7月14日

2008–07–14 (Mon) 22:20
今日、7月14日は…
1789年、パリ市民がバスティーユ監獄を襲撃・占領し多くの政治犯を解放したフランス革命の記念日というのがもっともポピュラーなのかもしれないが…
1976年、そのフランス東部…スイスとの国境近くに位置する…フランシュ=コンテ地域圏(Franche-Comte)、オート=ソーヌ県の(県庁所在)都市ヴズー(Vesoul)の西方約10㎞に位置するトラヴ(Traves)という小さな村で…
“SS最後の戦死者”ともいわれる、ヨアヒム・パイパーSS大佐(1915~1976)の亡くなった日でもある。

Joachim Peiper

戦後の裁判において「アルデンヌ攻勢」時に起きた『マルメディの虐殺(捕虜になった米軍兵士86名を戦闘団が射殺したというもの)』の責任を追及され絞首刑を宣告された彼だが…
ただ、彼はその時その場にいなかったことは明白で…勿論、射殺命令を出したという事実などないのだが、部隊の行動は「指揮官の責任」と全責任を認め軍人らしく銃殺刑を希望する。
↓はその裁判における審問の際の様子であるが…
パイパー本人の生声も聞ける…私にとっては垂涎のお宝映像なのである。



その後、戦後11年を経た1956年に減刑をもって釈放されることになるが…
彼にとっては釈放後のドイツでの冷遇もまた耐え難いものであったようで…
1972年に会社を解雇されたのを機に、彼は妻(Sigurd)を説得し家族と共に…
以前保養に訪れてから心の安らぎを感じていたトラヴを終の栖と定め慎ましやかに隠棲生活をおくることを選択した。
周囲の者たちには彼のこの行為は理解出来ないものだったようだが…
彼にとっては美しい森に囲まれたトラヴでの生活は幸せな時間だったのだとか…

Joachim Peiper in Tavares aound 1972
1972年頃のトラヴでのパイパー&Timm

しかし、そんな幸せな時は長くは続かず…
村の共産党員であった商店主に元SS隊員であることが露見…
党の機関紙に彼のことが暴露されると連日のように脅迫状が舞い込むようになり…
フランス政府からも7月14日までに国外への退去を促され、家族を移転させた矢先…
1976年の“パリ祭”前夜…13日深夜から14日未明にかけ極左テロと思しき集団により自宅を襲撃され…自宅は焼失…焼け跡から彼と彼の愛犬(Timm&Tamm)の遺体が発見された。
彼のライフルには襲撃者と立ち向かったとみられる発射痕があり、戦中武勇を馳せた彼らしい壮絶な最期だったものと思われる。
現在はドイツに戻り…
バイエルン州オーバーバイエルン行政管区のランツベルク・アム・レヒ郡にあるショーンドルフ・アム・アンマーゼーという町の教会墓地で彼の父、母、兄弟そして妻たちとともに眠っている。
Jochen Peiper's Grave

因みに、こちらが勝手にお名前を拝借しているだけなのだが…
そんな彼とは他にも少なからずご縁もあるようで…
彼の長女エルケは奇しくも私と誕生日(7月7日)が一緒…
そのうえ、ちょうど24歳…二廻り違いで干支が同じなのである。
まぁ、ただそれだけのことなのだが…
Elke Peiper
Peiper_Sigurd_Elke
1960年、エルケが20歳当時に撮られた父母とのスナップ…眉など目元は父親似、そして口元は母親似といったところであろうか?
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ベルリン脱出劇

2008–07–13 (Sun) 21:54
1945年4月23日付であらゆる職務・権限を剥奪されたゲーリング…
その後任として…ヒトラーはローベルト・リッター・フォン・グライム空軍上級大将(第6航空艦隊司令官)を25日付で空軍元帥に昇進させるとともにドイツ空軍最高司令官に任命した。
そのグライムと共に市街戦真っ只中を総統官邸地下壕のヒトラーを訪ねるべくべルリンに飛んで来たハンナ・ライチュ女史の話は前頁でもとり上げた『DER UNTERGANG/ヒトラー ~最期の12日間~』のなかにも描かれており、劇中ではグライム空軍元帥役をディートリヒ・ホリンダーボイマー、ライチュ女史役をアナ・タールバッハが演じている。
Robert Ritter von Greim_Hanna Reitsch

当初はジャイロプレーンで向かうはずだったようですが、1機しかなかったジャイロが故障していたため、やむなくグライムは2日前にもシュペーアをベルリンに送り届けたという経験を持つ空軍曹長にパイロットを依頼…
グライムの友人でもあり、専属パイロットでもあったライチュは責任を感じ尚も同行を懇願…
結局、機種は操縦席の後に客席のある“フォッケウルフ190”が選ばれ、ライチュは非常ハッチから機体尾部にもぐり込むかたちで搭乗し、26日未明レヒリンを飛び立つ…
機は40機程の護衛をつけて、その時点で唯一独側の手にあった(到着と同時に空襲を受けるが…)ガート飛行場まで何とか辿り着く…
ガートからは“フィーゼラー・シュトルヒ”に乗り換え、徒歩で地下壕まで歩けるところに着陸することになった…
ブランデンブルク門上空にさしかかった時、グライムは右足に被弾し重傷を負う…
ライチュは肩越しから操縦桿を握り、何とか幹線道路に機を着陸させた…
着陸地点には重砲、軽火器の弾が降り注ぎ…その中を負傷したグライムに肩を貸しながらただひたすらに走った…
通りかかった車に飛び乗り、地下壕に命からがら辿り着いたのは午後6時を回っていたという…
ライチュによると…30日午後1時30分…
地下壕でヒトラーと運命を共にしたいと申し出た二人に対し、ヒトラーからヴァルター・ヴェンク中将率いる第12軍の進軍をLWの全戦力をあげて援護するようにという命令を伝えるため地下壕からの脱出を言い渡される…
ブランデンブルク門付近に隠されている“アラド96型”(ライチュはベルリンに残された最後の1機だったと主張…)で門から続く幅の広い道路を滑走路代わりにして、機は砲弾の降り注ぐなか北に進路をとりレヒリンに向かった。
レリヒンでも砲撃は受けたものの二人は何とか無事に帰着することが出来たのである。

DER UNTERGANG

2008–07–10 (Thu) 01:34
DER UNTERGANG_poster

有名人のそっくり蝋人形で知られるロンドンのマダム・タッソー蝋人形館が先頃('08 7/5)世界で7番目の分館をベルリンにオープンさせた。
ベートーベンやアインシュタインなど75体のなかにアドルフ・ヒトラー総統(↓)も用意されていたのだが…
オープン初日に早くもそのヒトラーの首がもぎ取られるという騒ぎがあった。
因みに、制作費は約2万ユーロ(約340万円)とのこと。
DER UNTERGANG_Hitler_wax
分館はヒトラーが最期の時をむかえた地下壕からわずか350m程の目抜き通り沿いに立地しており…
また、ユダヤ人を追悼する施設なども近くにあり…
当初から一部の政治家やユダヤ人団体、反ナチス団体などからは開館前から「ヒトラーを呼び物にするとは無神経で悪趣味!」「ネオナチの聖地になりかねない!」などの物議を醸していたものの…
分館側は「ヒトラーはドイツ史の一部…外せばかえって歴史の美化につながる」と反論していた…
私も同感である!
戦後、敗戦国は戦勝国側の意向なのか戦中の詳細を湾曲する部分も多々見受けられる…
確かに人道的に反することも行われていたことは事実であるが…
実際に起こったこと…起こしたことは事実として…
“戦勝国が隠したい…隠した…事実”も含めて両者共に認識をしていくことが重要であり…
ヒトラーという人物を見ないように…なかったかのようにすることが果たして戦争反対につながるものかは?なところだと思う…
“憎し!”の意識が未だに薄れることのない事も確かに致し方のないことなのかもしれないが…
ただ、そうした“民族”でさえもまた平和裏には歴史を動かしてはいけないのは皮肉な事実ではある…(苦笑)

ところで、犯人?…実行者?は…開館直後(二番目)に入館した元警官だというベルリン在住の41歳の男性で…
仕切りのロープを飛び越え、ヒトラー手前にあった机に駆け上り「戦争反対!」などと叫びながら頭部をもぎ取ったのだという。
男はその場で取り押さえられ…
器物損壊に加え、止めに入った警備員などを殴り軽症を負わせたことから傷害でも逮捕・起訴されていたが間もなく釈放されたようである。

因みに、今回の事件に対し独メディアのなかには「やっとヒトラーの暗殺が成功した」など皮肉まじりに報じたが…
その2日後には“復活”を遂げられてしまってはそうした皮肉も藪蛇とも言えなくもない…(苦笑)

さて、その蝋人形の展示シチュエーションは広報担当によれば「崇拝されるべき人物としての印象を与えないように、第二次世界大戦終結の直前に地下壕で苦悩する“失意の人”を強調したものにした」とのことである。
騒動後…周りへの配慮からか…更に“失意の人”は強調されたようで…
髪をボサボサに…ネクタイを緩めて、だらしなさも強調させられたようです。
まぁ、ネクタイを鉢巻にして“バカボンのパパ”にされていないだけよかったのかなぁ~(苦笑)
Hitler_wax

そんな地下壕での“失意”のヒトラーをリアルに描いた映画がある。
それが2005年公開の『DER UNTERGANG/ヒトラー ~最期の12日間~』である。

原作はヨアヒム・フェスト著書の『ヒトラー 最期の12日間』…
そして、ヒトラーの最期を目の当りにした秘書トラウドゥル・ユンゲが自身の死の直前に著した『私はヒトラーの秘書だった』などをもとに脚本が書かれている。

1943年以降になると歳よりも老けて見えはじめ…
地下壕に閉じ篭った頃ともなると“まるで廃人”のようだったと表現する証言者もいるくらい外見的にも判る程に精神的にも荒廃していたヒトラー…
ただそうした状態のもとにあってもなお人々を引き付け、その威光が完全に失われたわけではなかったというヒトラーをブルーノ・ガンツが迫真の演技で演じている。
DER UNTERGANG_Hitler

ヒトラーとその取り巻き連中の描き方については賛否両論あるかとも思うが…
私的にはかなり当時を知る者達の証言事項などが細部にわたって織り込まれ…
また市街戦などのシーンもかなり迫真に迫っており、なかなか見応えのある映画になっているのではないかと思っている。
ただ映画の内容・批評等については私如きが語るまでもなく少し検索をすれば他所でもご覧になることも出来ようかと思うで、ここでは映画の登場人物が実際にはどのような人物だったのかをサラッと触れるこにしようと思っております。
勿論、全員について紹介することは出来ませんので…
劇中で気になった登場人物だけをピックアップしてみました。

●ヒトラー専属副官オットー・ギュンシェSS少佐役はゲッツ・オットーで…
雰囲気としてはまあまあな感じなのではないだろうか…
因みに、ご本人は2003年までご存命で享年86歳。
DER UNTERGANG_Gunsche

●今回の中ではヒトラー役のブルーノ・ガンツ(↓中央)と並んでかなり近い雰囲気を出していたように思えるのがハイノ・フレヒ(↓右)が演じたアルベルト・シュペーア
エヴァ・ヒトラー(ブラウン)に関しては、個人的嗜好を言わせて頂くとユリアーネ・ケーラー(↓左)より『モレク神』のエレーナ・ルファーノヴァの方がしっくり来るようにも思える。
DER UNTERGANG_Hitler_Eva_Speer

ヘルマン・フェーゲラインSS中将は『戦場のピアニスト』など独軍将校役としてお馴染みのトーマス・クレッチマン(↓上段)が演じている訳ですが…
似ているかと言われれば首を傾げるところではあります。…(苦笑)
ただ、演じる役柄がこれだけ有名な人物なだけに階級(この時点では既にSS少将ではなくSS中将)は間違えないで頂きたいものである。
因みに、ハインリヒ・ヒムラーSS全国指導者役のウルリッヒ・ネーテン(↓下段)に関しては…
まぁ、雰囲気としてはなかなかだとは思いますが欲を言えば…私的には少々“男前”過ぎなくもございませんが…(苦笑)
DER UNTERGANG_Fegelein_Himmler

●ベルリン中央地区防衛司令官ヴィルヘルム・モーンケSS少将役のアンドレ・ヘンニッケ…これまた似ているかと言われれば首を傾げるところではあります。
因みに、これはソ連軍に拘束された直後の写真だが、その窶れ方というか風貌からもベルリンを巡る攻防戦の苛烈さが窺い知れるのと同時に安堵感というものも垣間見られるのではないだろうか。
DER UNTERGANG_Mohnke

マルティン・ボルマンNSDAP全国政治指導者兼ヒトラー個人秘書兼SS大将役のトーマス・ティーメ (↓)
衣装的にはフィールドグレーの開襟服にちゃんと43年型襟章を着用している。
(因みに、両肩の肩章もちゃんと一般SS型を着用している。)
ただ、少々思っていた印象よりもオドオドした感じに描かれていたのが…?(苦笑)
DER UNTERGANG_Bormann

●ヒトラーの第二侍医だったヴェルナー・ハーゼSS予備役軍医中佐
この写真を見る限りでは握手を求めた方?とも思える容姿ですが、オペ中のドクターの方である。
この写真はやはり拘束時に撮られたものですが、証明書の写真だとこんな感じです。
劇中ではマティアス・ハビッヒが演じている。
DER UNTERGANG_Haase

●ヴェルナー・ハーゼSS予備役軍医中佐と共に地下壕において負傷者の手当に追われることとなったエルンスト=ギュンター・シェンクSS軍医大佐(劇中ではSS軍医中佐となっている?)を演じたクリスチャン・ベルケル
シェンクは栄養学などに素養があったことなどから、戦地におけるW-SS兵士達のビタミン剤やプロテイン・ソーセージといったレーション開発・製造などに携わっていた。
ただ残念なことに、シェンク本人を収めた画像が検索出来なかったため今回は掲載できない。
※因みに、これは晩年のシェンクのお写真である。
シェンクを演じたベルケルの父親が元軍医とのことであるが、母親はユダヤ人だったこともあり、戦時中は迫害を逃れてフランス、アルゼンチンなどに亡命していた。
ベルケルはこの後も、『ブラックブック』『ワルキューレ』などでもドイツ将校・将官役を演じている。
DER UNTERGANG_Dr.Schenck

ヘルムート・ヴァイトリング砲兵科大将役のミヒャエル・メンドルは実際の雰囲気とは若干違うものの、なかなか魅力的に描かれていたように思います。
DER UNTERGANG_Weidring

●今回の主人公トラウドゥル・ユンゲ未亡人と共に官邸地下壕に残ったもう一人のヒトラー個人秘書のゲルダ・クリスティアン夫人…
劇中ではユンゲと対比させるためか少々見劣りさせるような人選になっていたような…
ユンゲ未亡人役はアレクサンドラ・マリア・ララ(↓左)、クリスティアン夫人役はビルジット・ミニヒマイア(↓右)
さて、その主人公のユンゲ未亡人…
劇中でも触れられているように結構スモーカーのようで…
タバコが手放せないようですねぇ~(苦笑)
因みに、この写真は夫であるハンス・ヘルマン・ユンゲSS中尉とのツーショット…
その彼は1944年8月13日にノルマンディー地方ドルーで低空攻撃により死亡している。
DER UNTERGANG_Juge_Gerda

●今回、ちょっと人選を間違えたのではとも思えるのがヨーゼフ・ゲッペルス役のウルリッヒ・マッテス
私的には彼がエルンスト・カルテンブルンナーSS大将に見えてしまって…(苦笑)
DER UNTERGANG_Goebbels

●さらに、人選を間違えたのではないかと言えば…
ヘルマン・ゲーリング国家元帥役のマティアス・グネーディンガー
ゲーリングはゲーリングでもITPTのゲーリングの元ネタではなかろうかと思えてしまうの私だけだろうか?…(苦笑)
DER UNTERGANG_Goring

アルフレート・ヨードル陸軍上級大将(OKW作戦本部長)役のクリスチャン・レドル
もぅ、何も申しません…(苦笑)
DER UNTERGANG_Jodl

●この映画では、恐怖と欺瞞と退廃に満ちた息の詰まるような地下壕での時間を秘書のユンゲの目を通して描くのとは別に…その外…ソ連軍が迫り、激しさを増す攻撃・砲撃のなか…
恐怖と怯懦と狂信の錯綜する荒廃してゆくベルリン市街での時間をドネヴァン・グニア演じるペーター・クランツ少年の目を通しても描いている。
エンディングではそのペーターとユンゲが手を取り、共に明日へと歩き出すという…ある意味、象徴的なシーンでこの映画を締め括っている。
DER UNTERGANG_Peter

この映画には、実在した人物という…ある意味、絶対的な存在感をもつ登場人物たちの多いなか…登場するシーン、セリフこそ少ないが、ペーターと市街戦を共にする…三つ編みのブロンド少女…インゲ・ドンブロフスキ役のエレーナ・ツェレンスカヤ嬢の凛とした美しさが強く印象に残っているという方は少なくはないのでは…
DER UNTERGANG_Inge

●最後はブロンディ君です…
劇中のブロンディ役の○○○君は、まさにブロンディ君…私如きには見分けがつきません…(苦笑)
因みに、ブロンディ君とエヴァの愛犬(スコティッシュ・テリア…地下壕に連れて来たのがニガス(Negus)かKatuschka(愛称“Stasi”?)かは不明)を毒殺したのが↑のハーゼ教授である…


【 Hinzufügen 】

< 劇中のシーンで気になった点について… >

◎ゲッペルス夫妻と6人の子供達の最期
総統官邸歯科医師のヘルムート・クンツ(劇中でマグダに頼まれて子供達に薬品を飲ませていた人物)の証言によると…
ほぼ劇中の如く…ただ若干違うのは…
注射によってモルヒネ(傾眠効果あり)0.5ccを…劇中では嫌がるヘルガに無理やり飲ませたことになっていますが、ソ連軍への供述では“マグダは子供達に「いつもよその子供や兵隊さん達もしているやつよ」と言い終えると部屋から出て行きました。私は長女のヘルガ、次女ヘルデ、次男ヘルムート、三女ホルデ、四女へータ、五女ハイデの順で処置していきました。それが済んだのが午後8時40分…10分ほど経ってマグダと子供達の寝室に戻り、更に5分程待って一人一人の口に青酸カリ(1.5cc)のアンプルを砕いて含ませました。”
…ということのようです…
因みに、ゲッベルス夫妻の遺体焼却を頼まれたゲッベルス専属警護隊所属のギュンター・シュベーガーマンSS大尉の証言によると「焼却用のガソリンを用意している時に銃声が聞こえ、庭に行ってみるとゲッベルスとマグダの死体を発見する。マグダは毒(青酸カリ)を飲んで既に死亡していたが、ゲッベルスは自分ではどうしても急所を撃つことが出来なかったようだったので私は部下の一人に命じて止めをささせました。これは当初からゲッベルス本人に頼まれていたことでもあり、彼が撃ったあと念を入れて私がもう一度撃ち、それから死体を火葬に付すことになっていました。ただ、私にはどうしても撃てなかったのです…。」
時刻は5月1日午後8時15分頃だったという。
上記二人の証言では時間的に誤差が生じてはいるが、あのような状況下では記憶の不確かさは否めないのかもしれない…
DER UNTERGANG_Goebbels w/Family



◎ヘルマン・フェーゲラインSS中将の最期
4月27日…地下壕の住人達の証言から…フェーゲラインが姿を消したことが発覚した…
ヒトラーは自分の第二飛行士でもあるベーツSS大佐を捜索に派遣…
ベーツはベルリンの自宅のベットに私服姿で横たわっているフェーゲラインを発見し、拘束している…
フェーゲラインはその場で妻グレートルの姉エヴァに直接電話をかけ、彼女に懇願するも無駄だったということである…
官邸地下壕に連れ戻された彼はハインリヒ・ミュラーSS中将(ゲスターポ局長)を裁判長とする簡易軍法会議に掛られ“脱走罪”の判決を受け、即刻官邸の庭に引き出され銃殺された。
このフェーゲラインに対する“銃殺”という判決の背景にはゲーリングの背信的行為以上に精神的打撃を与えるに至った“忠臣ハインリヒ”の裏切り行為に起因するところが大きかったものと思われる…
あのハインリヒ・ヒムラーが勝手に和平交渉を申し出たこともさることながら自分(ヒトラー)の身柄を引き渡す約束をしたともされ、“裏切り行為”に対する怒りは頂点に達した。
それと同時に、戦況がもはや絶望的であることを認めざるを得なくなったこの時点に至っては、ヒトラーはムッソリーニのような惨めな最期…晒し者としての最期だけは断じて避けなくてはならないという思いに一層駆られていくことになる。

散るぞ悲しき

2008–07–07 (Mon) 22:48
硫黄島からの手紙_sample_top

硫黄島は東西約8 km、南北約4 km…面積23.73 km²の(活)火山島である。
東京から南方約1,250㎞(北緯24度45分29秒、東経141度17分14秒)に位置するこの島が太平洋戦争末期の1945年2月16日~3月26日の36日間に亘り“太平洋戦争中最大の激戦地”と化した。
駐留していた日本軍将兵20,933名のうち20,129名(軍属82名を含む)が戦死(捕虜1,023名)…
一方、米軍側も70,000名の将兵うち6,821名が戦死(21,865が戦傷)するという壮絶な戦闘が繰り返された。
水も食料も武器も弾もなく…劣悪な環境下にあって尚…
当初、米軍側は5日もあれば陥落出来得ると目算していたようだが予想を上回る苦戦を強いたのである。

映画『硫黄島からの手紙』 は…
戦況が悪化の一途を辿る1944年6月8日に硫黄島に着任した栗林陸軍中将(渡辺 謙)の目を通し…また、一兵卒である西郷(二宮和也)の目を通し…
激しい攻防のなか、そこに生き、死んでいった者たちの…
1945年3月26日…“総攻撃”後(?)までの日々を描いている。

0001.jpg


ストーリーその他に関しては、今更私如きが語るべくもないので割愛させて頂くが…
この映画…
“よい映画”かどうかは観る者によって様々かとは思うが…
“よく出来た映画”とはいえるのかもしれない。
確かに、実際の地下壕内の悲劇・惨劇は想像を絶するものであったと思われ…
描かれている状況はまだまだ生易しい…といった観はあるのかもしれませんが、“映画”としてはこれが限界なのかもしれない。

戦争を描く“映画”は…
確かに、どこまでリアルに描かれているか…ということも重要だが…
観る者の目を背けさすことが目的ではないものと思うわけで…
あとは、観る者がそれをどう還元していくかということなのではないだろうか…

それにしても、あらためて…
軍人フィギュアを作って喜んでいられる時代に生まれた自分の幸せに感謝をせねばいけないのでは…と痛感させられる。


栗林は3月16日に大本営に宛て訣別電報を打電しているが…
その一部…
国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
仇討たで野辺には朽ちじ吾は又 七度生まれて矛を執らむぞ
醜草の島に蔓るその時の 皇国の行手一途に思ふ

…の“散るぞ悲しき”は“散るぞ口惜し”に改竄され新聞発表された。
大本営は指揮官が“悲しき”と嘆じることを良しとしなかった。
私的には…“散るぞ虚しき”などと思ってしまう…

栗林忠道
留守近衛第二師団長時代の栗林陸軍中将(…大将?)

まぁ、まだご覧になられていない方は
ご覧になってみるのもよいのではないだろうか…

【おまけ】
栗林忠道は1891年(明治24年)7月7日、長野県埴科郡松代町(現:長野市松代町)に栗林家の次男として生まれている。
※栗林は1945年3月26日硫黄島における戦死(享年53歳)…一階級特進により陸軍大将に昇進している。
因みに、ロンメル(11月15日)と同年生まれ…
私と誕生日が一緒…それが言いたかっただけなのであるが…(苦笑)

“奥羽の覇者”に想いを馳せて…

2008–07–05 (Sat) 03:32
今住んでいるマンションはケーブルテレビ局が設置した共聴施設で受信するという環境なので…
テレビ好きの私にとっては…
通常の地上波放送以外に…
日本映画専門CH.やホームドラマCH.、ヒストリーCH.…そして時代劇専門CH.などなどその他いろいろ観られるのが嬉しい。
なかでも時代劇専門CH.は大変お世話になっている。
鬼平犯科帳』、『剣客商売』『用心棒シリーズ』は勿論…
市川雷蔵 時代劇全仕事」、NHK大河ドラマなど…観るものには事欠かない。

先にもふれたが…
今でこそ『鬼平犯科帳』の“鬼平”こと長谷川平蔵のイメージの強い…
よっ!播磨屋ぁ~こと中村吉右衛門さんであるが…
今から20年ほど前に弁慶役で主演したNHK水曜時代劇『武蔵坊弁慶』(昭和61年4月9日~12月3日)が自身初の本格的なテレビドラマへの主演であった。
ただ、本業の歌舞伎での十八番(『勧進帳』や『舟弁慶』など長年にわたり演じている)でもある弁慶役なだけに好評を博くし、その後のサブ・ライフワークともなる『鬼平犯科帳』へとつながったことは言うまでもない。

因みに、この時期…昭和59~61年の大河ドラマ枠では…
いわゆる“近現代三部作”(『山河燃ゆ』、『春の波濤』、『いのち』)が放映されており、従来の時代劇路線の大河ファンのために“水曜時代劇”(現“土曜時代劇”)が企画・制作された。
従って、内容的にも少々軽く、また低予算なこともあり多少の見劣り観は否めない…(苦笑)

武蔵坊弁慶_02
中村吉右衛門が演じた“武蔵坊弁慶”

このドラマの見所のひとつは、勧進帳を諳んじる場面は勿論であるが…
やはり“立ち往生”であろう。
兄・頼朝(菅原文太)との不和により奥州平泉に身を寄せ藤原秀衡(萬屋錦之介)の庇護に縋るしかなくなった義経(川野太郎)、弁慶主従であったが…
秀衡の死後…頼朝の威を恐れたその子・藤原泰衡(津嘉山正種)により襲撃され…
衣川館をり囲む多数の敵勢を相手に死して尚、、義経を守り続けるという屈指の名往生場面はやはりよい!
因みに…
実際?の“弁慶”に関してはかなりフィクションの部分が多く、その生涯についてはほとんど判っていない。
史料とされる『吾妻鏡』や『玉葉』の中に登場する義経を庇護した複数の比叡山悪僧(僧兵)らの所業が集められ、また誇張されて伝説上の武蔵坊弁慶という人物像が構成されたとみられている。
(生年不詳…文治5年閏4月30日(1189年6月15日)に亡くなったことにはなっている。)

さて、その奥州・平泉といえば…平安末期、藤原氏が奥羽(東北)地方に140年間にわたり京を凌駕するほどの強大な領土を築き栄華を誇った地である。
その藤原氏四代を描いたNHK大河ドラマ『炎立つ』(平成5年7月 4日~翌年3月13日)では、『ラストサムライ』『硫黄島からの手紙』など…今や“ハリウッドスター”ともなった主演の渡辺 謙が藤原経清、藤原泰衡の二役を演じていた。

私的には…
渡辺 謙といえば“勝元盛次”役というよりは、どちらかというとNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(昭和62年1月 4日~12月13日)の…後に“政宗役といえば渡辺 謙”というくらいその確固たるイメージを確立させてしまった程の“伊達政宗”役の方がピンとくるところである。
(それよりも“梅安”“斬九郎”と言いたいところではあるのだが…)

独眼竜政宗_渡辺謙
渡辺 謙が演じた“独眼竜政宗”

一昨年夏、そんな東北(奥羽)地方に…
一度は国宝にして世界遺産推薦の暫定リストにも挙げられた“中尊寺金色堂”などを直に愛でておかねば!と、思い立ち…
平泉~松島~秋保~仙台への“奥州藤原氏・伊達政宗”行脚(?)に出かけてみました。
松島ではDiDも訪れたという“伊達政宗歴史館”などを拝観…
政宗モノ以外にも多くの著名人蝋人形群は圧巻!
是非、松島に行かれた際には足を運ばれてみては如何だろうか…

伊達政宗_R
館内に展示されていた政宗の頭蓋骨から復元されたという容貌像。
その骨格等から予想される政宗の声も聞くことが出来る。

仙台では…政宗所用の「黒漆五枚胴具足」を拝観すべく仙台市博物館に…
最近、戦国時代の甲冑に興味を持ち始めていることもあり感激も一入であった。

黒漆五枚胴具足_R
<重要文化財>黒漆五枚胴具足(伊達政宗所用)

残念ながら…どうも実際の政宗さんは謙さんとはだいぶイメージがかけ離れていたようで…
遺骨の調査結果によると…
身長は159.4㎝…
当時としては平均身長のようですが…
骨太、筋肉質で若干平均より大きい頭で…その分御身足は短く、ずんぐりとした体系だったとかなかったとか…

“粋”だとか“派手”だとかを表す言葉として“伊達○○”などと言うことがございますが…
これは文禄元年(1592)正月早々に朝鮮出兵に際し政宗が3000の兵を引き連れての入京の折の伊達軍将兵達の出で立ちが…
旗は紺地に金の日の丸…
具足は漆黒に金の日の丸…
馬鎧は虎柄・豹柄に孔雀の羽…
陣笠は1mもある三角帽子で全て金色…
太刀や陣羽織も金色…
陣羽織はあの有名な「紫羅背板水玉模様」よろしく…
ポップなデザインであったのかもしれない…

紫羅背板水玉模様_R
紫羅背板水玉模様(伊達政宗所用)

そんな奇抜でド派手な装いに驚いた京の人々が“さすが伊達者は違う!”ということがこの言葉の由来だそうです。
確かに軍勢全てが派手モノで揃っていたということもあるようですが…
その中心となる馬上の政宗の武者ぶりがヨカッタということも重要なファクターだったんだそうです。
実はこのパレードの際“ブ男では絵にならん!”ということで…
(↑の写真からどのようにお感じになられるかは個々人によるところではございますが…)
長身で美しいと評判だった自分の妻に武者姿をさせ政宗として騎乗させたのだとか…
つまり“男装の令嬢”を政宗と思った京の人々の…“なんと政宗はステキな武者ぶりなんだぁ~!!”との評判も相まってのことなのだそうです。
そこから“伊達男”=“お洒落で格好イイ男”ということになってきたようです。

余談ですが…
政宗さんの毛髪から…彼の血液型はなんとB型とのことです。
別に他意はございません…(苦笑)

【おまけ】
伊達政宗歴史館の売店で政宗を模った陶器製のボトルに入った御酒が売っていたので購入してみました。

仙台銘酒 竹に雀_RR
『竹に雀』という名のお酒…“竹に雀”とは伊達家の家紋のこと。

“獨友会”提灯

2008–07–04 (Fri) 20:10
私たちのような、いわゆる“カスタム・フィギュア”を楽しむ者たちにとって…
勿論、作るという工程も楽しみの一つではあるが…
それを発表するという機会もまた大きな喜びである。

そんな発表の場のひとつ…“展示”の機会として…ブラックホール(以下BH)、C.F.E.(CUSTOM FIGURE EXHIBITION)、ドールショーホビコン(ホビー・コンプレックス)等がある…
そのなかでもBHやC.F.E.は2002年から企画・運営などをさせて頂いているということもあるが、私たちのようなミリフィグ(ミリタリー・フィギュア)のカスタムをする者たちにとっても参加しやすい展示機会ということもあり…
また、そうしたミリフィグ・フリーク諸氏ほか多くの協力を得ながらここまでまんとか続けることが出来てきたということでも思い入れが一入の展示会なのである。

そんなBHはモデルガン&ミリタリー・イベントの一部として展示スペースをご提供頂くところからスタートした。
イベント便乗型展示の形態としては過去にもCUSTOM WORLD(以下CW)というイベントにお世話になっていたが…
CWでの“展示”打ち切り後…その後の“展示機会”の見通しが立たなくなっており…
そこで、何とか伝をたどりBH主催者の方とコンタクトを取らせて頂き…
お話をしていくなかでこうしたフィギュアの分野にも興味を持って頂けたことから現在のようなBHでの“展示の場”を設けて頂くことが出来るようになったのである。

“イベントの一部”ということであれば…面倒な手順・費用等は省略出来るわけですが…
当初はある程度“主催者”側の意向に沿ったカタチにせざるを得ないのでは?…と、危惧する面もあった。
これは主催者側のご厚意によりこれまではかなり自由に展開をさせて頂いておりますが…
ただ、やはりこのイベント自体がミリタリー系…特に銃器系のイベントなこともあり
来場される方々にとってはフィギュア関連の需要はさほど高くないという事実は否めず…
大多数の方には“銃器系のイベントのなかの一ブース”であり…
当然の如く私たちの“展示”以外の目的がメインなわけで…
言い方は悪いかもしれませんが…ついでに見る…通過する(苦笑)…といっても過言ではないのかもしれません。
(これまでこうしたモノがあることすら知らなかった方々に知って頂き、興味を持って頂くということも重要なことではあるのでしょうが…)
またフィギュア展示(だけ)を目的にお出でになられる方々にしてみればBHの入場料は少々お高くもあり、わざわざ足をお運び頂くというのも忍びないわけです。

そこで、ギャラリーのような空間でゆっくりと見・語らって頂けるような“場”を作れないものか…
そして展示者たち自らが発起・実行してその“場”を作れないものか…
…ということでC.F.E.を企画させて頂いたわけです。
当初は勿論…一からのスタートと言うことで手探り状態…
従って開催までには不備・ご不満・ご迷惑等を協力者たちにかけながらも…
どうにかこうにかやってこられたという感じです。

さて、話は少々かわって…
そのBHというイベントは毎年(各2日間)1月、5月、8月の年3回行われるのだが…
そのうち5月の回は浅草寺二天門前にある都立産業貿易センター台東館にて開催されている。

浅草駅(松屋口)からその“都産貿”に向かう道すがらに提灯屋 鈴正という小さいながらもなかなかの雰囲気の店がある。
そして、たぶん代を受け継いだのであろうお若い店主の方に…
小さいサイズの提灯…他にも札やその他の商品もある…であれば15分程も待てば直に文字入れをしてもらえるのである。
勿論、ミニミニサイズ(約10㎝)の提灯に姓名を入れてもらったのだが…
それよりも大きいサイズ(約25cm)も制作を依頼!

独友会_提灯_sample

それが↑の獨友會と文字入れして頂いた提灯である。
因みに、“独(獨)友会”とは独軍フィグ・フリークのみならず…フィグに多少なりとも…
いや、ほとんど興味がなくて酒宴に集える者であれば無問題の会の呼称でして…(^ ^;
まぁ、それはさておき…
店主の方には無理を言って背面にちょっとしたお遊びを入れて頂きました。
恐らくはこのような注文はこれまでする者などなかったと思われますので…(苦笑)
…にも関わらず…
お若いお兄さんだけに嫌な顔もせず…真剣に図柄を確認して下さり…
なかなか良い感じの提灯に仕上げて頂きました!
この提灯を戦闘…元い、先頭に飲みに繰り出したのは一度だけでしたが…
また、いつか皆で繰り出す際にでも出番があればよいですねぇ~

鬼平と黒騎士

2008–07–02 (Wed) 22:21
鬼平&黒騎士_酒_sample

元禄年間(1688~1704)創業という歴史ある沓掛酒造(長野県上田市)の酒銘【福無量】をご存知の方も多いことと思うが…
そのラインナップに【鬼平犯科帳】という銘柄のものがあると知り…早速、取り寄せてみた!
鬼平犯科帳』といえば、言わずと知れた池波正太郎原作の時代小説であり…
くどいようだが、“長谷川平蔵…人呼んで鬼の平蔵!”を我らが御頭…中村吉右衛門様が演じている国民的ドラマでもある。
酒に話を戻すと…
この【福無量】という酒銘は『法華経』全二十八品の中の『観世音菩薩普門品第二十五』…
通称、“観音経”といわれる御経の一節にある「福寿海無量」という文言からの引用で…
“福が限りなきように”という願いを込めた有難い御酒なのである。
勿論、銘に劣らず味の方も…
長野県産酒造好適米「美山錦」や兵庫県産「山田錦」を原料とした高品質な酒造りをし、多くの品評会でも高位受賞をする程の酒銘なのです。
出来れば“五鉄”の軍鶏鍋でもつつきながら頂きたいものです!

続いてご紹介するのは…
つくし】で有名な明治26年(1893)創業の西吉田酒造の【黒騎士】である。
この蔵元は福岡の米どころ…筑後平野の南部にあり、県内では数少ない本格焼酎を造っている。
黒麹(麦麹)」を使用し、減圧蒸留法と常圧蒸留法を使い分け、さらに瓶で5年以上長期保存した古酒をブレンドすることにより深みのある焼酎に仕上ている。
この【黒騎士】は“麦チョコ風味”と称されるように…
ほのかな甘みと香ばしさ、クセの感じは…
一瞬、焼芋焼酎を思わせるような…
クセのある“芋”が好きな私の嗜好にピッタリのものであった!
米国でも焼酎の人気が高まりつつあるということで…
また“サムライ”ブームとも相まって…
ティアラ】、【勇者】、【くノ一】そしてこの【黒騎士】などを“サムライ・シリーズ”として取り扱う店が増えているという。
まぁ、私的には「黒騎士」ときて…
上記「鬼平」つながりでも“サムライ”とはイメージし難く…
やはり小林源文著作の『黒騎士物語』が連想される!
1982年3月号~1983年8月号の月刊ホビージャパン誌上にて掲載された東部戦線におけるドイツ国防軍陸軍戦車連隊第8中隊…通称“黒騎士”中隊を率いる中隊長エルンスト・フォン・バウアー中尉(のち大尉)の活躍などを描いた架空戦記である。
架空の物語ではあるが、その背景などの考証・考察はさすが小林源文氏であり…
軍事フリーク諸氏にも読み応えのあるものとなっている。
出来れば、『黒騎士物語』にはドイツの小麦を原料にした蒸留酒コルン(Korn)の【オルデスローエ(OLDESLOER)】あたりが合うのかもしれないが…
黒騎士物語』を読みながら【黒騎士】を頂く…これもまた乙なのではないだろうか…
黒騎士_コミック

ダビデの星の泡々酒

2008–07–02 (Wed) 21:07
最近、“発泡”“微発泡”なる日本酒をよく目にする。
ただ、このての発泡酒は若干甘口の傾向があり…
辛口好みの私には少々物足りないところもある。
発泡性の日本酒は瓶詰め後発酵によって炭酸分を閉じ込めたまま加熱殺菌することで発酵をとめているようで…
その結果、麹カビの糖化が優位に働き甘口の傾向になるものとは思いますが…
ただ、女性などには逆にこのテーストが好評なようです。
シャンパンではその甘辛度を甘さを調整するために添加される様々な量のシロップの残糖分量により…
doux(ドゥー)」
demi-sec(ドゥミ・セゥク)」
sec(セック)」
extra-sec(エクストラ・セック)」
brut(ブリュット)」
(※作り手の中には糖分を添加しない「extra brut(エクストラ・ブリュット)」という“超辛口”を造っているところもあるようだ)
…の5段階にわけているが…
日本酒の場合…
麹カビの糖化と酵母の発酵の兼ね合いにその甘辛度が左右されるとあって…
つまり…
麹カビを活発にすると同時に酵母の発酵を抑え気味にするような環境を作ってやれば最終的に糖が余り酒は甘口に…
逆に麹カビの糖化を抑え気味にし、酵母の発酵を活発にするような環境にしてやれば糖がほとんど残らず辛口の酒になるというわけである。
文字にすればなんだか簡単なようにも思えるが…
そこは生き物と環境に多大に影響されるわけで、ことはそう簡単なことでもないようなのである。

まぁ、あれこれ考えるより…
日本酒にせよシャンパンにせよ…
とどのつまりは、その恵みに感謝し…美味しく頂ければそれでいいのであるが…(^ ^;


ところで…
先日、丸本酒造(岡山)の【発泡純米酒“泡々酒”】というのを頂いてみた…
中味は同酒造より発売されている通常の【泡々酒】と同じなのだが…
↓はシャンパンボトルに詰められた【泡々酒(HOU HOU SHU)スペシャルボトル】で…
1000本“限定”&ボトル、ラベルデザインに惹かれ購入してみたというわけである。

泡々酒_sample_02

どういう由来なのか?↑のボトルを見て頂ければおわかりのことと思うが…
ヘキサグラム(六芒星)…つまりは、“ダビデの星”がラベルマークとして描かれている…
我が国の家紋のなかにも“篭目紋”という同様のデザインがあるが…
星中のデザインは、どうみても我が国の建築物というよりはイスラムかどこかのお城?モスク?とも思える…
新興宗教の…という可能性もあるが…(苦笑)
シンボルの意味や如何に??

因みに、“ダビデの星”ではなく“篭目紋”をブランドシンボルにしている企業として有名なのは…
その名が表す通り…“篭目(KAGOME)”である…
1917年(大正6年)に↓の紋を商標登録したとのことである。
篭目

美穂の酒

2008–07–02 (Wed) 04:22
日本酒ブームの切っ掛けともなった『夏子の酒』(尾瀬あきら原作)という…TVドラマ化もされたコミックがあったが…
広島に全国でも極少数の女性の杜氏が醸する“今田酒造”という蔵元がある。
杜氏制を廃止し、蔵の跡取りであった今田美穂さんが杜氏(製造部長)を務め、京大卒業後、今田酒造に入社したという異色の蔵人…杉浦弘真さんを中心に、たった5人で酒造りを行っている…
造りの規模、年間500石(一升瓶換算5万本)という小規模な蔵元である。

この蔵元の酒といえば…
日本酒好きの諸氏ならご存知のことと思うが…
富久長】という酒銘がある。

そのラインナップに【美穂】と書いて“びほ”と読む酒がある。
勿論、杜氏である今田美穂さんの名前から命名されたことは言うまでもない。

以前、購入してみたのが【純米吟醸 美穂 瓶火入れ】…
その程よい辛さと酒味の旨さに惚れ…
純米吟醸 ひやおろし 美穂】も購入してみたわけである。

Biho_Biho_RR.jpg
【純米吟醸 美穂 瓶火入れ】(左)と【純米吟醸 ひやおろし 美穂 】(右)

私事ではあるが…
この酒を購入する切っ掛けのひとつは…
私にとって唯一(?)頭の上がらぬMと同名だから…ということは言うまでもない…(苦笑)

【富久長】は広島県の瀬戸内海に面した安芸津町にある。
広島県といえば…多々あるものとは思うが…牡蠣の産地として知られている。
余談であるが…私の曽祖父は父が幼少の頃(昭和初期)に「牡蠣が食いたい」ということだけで広島まで食べに出かけるような人だったそうである。
まぁ、それはさておき…
広島のなかでも安芸では【ひろしまサラブレド牡蠣 安芸の一粒】という高級ブランド牡蠣を産出しているほどである。

サッとレモンを絞った生牡蠣を頂く時…よく“白ワインがあう”…と言われるが…
それは白ワインが口の中の臭味もとってくれるからであるが…
それならば“純米吟醸酒”の方がよりよいのだとか…

ならば、同地の水(勿論、海水・淡水の違いはあれど)で育った【安芸の一粒】を【純米吟醸 美穂】で頂く…
さぞや美味なることであろう…
さすがにこの時期は真牡蠣は無理であろうが…
まぁ、同じ広島は江田島産の【ひとつぶくん】なら産卵をしないため夏のこの時期にも身痩せすることなく一年を通して食することも出来るらしいので…
ひとつぶくん】でも喰らいながら一杯…
いや、“いっぱい”やりたいものである…(///// ̄‥ ̄/////)

踵(きびす)を鳴らして…

2008–07–01 (Tue) 05:13
“ドイツ兵”というと…
自分の中でのイメージでは…
確かに、あの特徴的なヘルメットを被った“兵隊さん”というのが一般的なのかもしれないが…
なぜか私は幼少の頃から…ザッテルホルム(鞍型)のシルム(制帽)を少し斜めに被り…
(※因みに、着用規定では制帽の斜め被りはNGなのだが当然(苦笑)厳守されるということはなかった。)
詰襟タイプの軍服に“ドイツ式”とされる乗馬ズボン姿の↓のような“将校さん”という出で立ちがまず思い浮かぶ。
ドイツ軍将校
そして、忘れてならないのは…
足元の磨き込まれた長靴…いわゆる乗馬ブーツで…
その乗馬ブーツの踵を鳴らして「ハイル、ヒットラ~!(ヒトラー万歳!)」とローマ式…いわゆる、ナチス式の敬礼をする姿であろうか。
因みに、“ファシズムを想起させる”とされるこの敬礼様式…
日本では国体や高校総体、一部地域の中学校の体育祭などでも‘90年代頃まで行われ…
1960年のローマ・オリンピックでは開会式での日本選手団入場行進の際に来賓席に向かってこの敬礼を行い顰蹙を買ったということである。
また…皆さんも一度は目にしたことがあることと思うが…
高校野球などで行なわれる選手宣誓の際に右手を挙げるのもこの敬礼様式からきていたようであるが、日本以外では行われていないらしい。
(※高校野球では既に廃止)
余談ではあるが…
先日、交差点で信号待ちをしていると…
小学校低学年位の男子が目の前の横断歩道を横切っていった…
彼は“横断歩道は手を上げて“ということで、何の気なしにやっているのであろうが…
その姿はお手本にしたくなるようなナチス式の敬礼で…それは、まるでHJ(ヒトラー・ユーゲント)かと見まごうばかりであった…(苦笑)
Sample_a_2.jpg


“乗馬”ブーツというと…
私は観光地等で二度ほど補助付でしか馬に乗ったことがないので、ほとんど乗馬に関しては知識がなく…
勿論、馬具に関しても同様であり…
“馬具メーカー”として唯一思い浮かぶのも『エルメス』くらいである。

エルメスはもともと優秀な馬具職人であった創業者のティエリ・エルメスが1837年に馬具工房としてスタートし…その鞍や乗馬ブーツなどの質の良さからナポレオンⅢ世やロシア皇帝など王室や貴族達を顧客として発展していった。
三代目となるエミール・エルメスは自動車の発展による馬車の衰退を予見し…
馬具の製法を用いたバッグ(サック・オータクロア)を製作…
その後、鞄や財布などの皮革製品、時計、服飾品、装飾品、香水などといった事業を多角的に着手していった。
今では馬具メーカーというよりは“ケリー”や“バーキン”といった女性には垂涎のバックなどのファッションブランドとして君臨している。
因みに、↓は1928年のエルメスの販促用ポスターであるが…
この頃から、馬具メーカーとしてよりもファッションブランドとしての色を強めていくことになる。
HERMES poster(1928)_b


さて、話はだいぶ横路にそれまくったが…(苦笑)

まだ第二次世界大戦中頃までは馬が移動機関として用いられていたこともあるからなのか…
馬に乗る乗らぬに関わらず、当時は軍、党、官吏など様々な制服スタイルのアイテムとして乗馬ブーツが履かれていた。
勿論、一般的な普段着姿でも長靴を履いているのを…当時の写真や映像などで目にすることもある。
当時までは長靴姿はほとんどが男性のものであったのだが…
現代では…勿論、取り入れられなくもないのだろうが、男性が長靴=ロングブーツを履くようなファッションスタイルはなかなか一般的にはなってこない。
もし、Tシャツに乗馬ズボン…そして乗馬ブーツといったスタイルが一般的にでもなってくれれば↓のブーツたちも陽の目を見る機会もあるのだろうが…(苦笑)

因みに↓は当時…60年以上前のオリジナルの将校用乗馬ブーツであるが…
革モノでもメンテナンスを施せばこれくらいは磨きがかけられるのである。
脹脛部の形状は大きく分けて<上>のように膨らみのあるタイプと<下>のようにタイトなタイプがあったようで…
勿論、その選択は購入者の好みでセレクトされたわけである。
sample-Schaftstiefel_c.jpg

一枚の写真から…

2008–07–01 (Tue) 02:19
突然ですが…写真を撮られたり撮ったりされますか?

最近は携帯で手軽に撮ることが出来るせいか…
いつでもどこでも…他人の迷惑なんて何のその…
黄門様の印籠でも翳すが如く、携帯を構える姿をよく目にする…
まぁ、日本に来た外国の方にはこうした行為は理解に苦しむ光景の一つに挙げられるのだそうだが…

私は…といえば…
撮影されるのも撮影するのもあまり得意ではない…
写真“集め”“眺め”は好きなのだが、カメラ自体に興味があるわけではなく単に被写体(限定的な…)に興味があるだけなのである…
勿論、撮ることも多少はあるが…
ハード面に興味のない…疎い私には…
携帯を翳す者たちのほとんどと同様に…
手軽で簡単な方がいい!

ただ、携帯にしてもデジカメにしても、データのままだと何かの拍子に消えてなくなってしまう可能性は十分にある…
これは文章や譜面…その他についてもいえることではあるが…
因みに、こうして文章を書いても印刷や過去ログとして何らかの保存策をとっていなければ…
記憶には多少なりとも残ったとしても…
記録として残ることはない…
一枚の写真から_fig.1

60年以上前の写真を目にしていていつも思うことだが…
そこに写っているほとんどの被写体がどこの誰かはわからない…
戦争で亡くなったのか、戦後まで生き延びたのか、現在ももしかすると存命だったりするのかなど尚更である…
ただ少なくとも彼等の存在の“証”は…
時代を経て、それも遠いアジアの片隅の日本にまで渡り…
確かに伝わってきている…
前代の者たちがその当世において必ずしも意気込み、気概を意識していたかどうかはわからないが…

ともすると、周りが豊かになればなるほど…
当然の如く欲しいものが手に入るようになればなるほど…
内なる意識・精神は逆に希薄になってしまうのかもしれまい…
他との関わりもファジー(死語?)に当たり障りなく済ませようとすることで己自身の存在自体も希薄にしてしまい…
しいては後代に存在の証を残そうという思いや意識にも影響してしてくるのではないかと思う。
一枚の写真から_fig.2

『今を生きる』というタイトルの映画があったが…
別にその映画の内容云々が如何こうということではなく…
自分として、今…この瞬間を…
周囲に対しては勿論のこと…
自分自身に対し胸を張って生きているのだろうか?
精一杯生きていると自信をもって言えるのだろうか?
一枚の写真から_fig.3
最近、歳をとったせいなのか…
写真の中の被写体たちと向き合う時…
そんな自問自答を繰り返しまう今日この頃なのである。

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