Cavallino Rampante

2011–01–25 (Tue) 00:00
カヴァッリーノ・ランパンテ”とはイタリア語で『跳ね馬』のことで…
この『跳ね馬』のデザインを冠したエンブレムといえば、まず思い描くのは…言わずと知れた、超高級スポーツカー・メーカーのフェラーリであろうが…
この“カヴァッリーノ・ランパンテ”をエンブレムとするに至るエピソードを…
跳ね馬
パイロット…それもエース・パイロット…撃墜王…ともなると、その愛機に部隊エンブレムマークやパーソナル・エンブレムマークなどが誇らしげに描き込まれてあったりするが…
第一次世界大戦中に34機撃墜という、イタリア空軍におけるトップ・スコアを残したエース中のエース・パイロット…フランチェスコ・バラッカ空軍少佐の愛機に描かれていた彼の所属部隊“…スクーデリア91a(第91戦闘機中隊)”の部隊エンブレムこそが…“カヴァッリーノ・ランパンテ”であった。

Francesco Baracca
Spad-XXIII

この『跳ね馬』のデザインは、ドイツ南西部に位置するバーデン=ヴュルテンベルク州の工業都市であるシュトゥットガルトの紋章でもあり、バラッカがこのエンブレムをつけたドイツ軍機を撃墜したのを機に、これを自身の部隊エンブレムとして採用したとの説もあるが…
彼が騎兵科将校時代に所属していたイタリア陸軍 第11山岳騎兵連隊の部隊エンブレムであったことから、1917年5月に“スクーデリア91a”が編成され、その指揮官となった際に部隊エンブレムとして採用したというのが真相のようである。
この部隊にはバラッカの他にもフルコ・ルッフォ・ディ・カラブリア、ピエル・ルッジェロ・ピッチョらエース級を擁し“エース中隊”として名を馳せていた。
そして、この“エース中隊”にはフェラーリの創始者であるエンツォ・アンセルモ・フェラーリの兄アルフレード・フェラーリも所属していた。(1916年に戦死)
バラッカも1918年6月19日に戦死している。(享年30歳)
Francesco Baracca

その5年後の1923年6月にラベンナ市郊外で開催された第1回チルクィット・デル・サビオのレースにおいて、アルファ・ロメオのドライバーとして初優勝した若きエンツォに感銘を受けた彼の両親…エンリコ・バラッカ伯爵パオリーナ伯爵夫人にエンツォが拝謁した際、伯爵夫人はこう語ったという…
「息子の“カヴァッリーノ・ランパンテ”をあなたの車に描いたらいかが?きっと幸運をもたらしてくれるでしょう。」
さらに、撃墜された息子の愛機から切り取れれたという“カヴァッリーノ・ランパンテ”も贈られたという。
後年、エンツォ自身がその時の模様とエンブレムに関して以下のように語っている。
「私は今、一枚のバラッカの写真を持っている。 それはエンブレムを委ねられた時に彼の両親から贈られたものだ。 馬は黒で描かれ、これはそのまま使用した。 そして私はキャナリーイエローの背景を付け加えた。 それは故郷モデナの色だ。」
こうして“カヴァッリーノ・ランパンテ”は、大空から…大地を疾走するフェラーリのシンボルとして生れ変わったのである。
Enzo Anselmo Ferrari

余談だが…
シュトゥットガルトといえば、ベンツやポルシェといったフェラーリと並び世界的な車メーカーの本社がおかれている街でもあり…
ポルシェのエンブレムの中央にも、やはり『跳ね馬』が冠されているのです。
因みに、ドイツ語だと“Tänzelnde Pferd(タンツェルンデ・プフェーァト)”となる。
PORSCHE

更に余談となるが…
シュトゥットガルトといえば、1928年12月24日に同市で生まれたマンフレート・ロンメル氏が1974年から1996年までの4期 計22年間の長きにわたり市長を務めている。
氏の父親は、言わずと知れた『砂漠の狐』ことエルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメルである。
因みに、ロンメルは1921年1月から9年間程、陸軍大尉として同市にあった第13歩兵連隊に所属し、1924年からは同連隊の機関銃中隊長に任官している。
Erwin Rommel
1929年10月にシュトゥットガルトを離れ、ドレスデン歩兵学校の教官の任に就いていた間の1932年4月1日付で陸軍少佐に昇進しており、これは、それからゴスラーの第17歩兵連隊 第3大隊長に任官し、1933年10月1日付で陸軍中佐に昇進するまでの間に撮られたロンメルの陸軍少佐当時のポートレートであるが…
1935年3月16日にヴェルサイユ条約軍備制限条項の破棄(再軍備)が宣言され、ReichswehrからWehrmachtに改名された後の1935年5月1日付で国防軍は軍帽と軍服左胸ポケットの上に主権紋章となるアドラー(鷲章)を表示する事とされているが、それ以前から公然と移行が始まっていたことが、この写真からでも窺える。

因みに、この写真が撮られた時期には歩兵科に所属していたが、これを見る限りでは兵科色は歩兵科の“weiß(白)”ではないようである。
Wehrmachtに移行する以前のReichswehr期においても、Wehrmacht期とは多少違っているところもあるが、同様な兵科色が規定されていた。
写真からでは軍帽、襟章、肩章の兵科色が何色であるかは分かりかねるが、濃い目の色味であることは推測される。
考え得る色としては、彼が以前に所属していた山岳大隊がReichswehr期の猟兵(Jäger)…軽歩兵として位置付けられていたとすれば、その兵科色は“Grün(HellgrünまたはDunkelgrün=ライトグリーンダークグリーン)”となり、写真での見え方も頷ける。
グラフィックアクション#39においてロンメルが山岳大隊に所属していたWWI当時の制服が図案化されているが、そこでの兵科色はDunkelgrünに近いものとされており、やはりそう考えるのが妥当かもしれない。
ただし、この時期に何故、歩兵科のweißではなくDunkelgrünの兵科色を使っていたのかはわからない。
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