第56回 静岡ホビーショー

2017–05–15 (Mon) 20:49
5月13日(土)、14日(日)の二日間、静岡市のツインメッセ静岡にて開催された「第56回静岡ホビーショー」に、今年も作例出展者側として参加させて頂きました!
まだ先、まだ先…などと悠長に構えていたら、フッと気づけば静岡出発…前日搬入日…
ちょっとしたパーツ類(襟章の台布など)の作成が残っており…
出発までに、突貫作業で間に合せはしたものの、なんとなく納得が行かず…
念のため、宿泊先のホテルでも作業ができるように、用具一式も持参し、いざ新幹線で一路、静岡に!
今回は、当ブースのメンバー全員が、二日間、同じホテルを予約できたこともあり…
…後の飲み食いなども堪能できた三日間でした。
(因みに、襟章は…前日搬入後の飲み食いの後…酔で眠いなか、結局、未明まで作業…)

今回も、YASさん、酒井さん…
ta-sukeさん、maruちゃん…
そして、他の同(1/6)スケールの中野さん、ICHKAWA BASEの市川さんはじめ海外からの同胞の方々…
本当にお疲れ様&楽しい時間をありがとうございました!
是非、また来年!

今回は、『SS-Obersturmbannführer Jochen Peiper』と『Panzermänner』の2点にての出展参加となりました。

第56回_静岡ホビーショー_出展模様
(※拡大画像)

待ちかねたパイパー・ヘッド」でも紹介した、3Rからリリースのパイパー・ヘッドを使い…
ようやくパイパーらしいパイパーをカタチにできたようにも思う。
写真、映像等でも見たことのない、“SS大佐”にしてみるのも面白いのではとも思ったのだが…
静岡には間に合わず…それはまた別の機会にでも…
とりあえず、今回は“詰襟”バージョンのSS中佐ヨアヒム・パイパーをご覧頂きたい。
Joachim Peiper_SS-Ostubfhr_title

Joachim Peiper_SS-Ostubfhr_01

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頭打ち?なロンメル・ヘッド

2017–03–10 (Fri) 18:26
headsulpt_3R_Rommel_GM636_prototype

先のパイパーに続き、3R(/DiD)から第三弾となる『ロンメル』がリリースされた。
今回の仕様は、1943年以降…B軍集団司令官として大西洋防衛に奔走していた頃の設定となっているようである。
軍装に関するツッコミはさておき…
今回のヘッドの造形だが…
パイパーの項でも書いたように、やはり一頃に比べ、プロトタイプと製品版における出来栄えの差は否めず…
そのプロトタイプにしても、以前のような納得感がなかったというのが私個人の印象である。
2011年末にリリースされた第二弾(下左)がなかなかの出来であったと思えるだけに…
あくまで私個人の見方ではあるが…ご覧のように、今回(下右)の出来(似)は少々微妙である。
また、前頭に比し若干大きくなっている。

初期のDRAGONのヘッドのように頭大が大きすぎるのも如何なものとは思うが…
昨今、若干…被り物を意識しすぎて頭大を予め小さく造形しすぎて、体幹とのバランスが?になっていたこともあり…
個人的には頭大的にはこのくらいが丁度良いのではないかとも思っている。
ただ、やはり残念な観は否めない…

headsculpt_Rommel_2nd_3rd

やはり、オリジナルに勝るもの無し…ということで、ロンメルの御尊顔も掲載しておこう…
このポートレートは、ロンメルが陸軍中将当時に撮られたものである。
ロンメルは、1941年1月に陸軍中将に昇進し…2月からは北アフリカに赴き、派遣軍の司令官として来るべき攻勢の準備に取り掛かる。
そして、3月19日に攻勢実施の承認を得るべく、一旦ベルリンに戻っている。
翌3月20日付で、全軍第10番目の柏葉章の授与も為されているのだが、おそらくはその際に撮られたものと思われる。
ロンメルは北アフリカに急ぎ戻り、3月24日から、いよいよドイツ・アフリカ軍団(Deutsches Afrikakorps=DAK)…“ロンメル軍団”による攻勢が開始された。
『砂漠の狐』伝説の始まり直前の…最も意気盛んな時期に撮られた写真なだけに、ロンメルを“撮”らえた数々の写真の中でも、私個人としては、この日の一連の写真に写ったロンメルが一番のお気に入りでもある。
おそらくは、この新ロンメル・ヘッドの原型を製作するに当たって、参考とされた写真もこの日に撮られた一連の写真…コレあたりではないかと思われる。

Erwin Rommel


King's ToysROMMEL -The Desert Fox -
(2013年9月27日掲載記事 )
King's Toys_ROMMEL

King's Toysというメーカーに関しては、当方的にはほとんど馴染みがなく…
リリース第1弾がヨシフ・スターリンという、際物的なデビューを飾り…
因みに、SCULPTURE TIMEというメーカーからも同様なスターリンがリリースされているようである。
また、同社からはルーズベルトもリリースされているようなので、DiDのチャーチルとも併せて、ヤルタの“三巨頭”を再現してみるのもよいかもしれない。
第2弾は一転…Uボート乗組員というあたりは、他社とは一線を画し、隙間をついたラインナップでの参戦を模索・画策するメーカーなのか?と思う程度にしか認知していなかったが…
その第3弾として先頃、処々フォーラムなどに発表されたが…今回ご紹介する、定番中の定番ともいうべき…『ロンメル』のようである。
それも、またまた…また…ともいえる、お決まりの“熱帯服”バージョン…
King's Toysの製品に関しては実際に現物を間近で見たことがないので、クオリティーその他に関しては語るべくもないが…
ただ、こと“ロンメル”に関しては…先に3R/DiDからリリースされた“ロンメル”ヘッドがなかなかの出来であったことに加え、ほぼ同仕様ということもあり…画像で見る限りにおいては、衣装・付属品等は勿論、目玉となるべきヘッドも…3Rの上をいくクオリティーであるならばまだしも…今更感を余計に感じざるを得ない。
現段階では各フォーラムにプロトとしての発表が為されているだけで、まだ自社HPでは発表もされておらず…
それらの反響も踏まえ、改良その他の今後の動向にも変化があるかもしれない。
3R/DiD以上の仕上がりになってくれるのであれば、それに越したことはないのだが…
まぁ、それは期待し過ぎというものであろうか…


DML/Cyber Hobby_ROMMEL
そういえば、Cyber Hobbyからは電撃戦から70年を記念?した“ライフ・ライク”なロンメルがリリースされていた。
確か、DMLのロンメル・ヘッドとしては3.5代目…
ヘッドの技術革新合戦に遅れじと…DMLも“ライフ・ライク”と銘打っての参戦を続けているが…
残念ながら、その目玉となるべきヘッド・スカルプト自体が話題になることは、これまでのところではなかったように思われる。
各メーカーともに“特定の人物”をリリースするにあたっては…原型・塗装の出来不出来は言うまでもなく…如何にその人物に似せられるかが問われるなか…
DMLは、その点においても後塵を拝しているように思われる。
このロンメルも、ロンメルと言われなければそれと分かる者は少ないのではないだろうか?
まぁ、それがDMLらしさと言えなくもないのだが…


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待ちかねたパイパー・ヘッド

2016–12–09 (Fri) 07:37
headsulpt_Peiper_DiD_prototype

忘れかけ、諦めかけていた頃になって…ようやくDiDからパイパーが、満を持してのリリースとなった。
先にリリースされていたパイパー・ヘッドはどれも“パイパーにしてパイパーに非ず”の観が否めなかっただけに…
DiDもしくは3Rからのリリースを心待ちにしていた方も多かったものと思う。
そこに↑のプロトタイプの画像が発表されたことにより、さらにその思いも一入だった。
そう、だった…のである。
4~5年前のDiD/3Rの最盛期であれば、ヘッドの造形は勿論であるが、塗装においてもプロトタイプとも遜色のない程の製品版を期待できたのだが…
ここ最近は、プロトタイプの段階ですら以前に比べるとクオリティーは決して良いとは言い難く、今製品版もまた言わずもがなとも言えなくもない。
見方が少々厳し過ぎるかもしれないが…待ちに待ったパイパー・ヘッドなだけに、自ずと期待も大きくなり…
重ね重ね、4~5年前の最盛期の段階でのリリースをしていてくれたらと残念に思うばかりなのである。
まぁ、これはあくまでも私個人の見方ですので、あしからず…
ただ、これまでリリースされたなかでは、やはりパイパー・ヘッドの決定版と言えるだろう!

headsulpt_Peiper_DiD_D80120


一応、各社がこれまでリリースした“パイパーにしてパイパーに非ず”のパイパー・ヘッドも紹介しておこう。
先ずは、DragonがCyber Hobbyの“Life-Like Sculpts”シリーズとしてリメイクを施し…
2011年にリリースした最終型の3代目ヘッドが↓である。
headsculpt_Peiper_Cyber Hobby_3rd

2代目は、「COMMANDER “KAMPFGRUPPE PEIPER”」として2005年にリリースされ…
また、「LAH Panzer Commanders' Meeting」としてヴィットマンとのセットとしてもリリースされている。
headsculpt_Peiper_Cyber Hobby_2nd

↓は確か、初代のヘッドをリペイント(造形もカスタムしているかも?)したもののようだが…
これを見る限りでは…
お世辞にもリアルとは言えない…かなりお人形チックな観は否めない造形にも拘わらず、塗装をし直すことによって、これだけ雰囲気を捉えて見えるものなのだと感心させられた一例。
headsculpt_Peiper_Cyber Hobby_1st_custom


IN THE PAST TOYSからは、「WWII Panzer Armored Personnel」シリーズとして 2004年にリリースされている。
初代のCyber Hobby以上にお人形チックな造形と漫画のような愛らしい瞳だが、当時はこれでもパイパー・ヘッドとしてありがたがったものである。
headsculpt_Peiper_ITPT


Soldier Storyからは、「LAH PANZER COMMANDER JOACHIM PEIPER」として2011年にリリースされている。
headsculpt_Peiper_Soldier Story


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第55回 静岡ホビーショー

2016–05–27 (Fri) 18:30
先の5月14日(土)、15日(日)の二日間、静岡市のツインメッセ静岡にて開催された「第55回静岡ホビーショー」に、今回は初めて作例出展者側として参加させて頂きました!
これまで二度ほどですが、来場者として会場に訪れたのとは全く違う楽しさが味わえた三日間でした。
ブースのスペースを分けて頂いたYASさん、酒井さん…
今回一緒に参加してくれたta-sukeさん…
そして、他の同(1/6)スケールの中野先生、ICHKAWA BASEの市川さんはじめ海外からの同胞の方々、本当にお疲れ様&楽しい時間をありがとうございました!
イベント終了後に、其処此処に飛び交う「また来年!」の挨拶がうなずけます。

静岡ホビーショー_前日搬入
今回は、過去の作例ですが、この4点にて出展参加をさせて頂きました。
毎年のことですが、会期が始まるとすごい来場者の人波でゆっくり撮影などもしていられない状態ですので…
前日夜の搬入時にセットアップしたばかりのiPhoneでの画像です。
(※拡大画像)

余談ですが…
C.F.E.2004以来、毎年…年賀状のやり取りのみとなってしまっている嘉瀬 翔氏と久しぶりにお会いできて…
それも、ちょうど…
ホビーの聖地ことタミヤ本社が無料で見学可能ということで…
案内チラシの略地図だとツインメッセからも程近い(それを鵜呑みにして歩いて行ってイタイ目にあいましたが…)こともあり、ta-sukeさんと足をのばし…
まさに、そのタミヤ本社に展示されてあった嘉瀬さんのジオラマ群を見てきて…
ツインメッセの私たちのブースに戻った直後に、目を上げると嘉瀬さんが立っておられたのにはホントびっくりしました!
いやぁ~こんな偶然もあるのですね!

嘉瀬翔_Kuberwagen
C.F.E.2004にも出展頂いた嘉瀬 翔氏製作のキューベルワーゲン。
ホビーショーの際にもお話したのですが、この時期の一連の作品以降、1/6スケールは手がけておらず…
今後も、おそらくはないとのことで…今となっては貴重な画像となってしまいました。
(※拡大画像)

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Oberst Otto Ernst Remer

2015–11–27 (Fri) 05:55
Führerbegleitregiment Kommandeur / Oberst Otto Ernst Remer

シュタウフェンベルクらによる1944年7月20日の総統暗殺未遂事件の際の“功労者?”として異例の昇進を果たし…
事件後、総統警護連隊(FBB:Führerbegleitregiment )の指揮官として意気盛んだった頃のオットー・エルンスト・レーマー陸軍大佐を再現してみた。
ヘッドに関しては、レーマーそのものというモノがないこともあり…とりあえず今回はHotToys社からリリースされている『The Avengers / Agent Phil Coulson』(2013) で代用した。

fig_Otto Ernst Remer_oberst_01

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は、“ヒトラー暗殺未遂事件”における反乱鎮圧の殊勲を讃える閲兵式典でのレーマー陸軍大佐とその部下たちが紹介されている、1944年8月3日発表の『ドイツ週間ニュース 第726回(Die Deutsche Wochenschau Nr. 726)』での一場面であるが…
この時のレーマーの将校然とした姿は、何度見ても“様”になっている。

Otto Ernst Remer

オットー・エルンスト・レーマーは、1912年8月18日にドイツ北東部に位置するメクレンブルク=フォアポンメルン州メクレンブルギッシュ=ゼーンプラッテ郡に属する都市に生まれている。
1932年に陸軍に入隊を志願、翌年に士官候補生として陸軍第4歩兵連隊に配属となった。
1939年9月からのポーランド侵攻、バルカン半島の戦い、ソ連侵攻における戦闘では機械化歩兵中隊を指揮している。
歩兵連隊“Grosdeutschland”は、1942年に自動車化歩兵師団“Grosdeutschland”として再編成され、レーマー陸軍少佐(当時)の“Grosdeutschland”としての経歴は、その第1歩兵連隊“Grosdeutschland”/第Ⅳ(重装備)大隊の指揮官として始まった。
1943年2月中旬からの第三次ハリコフ攻防戦では、歩兵連隊第Ⅰ(装甲化)大隊を揮官し…
フリードリヒ・パウルス陸軍元帥の第6軍降伏後に包囲殲滅の窮地に立たされていたパウル・ハウサーSS大将(当時)率いるSS装甲軍団の脱出を援護し、その後のハリコフ奪還にも大きく貢献をした。
その戦功および指揮ぶりに対して1943年5月13日付で騎士鉄十字章が授与された。
クルスクにおけるツィタデレ作戦の失敗、遁走の際もクリヴォイ・ログ近郊の戦闘でのレーマーの大隊長としての指揮ぶりは評価を得て、その戦功により1943年11月2日付で全軍第325番目となる柏葉章を受章している。
1943年3月、ハラルド・クリーク陸軍少佐に後を任せ、ベルリンに戻り、ケルト・ゲールケ陸軍中佐から総統護衛大隊“Grosdeutschland”を引き継いだ。

レーマーが指揮していた総統警護大隊“Grosdeutschland”は、反ヒトラー・反ナチスの活動に加わっていた首都(ベルリン)防衛司令官パウル・フォン・ハーゼ陸軍中将の指揮下にあり、上官であるハーゼにより、官庁街の封鎖を命令され、その時点でのベルリンにいた内閣およびナチ党における最高位の幹部であったゲッベルスのいる国民啓蒙・宣伝省に踏み込み、その身柄を確保する手はずとなっていた。
その際に、レーマーの補佐官として、彼とともに宣伝省に踏み込んだハンス・ヴィルヘルム・ハーゲン陸軍中尉(当時)は、かつて宣伝省管轄の機関誌で編集長も勤めていた経緯もあり、ヒトラー死亡情報に関してゲッベルスに確認させるようにレーマーに提案している。
これによりゲッベルスは、総統大本営“ヴォルフスシャンツェ”との電話連絡を取り…その結果、ヒトラーの生存が明らかとなり、電話口で直接ヒトラーと話す機会を得たレーマーはクーデター鎮圧を直々に命じられ、事態は一気に急展開をする。
歴史にもしもはないが…この時に、宣伝省との関わりのあったハーゲンがレーマーに随行していなかったら、また事態は違った展開になっていたかもしれない。
鎮圧後、レーマーは二階級特進で陸軍大佐に昇進し、ハーゲンもこの功績により陸軍大尉に昇進をしている。

Karl Paul Immanuel von Hase
一方、ハーゼはクーデターが失敗に終わると、その日のうちに逮捕され、8月8日に人民法廷による裁判で死刑判決を受け、その日のうちにベルリン・プレッツェンゼー刑務所で絞首刑となっている。(享年59歳)


アナウンサー:総統閣下は、ベルリン警護隊の指揮官レーマー少佐の1944年7月20日におけるベルリンを救ったその優れた功績により大佐に昇進させました。

レーマー:我々は、今日、軍人としてここにいる。
政治的かつ当然の使命として...我々の生活圏を守り、祖国を防衛し、国家社会主義の理念を守ることは、我々の義務である。
そして、我々は最終的な勝利を手にするまでその義務を果たし続けようではないか。


アナウンサー:レーマー大佐は閲兵式において行進する彼の大隊に敬意を表しました。


因みに、この回は…
その“ヒトラー暗殺未遂事件”で命を落としたギュンター・コルテン空軍(航空兵)大将の葬儀の模様に始まり…
また、その際に負傷した者たちを犒うため、ヒトラー自らが病室に赴くシーン…
身の潔白を誇示するかのような諸高官たちのヒトラー詣でのシーン…
更に、オットー・カリウスやミハエル・ヴィットマンなども登場するシーン…
戦車フリークも楽しめるパンターやティーガーの映像なども見ることの出来る、なかなか見応えのある回となっている。


1944年9月1日付で総統警護大隊“Großdeutschland”の上部組織となる総統擲弾兵連隊(FGR:Führergrenadierregiment)に連隊長として転属することに内定していたレーマーだったが、ある意味、総統の肝煎で新たなポストを設けるべく…
9月初旬に、総統護衛連隊(FBR)に戦車連隊“Grosdeutschland”/第2大隊を加えての再編が行われ、11月に新編成された総統護衛旅団(FBB)の旅団長に任官することとなった。
第5装甲軍麾下の第XLVII装甲軍団に配属され、12月18日にはバストーニュにおいて米軍の第101空挺師団と対峙することとなる。
結果はあまり芳しいものとは言えなかったようで…
旅団の兵員における野戦訓練および実戦経験の不足もさることながら…
上級指揮官としてのレーマー自身の指揮能力・経験の不足も相まって、いたずらに損害ばかりが増加してしまったという見方もある。

FBBは、年が明けた1945年1月26日付で…実質的な戦力の増強はなく名目上の昇格をして総統護衛師団(FBD)となった。
そしてレーマーも、1月31日付でドイツ国防軍における最年少(32歳)での陸軍少将に昇進、同日付でFBDの師団長に任官している。

その後、オーデル川東岸~西岸における戦闘を経て、4月16日からのソ連軍最後の大攻勢の時点には第4戦車軍の予備部隊としてコトブスの南約20kmのシュプレンベルク東に布陣。
ラウバン奪還作戦に参加するも、4月19日にはエルベ川東方で包囲されることとなる。
FBDは、同時に包囲されていた第344歩兵師団の一部、第10SS装甲師団“Frundsberg”とともにエルヴィン・ヨラッセ陸軍中将を指揮官としたヨラッセ戦闘団を組織してゼンフテンベルク(ドレスデンの北西約50km)を目標に南西方向への脱出を決行するも、障害物のない開けた地形での無謀な脱出戦により、戦車、車輌などの重装備全てを失い、兵士のみならず一緒に疎開した一般市民が一方的にソ連軍の猛砲撃にさらされ多数が犠牲になった。
レーマーも僅かな部下たちとともに私服に着替え命からがら徒歩で脱出し、5月3日にようやくドレスデンまで辿り着き、その後アメリカ軍の捕虜となり終戦を向かえた。
戦後は、ホロコースト否認、西ドイツ社会におけるドイツ民族の尊厳再建活動に傾倒し、修正主義的文献の出版等により刑事訴追されている。
そのために、1994年2月にスペインに亡命し、1997年10月4日に地中海のコスタ・デル・ソルに面したスペインのマルベーリャで亡くなっている。(享年85歳)


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