グリーンカラーに憧れて?

2011–08–14 (Sun) 05:53
Heinrich Himmler_Cberreicht_die_Goldene_Nahkampfspange

この写真は…1944年月10月27日…
(左から)ハインツ・ルドルフ伍長、クレイ伍長、アダム・シャオブ伍長、ゲオルグ・フェルスナー兵長に対し、ハインリヒ・ヒムラーが白兵戦章金章の授与をした時のもので…

この時ヒムラーが着用している上衣が、今回の話題の発端ともなった…
その、いわゆる“フリーガァブルーゼ”風仕立の上衣を着用していたSS将官は…それ自体、当時も決して多くはないが…
オスヴァルト・ポールSS大将はじめ、ユリウス・シャウブSS大将※1、ハンス・アドルフ・プリュッツマンSS大将カール・ヴォルフSS大将※2などが確認されていたが、ヒムラーも着用していたことがあったのには興味を唆られる。
この上衣の特徴は前合わせが隠しボタンになっていることと、胸ポケットのないこと(腰ポケットはフラップのみ、または無し)で…

Litewak_pattern_SS_general_sample
※1:SS中将当時のシャウブの上衣の左胸部には…更に珍しいことに“切れ込みポケット”が施されている。
※2:この写真で着用している上衣は、このタイプではないが…戦後、市場に当タイプの彼所有だったとされる上衣が出回ったことで周知のこととなっているが、戦中の写真は未見。


スタイルの原型は帝政時代の“1903年型 Litewka”という上衣にあるのかもしれない。
因みに、“Litewka”とはポーランド語で“リトアニア”の意味となり、リトアニア・パターンと言うことになるのだろうが、どうもリトアニア軍の上衣様式ということでもなく、その語源は不明。
Litewka 1903

帝政期~ワイマール期にかけては、襟部も共布で仕立てるのが一般的であったが、フリーガァブルーゼが開襟状態も想定しているためか、襟部は立襟仕様ではなく…
このヒムラーのフリーガァブルーゼ風仕立の上衣も他のSS将官着用上衣同様に立襟的ではないようだが、その襟部は共布ではなくダークグリーンの別布で仕立てられているところが更に興味を唆る。
またニュルンベルク公判中の総統付医師であったカール・ブラントSS中将(兼武装SS少将)を撮らえた写真を見てみると、まさに、このダークグリーンカラー・タイプの上衣を着用していることから、ブラントもまた戦時中に着用していたことが想像出来る。

Karl Brandt

そこで、この点に注目して改めて見てみると…
これまで、何度となく見てきていたのに…
それも有名どころなのに…見落していた人物がフィルムの中で、まさにダークグリーンカラー・タイプの上衣を着用しているシーンがあった。
↓の動画は1944年7月20日に起こったヒトラー暗殺未遂事件後に高官達がこぞって“私は潔白ですよ”とばかりにヒトラーのご機嫌伺いに訪れた際の映像で…
この日…ヒムラー自らの肝入りで、自分と総統との連絡将官役にまで抜擢するほどお気に入りだったヘルマン・フェーゲラインSS中将も、このタイプの上衣を着ていた。



この時期、フェーゲラインはこのタイプの上衣を結構気に入って着ていたのかもしれない。
別の日に撮られた写真↓にもおさめられている。

Litewka_Fegelein_sample

服に関してではないが…この写真には、キャプションが付されており…それによれば…
「1944年10月、陸軍参謀総長ハインツ・グデーリアン陸軍上級大将が総統に「ラインの守り」作戦計画について説明してる」とあるようなのだが…
まぁ、グデーリアンが陸軍参謀総長に任官するのが暗殺未遂事件翌日の7月21日付なので、時期的なことで考えれば無問題。
一方、フェーゲラインは既記のように、総統側近くでの任務のお陰もあってか…
1944年6月3日に、めでたくエヴァ・ブラウンの妹グレーテル・ブラウンと結婚…
その一週間後の6月11日付で結婚特進?によってSS中将に昇進しており、これに関しても無問題。
ところが、この写真に列席している空軍参謀総長のギュンター・コルテン空軍大将(左奥)は20日の暗殺未遂事件での爆風で受傷し、その翌々日の22日には死亡している。

Guderian_Korten

グデーリアンの前任…正しくは前々任である“気弱”なクルト・ツァイツラー陸軍上級大将は…
戦局、事此処至っても尚…総統の相当なる無理難題に耐え切れず…
ついに1944年6月9日…ベルヒテスガーデンの山荘で総統との戦況報告中に発作で倒れ…
一説には、神経衰弱に陥り無断欠席したため、病欠扱いになったとか、ならなかったとか…
ともかく、翌10日付で解任された。
実は、それ以前に既にツァイツラーの方から辞任を申し出ていたが、すげなくヒトラーに一蹴されていただけに…ある意味ツァイツラーにとっては希望通りに解任が叶ったということになる。
急遽、アドルフ・ホイジンガー陸軍中将(陸軍参謀本部作戦部長兼陸軍参謀本部諸部代理)が参謀総長を代行することとなるが、7月20日のヒトラー暗殺未遂事件で受傷入院し、翌日付でグデーリアンが参謀総長に任官した。
因みに、事件当日は…12:42に「今、ペイプス湖から軍を引けば最悪の事態を招くことになります…」とのホイジンガーの発言が議事録に記された直後に爆発したようで…
ホイジンガーは、仕掛けられた爆弾の最間近に立っていたものの、机脚側だったことが幸し破片創によって重症は負ったものの命に別状はなかった。
一方、そのすぐ隣に立っていた…参謀本部におけるホイジンガーの代理をしていたハインツ・ブラント陸軍参謀大佐は、右足が吹き飛ばされ、その後死亡…まさに“脚”の差によって命運が分かれたということになる。
ただ、ホイジンガーは暗殺未遂事件関与の疑いにより3日後に入院先で逮捕される。
実は、同じ参謀本部内ということもありシュタウフェンベルクらの計画は既知だったようではあるが…一貫して関与を否定。
証拠不十分で10月に釈放されている。

Heusinger_Zeitzler

話を戻して…以上の点も踏まえ、撮影時期は6月11日~7月19日…の間のいつかであることは間違いなく…
この場面がグデーリアン、コルテンの陸空両参謀総長という立場による作戦報告会議というよりは…
因みに、グデーリアンは参謀総長代行役のホイジンガーよりは階級的には上級でもあり…
何より、最期の議事録からもおわかりのよぅに…役不足のホイジンガーには東部戦線だけでも荷が重いところに…西部戦線をも考える余裕もなかったともいえ…
…ということで、御意見番的な装甲兵総監として総統に意見・具申しに来た時のショットと考える方が妥当かと…
まぁ、この時期から“冬の攻勢”は計画されていたとしてもおかしくはないが…
それよりも、時期的に考えれば…
D-Day後の戦局打開を如何に図るか、その時期、手立ては等々…とりあえず“夏の攻勢”あたりを具申しているのではないかと…?
空軍側というか…机に肘をついて覗き込むゲーリングにもまだなんとなく余裕が窺われるようにも感じますし…(苦笑)
つまり、撮影時期は6月中旬~下旬といったあたりではないかなぁ~などと、勝手に予想してしまうのだが如何だろうか?

7月20日の暗殺未遂事件以来…国防軍を信用できなくなったヒトラーは…
その鎮圧にあたりヒムラーに国内予備軍司令官(実務はハンス・ユットナーSS大将が代行)の地位を与えるなど、SSの国防軍に対する優位性が確立しつつあった。
軍人に対してコンプレックスを感じていたとされるヒムラーにとっても、これは好機であり…
一説には彼はどうしても騎士鉄十字章が欲しかったと言われるだけに…
その後、1944年12月2日付でオーベルライン軍集団司令官に任官…
更に年明け、1945年1月23日付でヴァイクセル軍集団司令官に任官することになったことは、彼にとって夢の実現に一歩近づいたかに思われたのではないだろうか。
ただ、彼にまともな作戦指揮のとれるはずもなく…
そのうえ、有能な指揮官にさえ難しい戦局と疲弊した戦力では、彼ならずとも戦局打開は既に困難だった。
結果的にはどちらの戦局でも勲功をあげるに至らず…
最終的には更迭という不名誉なカタチで退くこととなる。

Himmler_Juttner


このヒムラーとして珍しい上衣着用例からの…あくまでも私的な推測ではあるが…
グリーンカラー=軍人と考えるならば…軍人に対するコンプレックスを払拭せんとするも…
詰襟の軍服を着るには少々抵抗のあった彼の、せめてもの…的な心情が窺い知れるような気がしてならない。
ただ、実際に司令官に任官した後の写真では、アースグレイの通常のSS勤務服のスタイルで公務を行なっていることなどから…
着用してみたものの、本人的にもシックリこないと自覚するに至ったのかもしれないが…
これは彼のみぞ知るところである…(苦笑)
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