ロンメル少佐の兵科色
ドイツ南西部に位置するバーデン・ヴュルテンベルク州…その州都であるシュトゥットガルトは、ベンツやポルシェといった世界的な自動車メーカーの本社がおかれている街でもある。
ポルシェのエンブレムの中央には、フェラーリのエンブレムとして有名な『跳ね馬』…イタリア語で“カヴァッリーノ・ランパンテ(Cavallino Rampante)”が冠されているが、こちらの『跳ね馬』はシュトゥットガルトの市の紋章を冠したものとなる。
因みに、『跳ね馬』は、ドイツ語だと“Tänzelnde Pferd(タンツェルンデ・プフェーァト)”となる。

戦時中のポルシェは、ポルシェ・ティーガー(VK450(P))やエレファント(旧称:フェルディナント)重駆逐戦車(Panzerjäger Tiger(P))、ティーガーⅡのような戦車の開発、製造なども行っている。

1928年12月24日に、この地に生まれ、1974年から1996年までの4期 計22年間の長きにわたり市長を務めのがマンフレート・ロンメル氏である。
氏の父親は、言わずと知れた『砂漠の狐』ことエルヴィン・ロンメル陸軍元帥であり、ロンメルは1921年1月から9年間程、陸軍大尉として同市にあった第13歩兵連隊に所属し、1924年からは同連隊の機関銃中隊長に任官している。

1929年10月にシュトゥットガルトを離れ、ドレスデン歩兵学校の教官の任に就いていた間の1932年4月1日付で陸軍少佐に昇進しており、これは、それからゴスラーの第17歩兵連隊 第3大隊長に任官し、1933年10月1日付で陸軍中佐に昇進するまでの間に撮られたロンメルの陸軍少佐当時のポートレートであるが…
1935年3月16日にヴェルサイユ条約軍備制限条項の破棄(再軍備)が宣言され、ReichswehrからWehrmachtに改名された後の1935年5月1日付で国防軍は軍帽と軍服左胸ポケットの上に主権紋章となるアドラー(鷲章)を表示する事とされているが、それ以前から公然と移行が始まっていたことが、この写真からでも窺える。
因みに、この写真が撮られた時期には歩兵科に所属していたが、これを見る限りでは兵科色は歩兵科の“weiß(白)”ではないようである。
Wehrmachtに移行する以前のReichswehr期においても、Wehrmacht期とは多少違っているところもあるが、同様な兵科色が規定されていた。
写真からでは軍帽、襟章、肩章の兵科色が何色であるかは分かりかねるが、濃い目の色味であることは推測される。
考え得る色としては、彼が以前に所属していた山岳大隊がReichswehr期の猟兵(Jäger)…軽歩兵として位置付けられていたとすれば、その兵科色は“Grün(HellgrünまたはDunkelgrün=ライトグリーン~ダークグリーン)”となり、写真での見え方も頷ける。
グラフィックアクション#39においてロンメルが山岳大隊に所属していたWWI当時の制服が図案化されているが、そこでの兵科色はDunkelgrünに近いものとされており、やはりそう考えるのが妥当かもしれない。
ただし、この時期に何故、歩兵科のweißではなくDunkelgrünの兵科色を使っていたのかはわからない。
ポルシェのエンブレムの中央には、フェラーリのエンブレムとして有名な『跳ね馬』…イタリア語で“カヴァッリーノ・ランパンテ(Cavallino Rampante)”が冠されているが、こちらの『跳ね馬』はシュトゥットガルトの市の紋章を冠したものとなる。
因みに、『跳ね馬』は、ドイツ語だと“Tänzelnde Pferd(タンツェルンデ・プフェーァト)”となる。

戦時中のポルシェは、ポルシェ・ティーガー(VK450(P))やエレファント(旧称:フェルディナント)重駆逐戦車(Panzerjäger Tiger(P))、ティーガーⅡのような戦車の開発、製造なども行っている。

1928年12月24日に、この地に生まれ、1974年から1996年までの4期 計22年間の長きにわたり市長を務めのがマンフレート・ロンメル氏である。
氏の父親は、言わずと知れた『砂漠の狐』ことエルヴィン・ロンメル陸軍元帥であり、ロンメルは1921年1月から9年間程、陸軍大尉として同市にあった第13歩兵連隊に所属し、1924年からは同連隊の機関銃中隊長に任官している。

1929年10月にシュトゥットガルトを離れ、ドレスデン歩兵学校の教官の任に就いていた間の1932年4月1日付で陸軍少佐に昇進しており、これは、それからゴスラーの第17歩兵連隊 第3大隊長に任官し、1933年10月1日付で陸軍中佐に昇進するまでの間に撮られたロンメルの陸軍少佐当時のポートレートであるが…
1935年3月16日にヴェルサイユ条約軍備制限条項の破棄(再軍備)が宣言され、ReichswehrからWehrmachtに改名された後の1935年5月1日付で国防軍は軍帽と軍服左胸ポケットの上に主権紋章となるアドラー(鷲章)を表示する事とされているが、それ以前から公然と移行が始まっていたことが、この写真からでも窺える。
因みに、この写真が撮られた時期には歩兵科に所属していたが、これを見る限りでは兵科色は歩兵科の“weiß(白)”ではないようである。
Wehrmachtに移行する以前のReichswehr期においても、Wehrmacht期とは多少違っているところもあるが、同様な兵科色が規定されていた。
写真からでは軍帽、襟章、肩章の兵科色が何色であるかは分かりかねるが、濃い目の色味であることは推測される。
考え得る色としては、彼が以前に所属していた山岳大隊がReichswehr期の猟兵(Jäger)…軽歩兵として位置付けられていたとすれば、その兵科色は“Grün(HellgrünまたはDunkelgrün=ライトグリーン~ダークグリーン)”となり、写真での見え方も頷ける。
グラフィックアクション#39においてロンメルが山岳大隊に所属していたWWI当時の制服が図案化されているが、そこでの兵科色はDunkelgrünに近いものとされており、やはりそう考えるのが妥当かもしれない。
ただし、この時期に何故、歩兵科のweißではなくDunkelgrünの兵科色を使っていたのかはわからない。
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カテゴリ : 3R
テーマ : 第二次世界大戦【ドイツ】
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