星になった王子さま

2008–08–22 (Fri) 03:01
星の王子さま(原題:Le Petit Prince)』という童話をご存知またはお読みになったことがあるという方も多いことと思う。
サハラ砂漠に不時着した飛行機の操縦士“ぼく”と、そこで出会ったある小惑星からやってきた王子さまとのお話だそうである。
童話ということでやさしい文体で綴られてはいるが、その行間にこめられた真意は奥深く…
“Comprenons la vie(生を理解する)”というテーマに基づいた…
実は大人のために書かれた童話なのだという。
星の王子様
著者は1900年6月29日…南フランスのリヨンで貴族の家に生まれた作家であり、また飛行機の操縦士でもあったアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリである。
この本が書かれた時代は第二次世界大戦の真っ最中であり…
勿論、彼の母国フランスもその渦中にあった。
献辞において、彼はこの本をフランスにいるある困難に陥っている“おとなの人”に捧げると述べている。
その“おとなの人”とは彼の友人でありジャーナリストであった…ユダヤ人のレオン・ヴェルトのことであった。
この『星の王子さま』は人間の怒りや憎しみ、戦争や暴力の愚かさが蔓延した悲劇の時代の渦中にあった彼から真実を見る目を失いかけた…見て見ぬふりをしている私たちへの問いかけなのである。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ

1921年、兵役に志願した彼はストラスブールの飛行機修理工場に配属され…
自費で飛行訓練を受け見事民間飛行機の飛行免許を取得。
空軍入隊を希望したが婚約者の家族の反対にあい、やむなく自動車会社の販売員などの職に就いたそうである。
そして1926年、彼は「銀の船」という雑誌に…
後に「南方郵便機」に収められることになる短編「飛行機」を発表。
作家としての一歩を踏み出すことになった。
それと同時期にパイロットとして路線飛行機に乗り、郵便物などを運ぶ仕事に就いています。
そうした飛行中には何度かの事故にも遭っているようだが…
1935年、彼は二人乗りのプロペラ機でパリからサイゴンへの長距離飛行中…
エジプト上空で機が故障…カイロ手前のリビア砂漠に不時着してしまう。
どこに不時着したかもわからないまま、彼と同僚の二人は5日間砂漠をさまよい歩いた。
幸いなことに偶然通りかかったキャラバン隊の一行に助けられ九死に一生を得ている。
その時の経験は『星の王子さま』執筆に大いに活かされたことであろう。
ヨーロッパがきな臭くなり始めた頃には、彼は既にベストセラー作家の仲間入りを果たしていたが、第二次世界大戦が勃発すると大尉として技術教育部門に配属されている。
彼は自ら長距離偵察飛行大隊への転属を志願。
ちょうどこの頃に『星の王子さま』を書き始めている。
しかし母国フランスは1940年ドイツに降伏。
彼は軍を離れ「戦う操縦士」「城砦」の執筆にかかる。
そして1943年には遺作ともなる『星の王子さま』を書き上げ亡命先の米国にて発表。
軍務から一旦退いた彼であったが…
祖国を憂う気持ちを抑えきれず、自らの知名度を利用して…
なんと米国大統領ルーズヴェルト子息の口添えにより一旦米国空軍に入隊。
その後…1943年6月、原隊であるII/33部隊(偵察飛行隊)に少佐として復隊している。
軍上層部としては年齢的にも…そのうえ有名人でもあることから彼を第一“戦”から外そうとしますが彼は執拗に出撃を志願し続けたということである。
そして1944年7月31日…
いつものように偵察のためにコルシカ島のボルゴ飛行場を単機で出撃した彼が二度と戻ることはなかった。

約60年を経て…
地中海のマルセイユ沖リュウ島近くに沈む機体の残骸がそのサン=テグジュペリの乗っていたロッキードF-5B(戦闘機P-38ライトニングの偵察機型)であると確認され…
そして、今年…2008年3月15日付La Provenceにその偵察機を撃墜したという…
当時、ドイツ空軍(LW)Jgr.200所属だったホルスト・リッパート曹長の証言も公開された。
因みに、ホルスト曹長はメッサーシュミット(Bf-109)に搭乗し、最終的な撃墜スコアは28機(26機、29機とのリザルトも…)とのこと。
戦後はZDF(第2ドイツテレビ)社のスポーツジャーナリストとして勤務している。
Fw.Horst Rippertサン=テグジュペリの乗った機を撃墜したというホルスト・リッパート曹長

当時のLWでは帰隊した後の本人の事細かな調書(撃墜公認のための調査書)提出は勿論…
ガン・カメラの記録と合わせて僚機の証言、残骸の有無などを査定し…
最終的には僚機の目撃者の了承サインを得てはじめて撃墜が公認されたという。
かなり厳しい行程を経なくてはならなかったようであり…
例え実際に撃墜をしたとしても僚機が撃墜されて目撃証言が得られなかったり…
空戦域から自機だけ離れたうえでの撃墜などのように他機による目撃証言が得られない場合は公認がされなかった。

もしホルストがサン=テグジュペリ氏を撃墜していたとするならば…
公認を得られているかは別にしても…
“撃墜公認のための調査書”には“撃墜機種名称、撃墜機の国籍及び標識、撃墜状況、撃墜地点”等などをかなり詳細に記載することになっていたわけで…
出撃に当たってはその点を了解したうえでの搭乗であったわけであろうから、彼がそれら詳細をある程度記憶していたということも否定は出来ない。
名乗り出た際の撃墜状況談でも…
南仏のマイレス(Milles)基地への帰投途上、トゥーロン(Toulon)上空でマルセイユ方面へ飛ぶP-38を発見…
私の機は高度差3000mの優位を占めていた…
襲撃をかけ、胴体ではなく翼を狙い弾は命中した…
機体は破損…まっすぐ水面に向かって落ちて行き、海没した…
数日後に、それがサンテグジュペリであることを知った

…と語っている。
ただ、やはり少々“眉唾”と考えられる点も多いようで…
何ともいえないというのが現時点での見方といえよう。


余談であるが…
“サン=テグジュペリ未帰還・行方不明”の報は敵側の無線を傍受していたドイツ側も知るところとなり…
当時、既に国境・民族を越えて愛されていた彼の安否を心配したLW側も独自に捜索を行っていたとのことである。
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ジャーマン・シェパード

2008–08–07 (Thu) 06:22
1880年頃、ドイツ陸軍騎兵隊に所属していたマックス・フォン・シュテファニッツ中尉を中心としたグループが、軍隊で伝令、医薬品や弾薬の運搬、負傷兵の発見などに活躍できる“犬”の作出をめざし、ヨーロッパ中の牧用犬を基礎犬として改良に継ぐ改良を重ねて作り…元い、産み出されたのが“シェパード”という犬種である。
1899年には“ドイツ・シェパード犬協会”が発足。
毛色や体格など外観的にも統一されたシェパードを産ませるために繁殖が重ねられ、現在のシェパードが確立された。
因みに、シェパードとは「羊飼い」のこと。

German shepherd_03

その真価を発揮したのが第1次世界大戦…
軍事的に犬(シェパードのみならず)は結構重宝にされ、めざましい活躍を見せ世界中にその名を知らしめた反面…
末期には体に爆弾を巻き付けられて敵陣に突っ込むなんてこともさせられていたようで…
ただ、それは何もドイツに限ったことではなく…
それによりシェパードのみならず…勿論、他犬種のなかからも…かなり優秀に調教された多くの犬たちが犠牲になったということである。
そうしたことを思うにつけ、万物においての諸悪の根源とは我々人間に他ならないのではないかとつくづく考えさせられてしまう。

fig_anti tank dog_outfit

German shepherd_05

シェパードだけでなく、ドーベルマンにしても、ダックスフントなどにしても…ある意味人間のエゴから“作り”出されたようなもので…
現代では“働き手”としての意味合いは薄れたものの、“鑑賞”や“愛玩”のための対象物という意味合いが増し…結局は人間のエゴによって進化(?)させられ続けているようなものである。
まぁ、それはなにも「ワン!」だけに限らず「ニャア~」でも言えることであるが…
ただ、それはそれとして…家族として受け入れる私達が、その後どのように付き合っていくかが重要なわけで…
近年の…特に“お犬様”は…“家族の一員”というよりも“ファッションの一部”のように捉えている輩が多く…これも犬に限ったことではないが…
いかにもペットとして飼われていたであろう犬種達が、ブームが去った、大きくなり過ぎたなどの理由からか…捨てられ、捕獲され、年間数十万頭単位で…声高にナチスの蛮行を非難する我々人間達が…ガス室送り込んでいるのである。

German shepherd_02

German shepherd_01

ヒトラーのオリンピック

2008–08–03 (Sun) 20:02
開催前からいろいろと話題・問題の多い北京五輪だが、いよいよ開幕間近…
長い道程を経た聖火リレーも今年5月に大地震が直撃し8万7000人以上の死者・行方不明者をもたらした四川省に入った。
ただ、その震災救援に尽力した「英雄」達を担ぎ出し…
五輪に向けて国民の愛国心を高める政治的狙いが色濃いものとなっている。
チベット問題に端を発し、今回ほど物議・話題を振りまいた聖火リレーというものもなかったのではないだろうか…

今となってはオリンピックに欠かすことの出来ないこの“聖火”…
1896年に始まった第1回近代オリンピック大会となるアテネ大会から既に行なわれていたと思われがちだが…
“聖火の点火”自体は1928年の第9回アムステルダム大会からの採用で…
“聖火リレー”となるとそれから8年後…1936年の第11回ベルリン大会からなのである。
“聖火”をリレーで結ぶというアイデアは「古代と近代のオリンピックを火で結ぶ」という理念をベルリン・オリンピック組織委員会事務総長カール・ディーム博士が実現させたものとされ、当初は第1次世界大戦のために中止(1915年中止決定)となってしまった1916年の第6回ベルリン大会で行われる予定だったと言われている。
“聖火”は古代オリンピックが開催されたギリシャのオリンピアで採火され、ブルガリア→ユーゴスラビア→ハンガリー→オーストリア→チェコスロバキアを通過しドイツ国内に入り8月1日に開会式の会場となるベルリン近郊グリューネワルトのオリンピアスタディオンに点火された。
この3,075㎞の道程は国民啓蒙・宣伝省が中心となって詳細な下見・検討がなされた。
この時の公然とした下見が1940年10月28日にイタリアが当時占領していたアルバニアからギリシャに侵攻したことに端を発した“バルカン半島の戦い”のため(独軍がこの逆ルートを辿るかたちで後にバルカン半島に南下したこともあり…)という実しやかな説もあるが…
(英国の地中海に展開する空軍基地を上空から偵察する目的ともいわれた…)
まぁ、それだけのためにというのには些か無理はあるが政権掌握から3年という時期でもあり、その後の展望を見据えて全ての対外行為は少なからず意味をもっていたといっても過言ではなく、その際の情報収集が何らかのカタチで利用されたことは想像にかたくない…
1936_ベルリン・オリンピック聖火リレー・コース



プロパガンダに長けた“天才”による影響を受けたものは現在でも意外と多いらしいのだが…
このベルリン・オリンピックはまさに現代オリンピックの原型となったといえる。
巨費を投じて大規模なスタジアム(五輪史上初となる選手村も…)を建設し、観衆に視覚的効果や臨場感を体感させるとともに随所に華やかで荘厳な儀式性を盛り込むという演出がなされた。
開会式や表彰式などといった今日のオリンピックを特徴づけるスタイルはこの時に導入されている。
また映像と電波メディアが最大限に利用されたことも特筆すべきことである。
ラジオ放送は17の中継局と320個に及ぶマイクを競技場の各所に配置し世界に向け競技の模様を実況中継した。
なんといっても…実験放送ではあったものの競技の模様が初めてテレビ中継されている。
ベルリン市内数ヶ所に設置された街頭テレビなどにより15万人の人々がその映像を目にしたと言われている。
国際的な関心を集めるオリンピックは千年帝国たるドイツの国力、組織力…またアーリア人種の優位性を知らしめるのに格好の機会でもあったことからプロパガンダ性が強くなったことは否めない。

わが国の日本放送協会(NHK)もベルリンから日本への初のラジオ実況放送を行なっている。
8月11日に行なわれた「女子200メートル平泳ぎ」ではスタートからトップを泳ぐ前畑秀子に追いすがるドイツのマルタ・ゲネンゲルとのレース展開を実況する河西三省アナウンサーの興奮気味の実況中継は語り草となっている。
実にスタートからゴールまでの3分3秒6の間に「前畑、がんばれ!がんばれ!」を38回連呼…一着でゴールすると「勝った!、勝った!」を19回連呼するという絶叫中継…元い、実況中継であった。

因みに、ベルリン大会の閉会の挨拶は「4年後にまた東京で再会しよう!」であったが、日中戦争の激化に伴い“国力は戦争に当てるべし”と言う論議が高まり最終的に昭和12年(1937年)7月16日に東京大会返上と決定した。
…と同時に札幌で開催する予定だった冬季大会も返上となった。
東京大会返上の報を聞いたIOCは急遽ヘルシンキ大会を開催する方向で調整を急いだが、これもまた欧州での情勢悪化により開催は見送られ第12回大会自体が幻に終わった。

第2走者コンスタンティン・コンディリスク
アクロポリス神殿で採火された聖火のギリシャにおける最初のランナー(元金メダリスト)から“トーチ”を受け取った第2走者コンスタンティン・コンディリスク


国威発揚のプロパガンダとアーリア民族の優秀性を世界中に見せつけんと…
ドイツが国の総力を挙げて開催した、この“民族の祭典”は…
何よりヒトラー自身の権力を誇示する恰好の場であり…
結果は、ほぼ彼の目論見どおりと言っても過言ではないだろう。
ただ、この栄華は…ヒトラーのみならず、ドイツ国民にとって…
“終わりの始まり”だったのかもしれない…

まさか、この9年後…この長閑で美しく、平和に満ちていた街並みが廃墟と化すなどと…
この時、どれだけの人が想像し得ただろうか?

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