合以外…は、両帽章ともにモール刺繍製(もしくはコカルデ章のみ金属製)の…↑に倣えば…高価な帽章を装用する者が多かった。


《 Hinzufügen 》

【 WH Offiziers Einheitsfeldmütze 】
陸軍将校M43規格帽_01
陸軍将校統一規格野戦帽
生地:フィールドグレイの“イタリアン”サージ生地
フラットワイヤーBevo製 一体型 陸軍将校規格帽用 鷲章+コカルデ帽章
陸軍将校M43規格帽_02
※“Einheits”の訳を“統一規格”と意訳することから「規格帽」と称され…
また1943年6月11日付で制定されたことにより「M43帽」ともいわれている。
この場合の“Einheits”の訳は「統一」という意味と、別訳の「部隊」とを合わせたニュアンスであると思われ…
つまりは、陸軍、空軍、W-SSにおける帽子の規格を統一した形状の野戦帽ということで…
くどい言い方にすれば“全部隊統一規格野戦帽”とでもなるのかもしれない。
この帽子の原型は元々は山岳部隊が使用していた山岳帽とされ、それまでの庇のない舟形帽の不満点を解消する意味において非常に好評だったため、1942年型略帽にバイザーを付加するカタチで開発された。
折り返し部分をひろげ2個のボタン留めすることで、顔面周囲の防寒対策も兼ね備えている。
この帽子もまたイタリアンサージ生地仕立てのOMと思われる、しっかりとした作りで…一体型帽章の縫い付け縫製なども丁寧に施されている。

やっぱり将校が好き…

2012–02–11 (Sat) 12:01
やはり、私的には、“制帽、(詰襟)勤務服、乗馬ズボン&長靴”のトリロジーに対する思い入れが強いようで…
今回紹介するような将校然とした姿に、どうしても目が行ってしまう。

Bernard Sauvant und August Seidensticker
この写真の左から二人目の勤務服姿の人物はベルンハルト・ザォヴァント陸軍少佐(最終階級:大佐)で…
ザォヴァントは第36戦車連隊第Ⅰ大隊の指揮官として…
特に、1942年11月~1943年1月のスターリングラード攻防戦の終盤戦においては“戦闘団ザォヴァント”を編成してめざましい功績をあげたようで…
9月13日付でのドイツ十字章金章受章に引き続き、11月30日付で騎士鉄十字章を受章。
そして1943年2月からは新たに編成された第505重戦車大隊の指揮官として任官し…
ツィタデレ作戦での功により1943年7月28日付で第260番目の柏葉章を授与されている。
その半月程後の8月13日に重傷を負い、陸軍最高司令部予備役中佐として一時退任するも、1944年9月に再び第36戦車連隊の連隊長として復帰し、終戦までクーァラントでの戦闘に参加…1945年5月8日にリバウ(リエパーヤ)にてソ連軍に降伏している。

撮影時期は、襟元に柏葉章を佩用していることから、おそらく1943年8月初旬に撮られたものと思われる。
また、左胸にはリボン付の状態でルーマニアの勲章であるミヒャエル(ミハイⅠ世)勇敢章3級を佩用していることから、この写真はこの勲章の授与後に撮られたものと考えると…
柏葉章受章の際は戦車搭乗服姿での記念撮影がなされているので、逆に…外国勲章授与ということで勤務服着用も頷けるかと…
因みに、彼の左隣の戦車搭乗服姿の騎士鉄十字章受章者は、第504重戦車大隊の指揮官のアォグスト・ザイデンシュティッカー陸軍少佐かもしれない?
ザイデンシュティッカーだとすれば…
彼はこの写真の撮られる半月程前の7月18日付で騎士鉄十字章を受章している。

以下の二枚は、その詳細等に関しては不明であるが…
おそらくは戦前…少なくとも‘30年代に撮られたものであろうと思われる。

WH_major_1935
この写真は、ハノーファー行と思われる汽車の…とある停車駅でのショットと思われる。
ハノーファーといえば…
戦時中は、第4軍の司令部、そして陸軍士官学校などが置かれていた。
因みに、第4軍の前身である第6軍集団司令部が1938年11月24日付でハノーファーに置かれ、ギュンター・フォン・クルーゲ砲兵科大将が1938年12月1日(~1939年8月1日)付で司令官となっていた。
来るべき開戦を見据えて軍の再編が急がれ、第6軍集団司令部を基に第4軍が編成されるにあたり、クルーゲは8月26日付で第4軍司令官に任官、1939年9月1日に始まったポーランド侵攻作戦において初動し、10月1日付で陸軍上級大将に昇進している。
その翌年の5月に始まった西方戦役でのアルデンヌ攻勢の戦功により、1940年7月19日付で陸軍元帥に昇進している。
その後に関しては…また機会があればその折りに…ということで今回は割愛する。
Günther

話はだいぶ逸れたが…
この将校御一行はそれら司令部もしくは陸軍士官学校あたりに向かう途中とも考えられたが…
ただ、客車の国章を見ると…まだ鉤十字のないワイマール鷲となっており…
つまり、既記したように…
1935年3月16日にヴェルサイユ条約軍備制限条項の破棄(再軍備)が宣言され、ライヒスヴェーアからヴェーアマハトに改名された後の1935年5月1日付で国防軍は軍帽と軍服左胸ポケットの上に主権紋章となるアドラー(鷲章)を表示する事とされており、皆の右胸にはブルストアドラーの着用(国防軍内では正式着用規定時期以前の1934年に採用が始まっている)が見られることから、国章の変更時期とを鑑み1935年代前半頃に撮られたものとも推測できる。
写真を見ると…
左から二番目の旧野戦帽にライヒスへーア型ともいわれる(詰襟)勤務服を着た陸軍少佐が、やはり何といっても格好いい!
因みに、1934年に制定されたこの“野戦帽”に着けられた帽章用の鷲章は…確かなことは言えないが…鷲の輪郭がうっすら明るく見えるので、ライトグレー地にオフホワイトの糸で織られた、やはり1934年型の初期タイプのものだと思われる。
また左手前の副官飾緒を着けた陸軍少尉も合わせて、中央帽章は旧野戦帽用のBevoタイプのものではなく、モール刺繍製柏葉章に金属製コカルデ帽章のタイプのように見受けられる。
この二人…共に煙草を燻らせているが…
上官である陸軍少佐よりも、副官の陸軍少尉がシガーというところが何とも…


WH_ Oberstleutnant
この写真は、年代特定をする材料が乏しいが…↑の写真同様に斜革着用率が高いこともあり…
ただ、こちらの方が↑の撮影時期よりは年代が新しいかもしれない。
やはり、この写真でも中央で腕組みをするザッテルフォルム型の制帽に、ライヒスへーア型の勤務服姿の陸軍中or少佐に目が行ってしまう。
彼の左後方の陸軍大尉(?)も、やはりライヒスへーア型の勤務服を着用し、鍔がまだ真新しい光沢のある旧野戦帽を被っている。
その中央帽章は、やはり旧野戦帽用のBevoタイプのものではないようで…こちらは柏葉章、コカルデ帽章ともに金属製のタイプのようにも見受けられる。

ポケットに嵌った男たち

2012–02–08 (Wed) 12:00
今回は不運にもポケットに嵌った三人の人物を紹介させて頂く。

まずは、戦闘団“シェーラー”としてホルムでの包囲戦を戦わざるを得なくなったテオドーア・シェーラー陸軍少将(当時、のち陸軍中将)。
シェーラーは、第一次世界大戦後の1935年に新生ドイツ国防軍に陸軍中佐として復帰するまでの15年間…警察官であった経歴もかわれ、1941年10月に第281保安師団の師団長に任官する。
その師団本部の置かれたホルムという街は…ロヴァチ川支流河畔の、湿地帯の多く点在する小さな街で、当初は後方における治安維持等を目的としていたこともあり、対戦車砲すら配備しておらず、シェーラーの師団本部を含む、陸軍歩兵2個連隊、空軍野戦1個大隊、警察予備1個大隊、輸送部隊と海軍の河川警備兵員の約5,500人程が1942年1月21日までに完全にソ連軍に包囲される事態に至った。
しかし、残存兵力1,200余名になってなお持ち堪え、ついに1942年5月5日…
107日間…計2,000回にも及ぶソ連軍との局地戦を戦い抜いたのだった。
その功績にシェーラーには当日付で柏葉章が授与されている。
因みに、騎士鉄十字章は包囲戦最中の2月20日付で受章している。
Theodor Scherer
※このホルムの包囲戦に従軍した全員に対し1942年7月1日付でホルム・シールドが授与
授与総数:約5,500個

その後、シェーラーは1942年11月1日付で陸軍中将に昇進し、翌日付で第83歩兵師団長に任官…ルジェフの左翼前線を担うヴェリーキエ・ルーキの守備につくこととなる。
ところが、ロヴァチ川河畔の“大きな蛇行”という意味をもつ…この街で、またもやソ連軍に包囲されるとう不運に見舞われることとなった。
先の包囲戦にも勝る…それどころか、スターリングラード攻防戦にも匹敵する程の激しい攻囲戦・市街戦を行うも、今回は救援作戦が失敗し、1943年1月下旬に降伏。
包囲網をかいくぐり、自軍にたどり着けたのは…シェーラーを含む、わずか150人という散々なものだった。
シェーラーは翌年の1944年3月1日付で退任するまで第83歩兵師団長に任官し、その後は1944年4月15日付でオストラント(東部占領地域)ドイツ国防軍沿岸警備最高司令官として終戦をむかえている。


Richard Hohenhausen
ホルムの包囲戦にまつわる人物をもう一人…
↑は包囲を受けた側ではなく、その包囲を突破したリヒャルト・ホーエンハウゼン陸軍中尉(d.R.)である。(※“d. R.”は“der Reserve”の略で“予備役”)
ノヴゴロドのイルメン湖付近に配備していた彼の率いる第184突撃砲大隊/第3中隊は、包囲されている戦闘団“シェーラー”を救出すべくホルムに向かう。
この時、彼の執った大胆な迂回戦術が功を奏し、包囲網の“突進突破”に成功。
これによって、戦闘団“シェーラー”の救出は24時間早まったとも言われている。
この功績によってホーエンハウゼンは1942年5月11日付で騎士鉄十字章を受章している。
戦後はブランデンブルク州の州都であるポツダムに暮らし…つい最近の、2010年1月14日、95歳という天寿を全うしている。


Hans-Joachim Weissflog
さらに、“包囲戦”にまつわる人物をもう一人…
この人物に関しては、前頁の『イレギュラ~な着用例』で紹介した方がよかったくらいに…
その上衣はなかなかに興味深いものなので、先ずはそちらからご覧頂きたい。
一瞬、通常の陸軍タイプ…いや、SSタイプ?の戦車搭乗服かと思いきや…
よく見ると前合わせがダブルに…それも、かなり珍しいボタン留仕様の上衣を着用している。
それに加え、襟の戦車兵用髑髏章も台布なしで直接…
更には、その髑髏章も通常のダンツィヒ型よりも一回り程大きい…“伝統記章”である髑髏章にも近いタイプ・大きさのモノを着けているようである。
ハンス・ヨアヒム・ヴァイスフローク陸軍中尉は、第116装甲師団麾下の第16戦車連隊/第2中隊の指揮官として…
チェルカッシィ(コルスン)包囲戦終盤に受傷し、1944年2月15日付で戦傷章“金章”を…
同年4月28日付でドイツ十字章金章を受章している。
ノルマンディー上陸を果たした西側連合軍とのファレーズ包囲戦でも、なんとかその包囲網から脱出を果たした。
更に、敗戦直前の1945年3月…ルール地方におけるB軍集団の崩壊に伴い…
三度嵌ったポケットでのルール包囲戦においては…
三度目の正直とばかりの…めざましい戦功をあげ、ついに1945年3月5日付で騎士鉄十字章を受章。
辛くも脱出を果たしたものの…
1945年4月…クレーフェ~ヴェーゼル間での戦闘で、ついに米軍に降伏。
しかし、彼らの身柄はソ連軍に引き渡されることとなるも、ヴァイスフロークは受傷による容態悪化に伴い幸いなことに解放されている。
戦後はアーヘンにほど近い、ノルトライン=ヴェストファーレン州に属するへルツォーゲンラートに暮らし…1995年8月11日、72歳でその生涯を終えている。

イレギュラ~な着用例

2012–02–07 (Tue) 17:20
WH_Art_leutnant
写真のキャプションでは突撃砲兵の少尉ということのようなのだが…
モノクロ写真なので確かなことはいえないが、パイピングの兵科色は赤(Hochrot)というよりは、もっと暗い…例えば黒(Schwarz)のような感じにも見えるのだが…
ただ、まぁ~今回は突でも工でもそうしたことをご覧頂こうと思っているのではなく…
いたずらで撮ったにしては結構、真面目な面持ちなのだが…
帽章の葉冠を逆さまに着けているという、何ともおかしなポートレートなのである。
まさか、普段からこのままということは…ないとは思うのだが…(^ ^;

Panzer Ofw. Kragenspiwgel mit SS
『パンツァー・ユニフォーム』などでも、このように戦車兵用髑髏章をダンツィヒ型ではなくSS型のモノに代替しているケースを図案としては紹介しているが…
そのキャプションにもあるように“非常に稀”というだけあって…
実際、私も…これまではっきりとした写真で確認したことはなかったのではないかと思う。
これもまたモノクロ写真なので襟、襟章および肩章のパイピングの兵科色までは、はっきりとはわかりかねるが…その髑髏章はSS型のモノであることがはっきりと確認できる、ある上級曹長の“非常に稀”なポートレートだと思う。
ご覧頂いてお分かりかと思うが、少なくともニ隅がカットされていて…特に上襟以下がカットされているのが少々残念だが…
裏面に…達筆過ぎて判読不可な走り書きなどがあるので…
もしかすると、その内容的なこともあり…売りに出すに際し、その部分をカットしたのかもしれないが、その理由は分かりかねる。

Friedrich-Wilhelm Breidenbach
同じく『パンツァー・ユニフォーム』で“非常に稀”とされているが、比較的こちらは目にすることのある…
ブランズヴィック型の髑髏章に代替しているフリードリヒ・ヴィルヘルム・ブライデンバッハ陸軍少佐のポートレートも一応紹介させて頂くことにする。

PZ_Hauptmann.jpg
残念なことに名前等詳細は不明だが…
一瞬、LWのパイロット達などのようにレザージャケットを着用しているのかとも思ったが…
これは特に写真が不鮮明なので確かなことは言えないが…
どうも、素材はレザーではなくファブリックな感じのように思える。
戦車搭乗服の前合わせを改造してジッパー留めに仕立て直している服は、これまでも目にしたことはあるが…
このような、なかなかにお洒落な感じのジッパー付きポケットまで誂えたブルゾン仕立てに改造しているのは初めて見る。
そのタイトなデザインといい…最近の流行りにも通じており現代でも十分に普段着として着てもおかしくない上衣となっているのではないだろうか!

SD_SS-Untersturmführer
最後にもう一人…
残念なことに、この人物に関しても詳細は不明…
そのうえ画像もかなり不鮮明なのだが…
右の襟章がブランクなことと、左袖に菱形の袖章…おそらくはSD章を着用していることからSD所属のSS少尉と思われる。
左胸ポケットには…不確かだが…国家スポーツ章およびSAスポーツ章あたりを佩用しているのではないだろうか?
…と、首から下は別段問題はないが…
彼の被っている製帽は、あきらかにSS将校用ではなく国防軍(陸軍)将校用である。
まぁ、あくまでも推測だが…
おそらく、背景の状況などから…
どこかの城、博物館などそういった類の場所に、友人の陸軍将校とでも訪れ…
ただ、無帽で外出ということもないだろうから…
その友人の制帽を借りて…ふざけ半分で撮ったというところかもしれない。
何れにしても、こうした写真はそう巡り会えるものではない。


今回、紹介したようなイレギュラーな着用例の写真は決して多くはないだろうが…
そのイメージとは違い、実は制服等に関しては多種多様、パーソナル感がそこかしこに見受けられるのもドイツ軍のなかなかに面白いところでもある。
いやぁ~これだから写真収集はやめられない!


【 Ergänzung 】
Adalbert Schulz
アダルベルト・シュルツ陸軍中佐が着用しているのは…
“pea pattern(えんどう豆迷彩柄)”…いわゆる“44ドット”に近い迷彩柄のように見える。
因みに、“44ドット”は…
1942年頃に新たな迷彩上衣の開発のために考案された迷彩柄パターンで…
服型はM43野戦服に基づいて仕立てられ…
1944年3月1日付けでW-SSに導入されたために、この迷彩服が“M44型迷彩服”…
この迷彩柄が雲状の迷彩地に豆状の“斑点”が配された図柄だったことから“44ドット”…
…と研究者やコレクター、業者間などで便宜上呼ばれた呼称で…
勿論、“pea pattern(えんどう豆迷彩柄)”という分類も同様で…
導入後も当初は支給が間に合わず…支給体制が整い始めたのは…
結局6月…ノルマンディ以降となってしまったようである…

さて、話しを戻して…
そのW-SS迷彩図柄である“44ドット”様迷彩柄をなぜ陸軍第25装甲連隊長のシュルツが…
そのうえ、この写真のキャプションによると…撮影時期は1943年6月21日とあることから…
クルスク戦(7月4日~8月27日)の開戦前…準備・演習段階でのショットということになる。
(因みに、全軍第47番目となる柏葉章は1941年12月31日付で受章…
全軍第33番目となる剣付柏葉章は8月6日付で受章し、同日付で陸軍大佐に昇進している)
…となると、“M44型迷彩服”の導入の8ヶ月近くも前に既に“44ドット”様迷彩図柄の上衣を入手していたことになる。
ただ、まぁ~試作段階での次期SS迷彩図柄服を何らかのルートで入手したとすれば…
“ドット”パターンとも“すずかけの樹(B)”パターンともとれるような開発途中のテイストが窺えるのも納得がいくのだが…
仕立てに関しては、下ポケットの大きさ・形状が不自然に小さくされていることから…
もともとは通常のジャケット丈だったものを、腰丈に詰めて改造させた服であると思われる。
何れにしても、実はなかなか興味深い写真なのである。

この後、シュルツは1943年12月14日付でダイヤモンド剣付柏葉章を受章…
直ちに総統官邸に出頭するようにとの連絡を受けるものの戦況が許さず…
結局、年明けの1944年1月9日に総統官邸においてヒトラーより直に授与されている。
既に1月1日付でロンメル、マントイッフェルなども歴任した第7装甲師団“幽霊師団”の師団長に任官しており、1月24日付で少将にも昇進…
絶頂をむかえていた最中の1月28日…シュペトフカでの戦闘を指揮していた彼を迫撃砲弾が直撃…享年40歳であった。

うら若き黒騎士

2012–02–07 (Tue) 15:31
Hugo Wiesmann
この写真をご覧になった方は、おそらく…
その少年としか思えないような顔立ち…
そして、襟元に光り輝く勲章のサイズ比などから…背丈も小柄と思しきが故に…
これはヒトラーユーゲントの少年にでも、戦車搭乗服を纏わせ撮ったものだろう…と、思う方の方がの多いのではないだろうか?
ところが、この少年…元ぃ、青年は…
このポートレートが撮られた時点で21歳と、確かに、それでも若いことにはかわりはないが…
れっきとした第6装甲師団麾下の第11戦車連隊/第1中隊に所属のフーゴ・ワイズマン陸軍軍曹なのである。
しかも、画像でもおわかりの如く…その幼気な容姿とは裏腹に…
1級、2級鉄十字章はもとより…
1944年9月21日付で騎士鉄十字章をも受章している“兵中の兵”なのです!

ワイズマンは1922年12月20日…ミュンスターに生まれ…
2004年2月27日…生まれ故郷の同地にて亡くなられました…享年81歳。
※ミュンスター(Münster)はドイツ西部に位置するノルトライン=ヴェストファーレン州に属しており…
ドイツ戦車の故郷と呼ばれ“ムンスター戦車学校博物館”のある…
“・・(ウムラウト)”無しのムンスター(Munster)はノルトライン=ヴェストファーレン州の北側隣に位置するニーダーザクセン州に属している。


ところで、一見、少年のように見えるワイズマン…
勿論、ワイズマンも…第二次世界大戦開戦時にはまだ16歳の…
最も多感な時期をヒトラーユーゲントの一員として鍛え、叩き込まれていたことだろう。
国防軍に入隊後も…ひたすらに国を信じ、総統を信じ…
果敢に勲功をあげていったからこそRKを授与されるまでに至ったものと思われる。

“洗脳”時期は早ければ早いほど…
無垢であればあるほど…“染脳”し易いのだろうし…
また“染濃”傾向にもあるわけで…
その理念に基づいて、効率的な初等教育を行い…
国策に適う“Jungvolk”育成のために“Hitlerjugend”などの団体が発足された訳である。

同様に、独と同盟国にあった戦時下の我が国でも多分にこの考えが参考とされ…
1941年の国民学校令(昭和16年勅令第148号)に基づき…
国策に適う“少国民”育成のために学校教育の場を利用した。
因みに、この“少国民”という言葉は“Jungvolk”の直訳ではないにせよ訳語であり…
ただ、単なる年齢層の括りではなく…
国の未来を担い、確固たる奉仕・忠誠の意識を高めるための…
責任感、連帯感を認識させる位置付け・役割を与えるに効果的だったものと言える。
まぁ、それは日独のみならず…当時、他国でも…
そして、現代でも某国他…そうしたことは当たり前的に進行形なのかもしれないが…

そして、その結果…
伝えられるところによれば、ベルリンでの最期の攻防戦において…
最も果敢に戦いを挑み、散っていったのも…このような10代前半の少年たちであり…
同様に我が国の沖縄戦においても…14~17歳の鉄血勤皇隊ひめゆり隊などに代表される学徒たちが、ひたすらに国を信じ、未来を信じ…
多くのうら若き命を散らせていったことを忘れてはならない。

HJ_vorkssturm_01
米軍の捕虜となったヒトラーユーゲント国民突撃隊の13歳の少年

HJ_vorkssturm_April_1945
大人たちに混じってあどけない笑顔を見せるヒトラーユーゲント国民突撃隊の少年たち

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