My Foolish Heart

2016–12–25 (Sun) 21:01
Bill Evans Trio_Waltz For Debby_1961_Album Jaket

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始まりのシーンは、レコード・ラックからアルバム…ビル・エヴァンスの【Waltz for Debby】…が抜き取られ、そのレコード盤に針が落される…
流れてくる曲は『My Foolish Heart



私の中では高校生の頃からビル・エヴァンスの奏でるメロディには思い入れがあり…
エヴァンスを語るうえで欠かすことの出来ないと思われるこのアルバムは、私にとっても5本の指に入るくらいにお気に入りの…
そして、何度となく…様々なシチェーションで…聴いてきたアルバムである。
そのなかでもなんともいえないメロディ・ラインの『My Foolish Heart』が静かに流れて始まる2005年公開の映画…『大停電の夜に

映画「大停電の夜に」

物語はクリスマス・イヴの晩…
12人の登場人物たちにもそれぞれのクリスマス・イヴが始まろうとしていた…そんな矢先…
その存在がマニアの間では実しやかに噂されているという謎の人工衛星…“神”と呼ばれる【GOD】が東京の電力を賄う発電所に落ち、東京は広範囲に亘り停電となる。
色とりどりのイルミネーションや家々の灯り…電力に依存したすべてが一瞬に…
東京がいちばん輝く聖なる夜に…すべての光が消え…暗闇と化す…

そんな混乱のなか、なぜか登場人物たちは皆、さほど取り乱すこともなく…
淡々と…温かく…優しく…柔らかなムードで人間模様が描出されていく…
そう、『My Foolish Heart』のメロディーのようなJazzyな空気感さえ醸し出されている。
確かにツッコミたくなる部分も多々あるものの…
あり得ない設定や展開などが気になったり…
また文句を言おうなどという下世話なことなどはどうでもよくなっていたりもしている。
かえって、そうした設定や展開に心地よささえ感じ…そんな空気感に身を任せて見入っていたりする。
そんな大人の“ファンタスティック・ラブ・ストーリー”な映画なのではないだろうか。
観終わった後に心地よい脱力感を味わいたい方は是非…
ちょっと照明を落とした部屋で、お酒でも飲みながらご覧になられては如何だろうか…
そこから感じ得る想いなどは、この映画を観る人の、これまで通り過ぎてきた日々や想いなどにより様々なこととも思いますので、興味を持たれた方はご自分でお確かめ下さい。

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この映画の中で重要なアイテムともなる“キャンドル”…
人間にとって目から入る光の刺激によって脳はリラックスや興奮などを繰り返すものである。
確かに、体内リズムなどにより感情が高まる時間帯(午後5時~9時)には性腺ホルモン分泌が高まり…例えば、喧嘩の仲直りや“告白”などによいとされているが…
そのホルモン分泌も、体内リズムだけではなく、(外的)促進要因なども少なからず影響するとも言われている。
それが明るさだったり温度だったり…まぁ、置かれる状況だったり…という環境要因だったりするのだが…
因みに、1ルクスは1cd(カンデラ)の光源から1mの地点の照度で…
1カンデラはロウソク1本くらいの光度に相当するという。
言い換えれば…キャンドル100本でも100ルクス?…
照度としては寝室で40ルクス、居間で100ルクス、食堂で150ルクス程度が必要とされているようだが…
たまには、キャンドル10本くらいの…少しほの暗いと感じる程度の環境で過ごし…語らってみるのも、リラックス効果ということからいえば、日々のライフサイクルにとって必要な時間なのかもしれない。
リラックス・ムードのなかグラスでも傾けられれば…
きっと、少し優しくなれたり…少し愛して、長~く愛せたり…することだろう?

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2016年のクリスマスも残すところ3時間あまり…ビル・エヴァンスでも聴きながら…
劇中、夢に破れ…恋に破れた元ジャズ・ベーシスト…現在は路地裏にある流行らないジャズ・バー「FOOLISH HEART」…
その店も今日を限りに閉める決意をし、最後にかつての恋(人)を待つマスターの木戸晋一役を演じていた豊川悦司も飲んでいたメーカーズ・マークでも飲みながら…Merry Christmas!

Maker's Mark_bottle


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永遠の0

2014–02–01 (Sat) 18:11
昨年末(‘13.12/21)公開時より観たいと思ってはいたものの、なかなか観に行けず…
所々、諸氏によるレヴューなどを拝読し…ようやく重い腰を上げ、遅まきながら話題の映画…『永遠の0』を鑑賞してきた。

永遠の0_title

“戦争映画”自体が、そもそもドキュメンタリー・ドラマではなく…
たとえ史実を基にしているといっても、多かれ少なかれのフィクションと、それを効果的に見せるための脚色が盛り込まれているのが常である。
ましてや“特攻”モノの映画では、実際の特攻要員・特攻隊員たちの証言や文章など…脚本を構成するに当たっての“感動的”素材にも事欠かず…
これまでも、いわゆる“特攻”モノ映画に限っても…
古くは『雲ながるる果てに』(1953年)の鶴田浩二…
あゝ同期の桜』(1967年)などでは、その鶴田浩二をはじめ…高倉健、松方弘樹、千葉真一、西村晃、天知茂という超豪華な出演陣に加え…残念ながら、『永遠の0』が映画としての遺作となってしまった夏八木勲も出演している。
木村拓也が長髪のまま出演して話題ともなった『君を忘れない』(1995年)などという変化球もあった。
因みに、当時の海軍では准士官以上では原則として髪型は自由とされ“長髪”も許されていたとはいえ…それはあくまでも“丸刈り”に比してある程度髪を伸ばすというものであり、さすがにポニーテールの隊員はいなかったものとは思うが…(苦笑)
“戦闘機”モノではないが…
反町隆史、中村獅童、松山ケンイチ、仲代達矢などが出演し、戦艦大和による水上特攻を描いた『男たちの大和/YAMATO』(2005年)。※前記事参照
市川海老蔵主演で、人間魚雷“回天”による特攻作戦を描いた『出口のない海』(2006年)。
陸軍の特別攻撃隊の基地があった鹿児島県の知覧で“富屋食堂”を経営し、そこに集う多くの特攻隊員たちに“特攻の母”と慕われた鳥濱トメさんとの逸話などを基に映画化された『俺は、君のためにこそ死ににいく』(2007年)…
製作総指揮と脚本を石原慎太郎が手掛けたことでも話題?となった。
…などなど、その時々の旬の俳優たちを起用し、多くの戦争…反戦映画が製作されてきた。
暫く前の作品はまだしも…ここ最近の戦争映画・ドラマでは…どうも出演者に時代的リアリティが感じられず…
『永遠の0』に関しても、ストーリーテラー的役回りの三浦春馬(佐伯健太郎役)、その(実)祖父である主人公の宮部久蔵役の岡田准一などの出演陣への短慮なイメージから…少々懐疑的な思い込みをしていたのだが…
144分という長編にもかかわらず…中弛みすることなく…それどころか尺が進むにつれ一層、物語に引き込まれていった。
現代劇(人間ドラマ)&証言シーン、そして回想・戦闘シーンなどが上手く盛り込まれ…
それも、“特攻”モノにありがちな、単なるお涙頂戴的進行ではなく…
久蔵の思いの丈を推し量るべく…観る者各人が己の内に投影し…様々な思いを巡らせられる作品となっている。
岡田准一をはじめ、三浦春馬…
松乃役の井上真央、佐伯慶子役の吹石一恵、他…
当時(戦時中)のシーンにおける若手俳優陣の演技も然る事ながら…
証言シーンで脇を固める、長谷川役の平幹二郎、景浦役の田中泯、武田役の山本學、井崎役の橋爪功…
そして何といっても、今は亡き名優…祖父・大石賢一郎役の夏八木勳といった名優陣の存在は大きいものと思う。
やはり注目せざるを得ない戦闘シーンは…
ここ最近の…いわゆる“戦争映画”でもCGVFXなどといった技法が駆使されリアルな映像が目の当たりに出来るようになっているが…
本作もまた、まさにその“視覚効果”は見応え充分である。

永遠の0_零戦_VFX

原作は、百田尚樹による…やはり575頁と、かなり読み応えのある長編小説『永遠の0』…
小説を読んでから観るか…映画を観てから読むかは個々の判断すべきことではあろうが…
私的には、こうした場合は後者を選択している。
それはさておき、まだご覧になられていない方は、是非…公開中であれば劇場の大画面でご覧になり、それぞれに何かを感じて頂ければと思う次第である。


“宮部久蔵”のモデルに関しては、原作者の百田尚樹氏の思い描いた架空の人物であり、様々な人物の人間像と思いを集約したカタチとなっている。
そのモデルの一人ともされているのが…
1945年4月11日14時43分、低空飛行により戦艦ミズーリの右舷甲板に体当たりを敢行した爆装零戦の搭乗員である。
下がまさにその瞬間を撮らえた写真である。

Kamikaze attack on the USS Missouri

突入させた機体の右翼をミズーリの第3副砲塔上部にぶつけ、燃料に引火し炎上。
ただし搭載爆弾は不発で、艦は表面に損傷を受けた程度で速やかに消火作業が行われ鎮火している。
その後、搭乗員の遺体(ほぼ上半身のみ)が40mm機銃座から回収された。
ミズーリ乗組員たちからすれば、狂気の沙汰とも思える自艦に対し“自爆”を強行した搭乗員の肉片などすぐに処分してしまいたいところだったのは言うまでもないが…
ミズーリ艦長ウイリアム・キャラハン海軍大佐は、多くの乗組員の不満の声があがるなか、この搭乗員を…「この日本のパイロットは我々と同じ軍人である。生きている時は敵であっても今は違う。激しい対空砲火を掻い潜ってここまで接近してきたパイロットの勇気と技量は、同じ武人として称賛に値する。よってこのパイロットに敬意を表し、水葬に付したい」とし、翌朝9時、艦上において米海軍のしきたりに則り、星条旗に包まれた遺体は木製の担架に乗せられ、5発礼砲とともに海に葬られた。

特攻隊員の遺体

聯合艦隊告示によると昭和20年4月11日に、海軍では鹿児島県にあった以下の二つの航空基地から四つの部隊が特攻に出撃している。

【第一国分基地】
第210隊:3機
第三御盾/第252隊:2機
第三御盾/第601隊:2機

【鹿屋基地】
第五建武隊:16機

さらに検証をすすめると、ミズーリの砲台に突き刺さっていた“九九式二号20mm機銃”を装備していたのは第五建武隊の16機の零戦五二型だけだったようである。
また各搭乗機からのモールス信号による打電報告、米軍側のアクション・リポート、ミズーリの航海日誌などから推測される事実が浮かび上がった。
それによると、第五建武隊のうち第4区隊(区隊最東側)をペアを組み索敵していた3番機搭乗の石井兼吉二等飛行兵曹と4番機搭乗の石野節雄二等飛行兵曹は、レーダーに捉えられぬよう低空飛行を選択。(※二等飛行兵曹=“二飛曹”と省略呼称)
しかし、機動部隊を見付けられなかったかめ右に旋回し北上。
石野二飛曹からの打電によると…
14時39分、突然視界に…喜界島南方に展開していた敵艦(第58機動部隊第4隊)を発見。
米軍側も零戦2機を確認し、戦闘機をスクランブル発進。
石野二飛曹は14時41分に「テキセントウキミユ」と打電し…その2分後の14時43分、敵機の攻撃および対空砲火を掻い潜り…上記したように、空母イントレピッドを護衛していたミズーリに体当りしたという。
これらの結果を踏まえ、体当たりを敢行したのは、4番機搭乗の石野二飛曹の機の可能性が高いという報告をしている。
勿論、体当たりを敢行したのが石井二飛曹の可能性もある。
ミズーリの航海日誌によれば、体当たりから3分後の14時46分に2機目の突入が試みられたとの報告がある。
ただし、この機は対空砲火により撃墜されている。
石井二飛曹からの打電報告は当初から何もなかったが、もしかしたら無線機が故障していたのかもしれない。
もしも石井二飛曹が先に突っ込んだのならば…その3分間の間に、石野二飛曹からの「ワレモトツニュウス」などの打電が打たれた可能性もある。
結局、突入報告はどちらからもなかったが…このような状況下では既にそれどころではなかったのかもしれない。
いずれにしても、ミズーリに体当りしたのは石野、石井の両二飛曹である可能性が高いようである。
石野節雄二等飛行兵曹_石井兼吉二等飛行兵曹

因みに、同部隊の第3区隊を索敵していた4機のなかに…
14時10分に「トツニュウス」と打電をした2機のうち(もう一人は第1区隊の西本政弘一飛曹)の1機に搭乗していた宮崎久夫一飛曹がいる。
宮部久蔵…名前的には…一瞬、この人物が名前の由来?などとも思ってしまったが…??


龍を屠る者たち

劇中でも訓練中に墜落してしまうというシーンがあるのだが…
私の父も、終戦まで…海軍ではないが、三重県鈴鹿市高塚町におかれていた陸軍第一航空軍教育隊で飛行訓練を受けていたとのこと。
やはり、訓練飛行中の事故で亡くなられた戦友も結構いたようで…
未熟故の操縦ミスということもあるかもしれないが、当時はなかなか完璧な整備状態での飛行も難しかったのだろうから、起こるべくして起こってしまったケースも多々あったことだろう。

父から聞いた話のなかで印象深かったのは…
米軍の空襲などが、例えば名古屋などの近隣都市にあると、迎撃に向かうというのではなく…
戦闘機を温存するために…空襲のない方向に退避飛行をしていたようである。
当時の単発戦闘機のほとんどが もともと高高度(1万m以上)飛行向けのエンジンではなく…
また大戦後期には材料や工員の質が低下したうえに、高オクタン価の航空燃料の入手が困難になっていたため、排気タービン(ツインターボ)を装備している高高度飛行のB-29を迎撃する事は困難であった。

それでも、来襲機の10~15%を撃墜したという記録があるようで…
樫出 勇陸軍大尉が所属する、二式複座戦闘機を配備する陸軍飛行第4戦隊の“屠龍戦隊”は来襲した80機のうち23機を撃墜…損害は3機未帰還、5機が被弾という、欧州戦線でも例を見ない史上空前の大戦果をあげるなど勇猛果敢に挑んでいった例もあったとのこと。
当初、二式複座戦闘機には「屠龍」という愛称は冠されていなかったそうだが、樫出をはじめ、木村准尉、西尾准尉、藤本軍曹などといった他の搭乗員たちの活躍も目覚ましく、彼ら北九州を防衛する防空隊の戦果・活躍が報じられるや、樫出が所属していた小月(山口県下関市)の飛行第4戦隊と芦屋の飛行第13戦隊を“屠龍部隊”と呼ぶようになり、この名が定着したそうである。
“屠龍戦隊”の名称の由来は…
荘子の『列禦寇』に“屠龍(とりょう)の技”(龍を屠る)という言葉があるそうで…
意味は、「龍を殺すわざを身につけるのに多くの費用と時間をかけたが… 結局、龍がおらず、その技が役に立たなかった」という故事から…
“高価な犠牲を払って学んでも、実際には役に立つことのない技芸。 身につけても役立たない技術。”…と、なんとなくネガティブな意味合いが強いようだが…
無駄、無理と分かっていても邁進するといったポヂティブな捉え方をしていたのかもしれない。

二式複座戦闘機“屠龍”は制空戦闘機としては運動性がそれ程でもなかったことから相当分の悪さはあったが、彼らには被弾し、もはやこれまでとなった時には必中必殺…体当たりを敢行し、必ず敵機を道づれとする信念があったという。
実際、後部座席を排除し軽量化を図って体当たり専門の対空特攻隊“震天部隊”も編成されたということである。

まぁ、当時は“屠龍”に限ったことではなかったが、その分の悪さを…
例えば、B-29による夜間爆撃への迎撃に際して…
探照灯の明かりだけを頼りに追撃、攻撃するなど…
搭乗員たちの、まさに“屠龍の技”で勇戦敢闘したといえるのかもしれない。
二式複座戦闘機 “屠龍” (川崎 キ45改)_01

二式複座戦闘機 “屠龍” (川崎 キ45改)_02
二式複座戦闘機 屠龍」(川崎 キ45改)
1942年(昭和17年)2月、制式採用。連合国側のコードネームは“Nick”。


最後の特攻隊

昭和20年8月15日正午、玉音放送が流れ…日本の戦争は終を向かえたことが伝えられた。
だが、この日の夕刻、大分海軍航空隊の基地を飛び立った11機の特攻機があった。
11機(23名が分乗)のうち3機が不時着、8機が突入…未帰還となっている。
詳細は、突入8機のうち2機が沖縄伊平屋島の米軍基地施設直前でルートを変え、畑に墜落炎上…
あとの6機もまた、米艦にまさに突入する直前にやはり進路を変え、海上に機体を激突させた。
この“最後の特攻?”を隊長として率いたのが、第七〇一航空隊・第103艦上爆撃分隊の隊長であった中津留達雄海軍大尉である。
そして中津留の隊長機に同乗したのが、第五航空艦隊総司令官の宇垣 纏海軍中将である。

中津留達雄_宇垣纏

15日朝、いつものように特攻の出撃命令が下され、中津留は自らも含め、予定された数機の特攻隊の編成を黒板に書いていたが、玉音放送により事態は一変する。
だが午後1時、中津留は自分を隊長とする5機編成による特攻隊の搭乗割をあらためて黒板に書いた後、全艦爆隊員たちに兵舎前に集合するよう命じた。 
(おそらく、宇垣により沖縄突入の決意・打診を聞いたことによるものと思われる。) 
午後3時、その隊員たちの前に、第五航空艦隊司令長官の宇垣海軍中将が訓示を行った。
そのなかで宇垣は…
「本日、我が国はポツダム宣言を受諾した。小官は幾多の特攻隊員を犠牲にしてきて誠に遺憾に堪えない。これから沖縄に最後の殴り込みを掛けるから、諸君、着いて行ってくれないか…」という懇願にも似た訓示だったという。
その後、宇垣を囲んで別盃が交わされたが、我も行くと参加を希望する者が増え…当初、艦上爆撃機「彗星」5機をもっての突入予定が、最終的には11機編成となったという。
そして午後5時、沖縄に向け出撃した。

因みに、出発の直前…中津留は、自機のエンジンに異常音を感じ…
自分の乗る機には、決死の覚悟を決めた宇垣を同乗させるため、万が一にも不時着などという失敗は許されない。
そのため、劇中の宮部のように…他の者に愛機を譲り、別の機体に乗り換えたというのである。
案の定、中津留の乗るはずだった機はエンジントラブルを起こし、途中で不時着したとのことである。

宇垣海軍中将と最後の特攻機「彗星」43型
特攻出撃直前の宇垣海軍中将と搭乗した艦上爆撃機「彗星」43型

宇垣は、山本五十六連合艦隊司令長官の参謀長として…1943年(昭和18年)4月18日に、山本長官と共に一式陸上攻撃機2機に分乗して前線視察中、待ち伏せしていた米軍機に襲撃されている。
山本搭乗機、宇垣搭乗機ともに撃墜されたが宇垣は九死に一生を得て、山本の遺骨とともに戦艦「武蔵」で内地に帰還した。
その後、形見として山本の短刀を譲り受け…最後の搭乗の折には、その短刀を携え乗機している。
沖縄への機上、宇垣は以下のような“決別の辞”を電文として打っている…
「過去半歳にわたる麾下各部隊の奮戦にかかわらず、驕敵を撃砕し神州護持の大任を果すこと能わざりしは本職不敏の致すところなり。本職は皇国無窮と天航空部隊特攻精神の昂揚を確信し、部隊隊員が桜花と散りし沖縄に進攻、皇国武人の本領を発揮し驕敵米艦に突入撃沈す。指揮下各部隊は本職の意を体し、来るべき凡ゆる苦難を克服し、精強なる国軍を再建し、皇国を万世無窮ならしめよ。天皇陛下万歳。」

伊平屋島周辺の洋上には煌々と明りを灯した無数の米艦船があるものの、日本の無条件降伏による戦勝の祝いが其処此処で催され、対空砲火を受けることもなく、祝宴に酔いしれる様子がくっきりと見て取れる上空にまで達することが出来たということである。
思いもよらぬ敵機来襲に慌てふためく米兵たちの鼻を掠め、上記の如く散ってゆきました。

宇垣を含む23名のうち、8機17名が死亡。
3機がエンジ不調で着水…その際、6名中1名死亡…5名が救助されている。
翌16日早朝…伊平屋島の岩礁に激突している機体をを米軍側が調査…3名の遺体を収容。
そのなかに宇垣と思われる…短刀を所持した遺体があったという。
(おそらく3名搭乗可能な艦上爆撃機「彗星」43型(後部複座型)の隊長機で、宇垣、中津留と偵察員の遠藤秋章飛曹長)
この時点ではまだ停戦命令が発せられていなかったということもあり、突入した搭乗員たちは戦死と認められ特進(但し一階級)しているが、宇垣は進級はされていない。

艦上爆撃機「彗星」43型_D4Y4
艦上爆撃機「彗星」43型(D4Y4)


中津留は、1922年(大正11年)に大分県津久見町(現:津久見市)に生まれでいる。
セメント会社勤務の父と、教員の母との間に生まれた一人息子。
少年時代から文武ともに成績優秀…1938年(昭和13年)、県立臼杵中学から一人だけ難関の海軍兵学校に合格している。
海軍兵学校のなかでも、長身で端整な顔立ちから中津留には女学生のファンも多かったようである。
士官となった後も、部下に優しく、体格もよく、おまけにハンサム…まさに“美丈夫”という言葉がぴったりだったと評されている。
その後、宇佐海軍航空隊(大分県)において…まさに宮部の如く、教官として後進パイロットの養成に努めている。
ここでもまた…優しく、親身に部下を気遣い、艦爆の急降下や、編隊、滑走の方法を微に細にわたり指導し、大声を出したり、暴力を振るったりすることのない教官だったそうである。

この宇佐海軍航空隊の時代に、基地に慰問袋が送られ、たまたま中津留が受け取った慰問袋の送り主は、基地から家も近い女性であったらしい。
そこで、義理堅い中津留はお礼に訪ねたそうである。
その女性が何とも麗しい女性で…中津留は一目惚れし、求婚。
それが後に、妻となる保子さんとの馴れ初めだったそうである。
結婚後、一旦…美保海軍航空隊(鳥取県)に転属となるも…故郷の大分では妻・保子が長女・鈴子を無事出産している。
中津留の上官だった江間 保陸軍少佐による粋な図らいで…昭和20年8月初旬に故郷大分の大分海軍航空隊に転属となっている。
そして、8月15日の終戦を向かえる。
2週間程の短い期間ではあったものの、そん間に親子三人のささやかな時間も持てたわけではあるが…現代(いま)をのうのうと生きる者にとっては、その心中を推し量ることは難しいことである。(享年23歳)
戦後、江間は自分のこの短慮な図らいが、中津留を死に至らしめる結果になってしまったのではないかと心を痛め続けたということである。


余談ではあるが…
若干ストーリーは違うものの、直掩隊の隊員であった直居欽哉が書き下ろした脚本を基に…
終戦翌日の16日未明、爆音を蹴って戦友のもとへと飛び立った、直掩隊隊長の宗方大尉の生き様、宗方を取り巻く人間模様を描いた『最後の特攻隊』(1970年)という映画がある。
俳優陣は、その宗方に鶴田浩二、特別攻撃隊指揮官に高倉健…その他、若山富三郎、梅宮辰夫、菅原文太、千葉真一、渡瀬恒彦、笠知衆といった東映オールスター共演の…これまた豪華な顔ぶれの映画なのだそうだ。
当方も未見なので…DVD化されているようなので…是非、見てみたいものである!



●閑話休題

最後に、また映画に関する独り言的話題を…
それは、映画にはもはやつきものともなっている主題歌に関して…
たいていの映画はラスト間近になると、その主題歌が流れはじめ…そしてエンディングロールへと続いていくのが常のようになってきているが…
本編の余韻・感動をさらに掻き立てるべく…確かに、その効果は否めない。
そのため洋画・邦画を問わず、映画のイメージを左右しかねないイメージソング≒主題歌には話題となるアーティストの楽曲がチョイスされることが多い。
この作品ではサザンオールスターズの「」が主題歌となり、これも話題となったようである。
ただ、これは…あくまでも私見であるが…
楽曲そのものはメロディ、歌詞ともなかなかのバラードではあるのだが…
本編のラストのあとの楽曲にしては少々軽い印象を受けてしまった。
因みに、上記した各作品では…
『君を忘れない』 岩田雅之「Nobody loves me like my baby
『出口のない海』 竹内まりや「返信
『俺は、君のためにこそ死ににいく』 B'z 「永遠の翼
『男たちの大和/YAMATO』 長渕 剛 「CLOSE YOUR EYES
…など、『君を忘れない』は別にして、錚々たるアーティストが楽曲を提供している。
因みに、役所広司が山本五十六役を演じた『聯合艦隊­司令長官 山本五十六』 の主題歌として使われたのは小椋佳の「」であったが…
楽曲自体はどれもそれなりにはよい曲なので、お聴きになられたことのない方は是非、聴いてみて頂きたいところではあるのだが…
ただ、これも、あくまでも私見ではあるのだが…
こうした散りゆく者を見送る場面に流れる曲としては、どれもイマイチ“ぴん”とこない。
『連合艦隊』(1981年)で挿入された谷村新司の「群青」…
時代設定は少々違うものの…豪華メンバー総出演による戦争スペクタクル巨編とでも言うべき作品の『二百三高地』(1980年)で挿入されたさだまさしの「防人の詩」などが、私のなかでのイメージとしてはドンピシャ(死語?)…更なる感涙間違いなしだったことだろう…(苦笑)
…ということで、「群青」「防人の詩」をBGMにしたイメージビデオがありますで、ご覧下さい!






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映画のなかのロンメルたち

2013–05–01 (Wed) 22:41
砂漠の鬼将軍
【 THE DESERT FOX / Rommel der Wüstenfuchs (1951) 】

THE DESERT FOX (1951)_poster


これまでも何度か話題にはしたこととは思うのだが…
当方のミリタリーというか、独軍関連に関する興味再燃へのきっかけとなったのは、15年程前のとある深夜に放映されていた映画『THE DESERT FOX(邦題:砂漠の鬼将軍)』をたまたま見たことに因るところが大である。
幼少の頃…タカラのニューG.I.ジョーやタミヤのプラモデルなどでの興味の対象は、その当時から勿論、ドイツ軍モノには限ってはいたし、TVで放映されていた『コンバット』やその他映画のなかで呆気なく、少々間抜けに負けると分かっていてもドイツ軍を贔屓してしまうような、現在に至るような素地は芽生えてはいたものの…年頃になって野球(勿論、ミスターG)、ファッションや音楽、アイドルなど御多分に漏れず興味の対象がシフトするとともに…一応、別の意味での(受験)戦争に突入したことなどもあり次第に縁遠くなってしまっていた。

話を映画『砂漠の鬼将軍』に戻して…
この映画が製作されたのは1951年(昭和26年)…戦後6年目の、この時期、日本は連合国側とサンフランシスコ講和条約の締結に至り、これで正式に“戦争状態”が終結し、日本の主権が承認…晴れて再び独立国となったが、まだまだ国内は戦後復興の初期段階だった。 
アフリカ戦線において、インド軍陸軍准将として任官し、ガザラ地区で第10インド旅団の指揮を執っていた際にDAKの捕虜となった原作者のデズモンド・ヤングが、英軍内でも神格化されていた敵将の“砂漠の狐”に、ほんの一瞬といっても過言ではない接点の間に魅了され、戦後に作家、ジャーナリストとなった彼が執筆、1950年出版された「ロンメル将軍(原題:Rommel)」を基に映画化されている。
因みに、劇中では…ロンメルに救われたインド軍先任将校“デズモンド・ヤング中佐”役を自身が演じている。

Rommel der Wüstenfuchs_title
ドイツでの公開当時のプログラム(パンフレット?)の表紙。
A3サイズの用紙を二つ折りにして見開きとしたチラシ?とも思えるほどの簡単な物。
独題の“Rommel der Wüstenfuchs”とは“砂漠の狐・ロンメル”…原題がそのまま独語に訳されている。
海外では慣習、文盲率などの理由から字幕ではなく吹き替えが主流なのだそうで、劇場公開時には独語吹き替え版で上映されていたのかもしれない。
出来れば、独語吹き替え版・日本語字幕のDVDで見返してみたいものである。
もともとの英語版よりも、そちらの方がシックリくるのではないかと思うのは私だけだろうか?

余談だが、邦題では“砂漠の鬼将軍”としたのはなぜなのだろうか?
ともすると、当時の日本の“狐”に対するイメージが人を化かしたり騙したりといったズル賢いといったマイナスのイメージがあることに加え、そこから勇猛果敢なイメージを投影しにくい等の配慮からか…などと勝手に想像したりもするのだが…?
現代では“砂漠の狐”という言葉自体が認知されているようにも思うので、『砂漠の鬼将軍』ではなく『砂漠の狐』の直訳ですんなり決まるところなのだろうが、現代の感覚と当時の感覚は多少の違いもあり致し方のないことなのかもしれない。
因みに、現代では“将軍様”といわれた方が人を化かしたり騙したりといったズル賢いマイナスのイメージがあるのかもしれない…(苦笑)



ストーリー的なことを今更ココに列記する必要もないものと思い割愛させて頂くが…反ヒトラー派を強調する意味もあってか…まぁ、原作自体が“ロンメル”ファン による著作故に致し方ないのかもしれないが、、若干思い入れと思い込みと期待が過ぎる観は無きにしも非ず。
ただ、ロンメルという存在は…強引な私見で誠に恐縮だが、例えるならば“国民栄誉賞”の授与も為された長嶋茂雄のようなもので…アンチ巨人ではあってもミスター・ファンという方も多いというように、ミスターそしてロンメルの至る至らないなどといった些細な事象に拘ることなく、その存在自体に、ある意味魅了されてしまうところがあるのかもしれない。
斯く云う私も、この両人ともに、どっぷりと魅了された、され続けている、その一人であることは言うまでもないが…
話はだいぶ飛躍してしまったが…それまでのストーリー展開はともかく、1944年10月14日…謂われ無き?“反逆罪”に問われ、家族の身の安全の保証と自らの名誉にかけて、強要された服毒自決を潔く選んだラストへと展開…この騎士道=武士道的な結末が、実際のロンメルの英雄像もより一層印象強くする一助となっているのかもしれない。

主演のロンメル役はジェームズ・メイスン…ココ的には『戦争のはらわた(Cross of Iron)』 でのブラント大佐役と言った方がピンとくる諸氏が多いかもしれない。
メイスンは“砂漠”二部作の1953年製作映画『砂漠の鼠(The Desert Rats)』でもロンメル役として出演している。
当方的には微妙だが、ロンメル役のハマリ役者と評されているようである。
戦後間もないということもあり、制服や徽章類は実物が使われていたとも言われ…
それも、メイソンの衣装は実際のロンメル着用の服だという実しやかな噂まで伝わっているようなのだが…戦中当時の実物の服であったとしても、仕立てその他の点から見ても、少なくともロンメル着用のそのものではないものと思う。
James Mason_Desertfox_Rommel


『Five Graves to Cairo』 (1943): Erich von Stroheim
『The Desert Fox/The Story of Rommel』 (1951):James Mason
『The Desert Rats』 (1953):James Mason
『Rommel ruft Kairo』 (1959):Paul Klinger
『Foxhole in Cairo』 (1960):Albert Lieve
『Hitler/Women of Nazi Germany』 (1962):Gregory Gaye
『The Longest Day』 (1962):Werner Hinz
『The Night of the Generals』 (1967):Christopher Plumme
『La battaglia di El Alamein/The Battle of Elalamein』 (1969):Robert Hossein
『Hora cero:Operación Rommel』 (1969):Manuel Collado
『Patton』 (1970):Karl Michael Vogler
『Consigna: matar al comandante en jefe』 (1970):Piero Lulli
『Agnostos polemos』 (1971/TV):Giorgos Kyritsis
『Raid on Rommel』 (1971):Wolfgang Preiss
『Operation Walküre』 (1971/TV):Friedrich Siemers
『The Key to Rebecca』 (1985):Robert Culp
『War and Remembrance』 (1989/TV):Hardy Krüger
『The Plot to Kill Hitler』 (1990/TV):Helmut Griem
『Night of the Fox』 (1990):Michael York
『Normandy/The Great Crusade』 (1994/TV):Peter Kybart
『Triunghiul mortii/The Death Triangle』 (1999):Radu Banzaru
『D-Day 6.6.1944』 (2004/TV):Albert Welling
『D-Day to Berlin』 (2005/V):Weodzimierz Matuszak
『Rommel and the Plot Against Hitler』 (2006):Steve Phillips
『Red Rose of Normandy/Normandy』 (2011/V):Buck Brown
『Rommel』 (2012/TV):Ulrich Tukur

ロンメルの登場する映画およびTVドラマなどのタイトルを、“ロンメル”を演じた俳優名とともに年代順に並べてみた。(掲載漏れがあった場合は何卒ご了承頂きたい)
戦争…それも北アフリカ戦線が真っ最中の1943年に製作されたビリー・ワイルダー監督作品『Five Graves to Cairo(邦題:熱砂の秘密)』におけるエリッヒ・フォン・シュトロハイム演じるロンメルを筆頭に、これまでにも数多くの俳優たちが“ロンメル”役を演じている。



当方の“ロンメル”とのファースト・コンタクトは…確か、小学生の頃にTVで観た1969年製作の伊仏合作映画『La battaglia di El Alamein』…邦題「砂漠の戦場 エル・アラメン」 だったと記憶している。 
当時は勿論、実在の人物としての“ロンメル”という捉え方ではなく、あくまでも映画のなかでの一ドイ ツ軍人という捉え方ではあったものの…↓でのロベール・オッセン演じるロンメ ルの登場シーンは、 その彼だけが、制帽(そのうえMk-II装 用)、詰襟タイプのフィールドクレー上衣に乗馬パンツ+長靴という、当方のなかでの“三種の神器?”に適っていたこともあり、子供心に鮮烈・鮮明な印象・記憶として残り、その後の原体験となったものと思う。



因みに、実際の“ロンメル”といえば…スタンダードな勤務服の着用姿というのも勿論であるが、北アフリカ戦線などにみる開襟タイプの熱帯用上衣のイメージが強いのかもしれない。
(北アフリカ着任当初は詰襟タイプを着用し鮮烈な登場をしているが…)
彼自身もそのスタイルの方を好んでいたといわれるだけに、本国においても“熱帯仕立て”ではない“上質仕立て”の開襟タイプを度々着用している。
ただ映画やドラマが、北アフリカ後の“公務”における“公式”な詰襟タイプ着用での登場が多く見受けられる’44年…晩年の設定では、わざわざ“上質仕立て”開襟タイプの衣装との併用をするほどまでの拘りはもってはもらえないようである。

映画のなかでは、ゴーグルの他、“砂漠の狐”のもう一つのトレードマークともいえるチェック柄のマフラーは、なぜかシャツの襟元にのぞく スカーフに変えられて、少々派手好みで、二枚目ぶった敵将ロンメル像というスタイルを採った時期もあった。
それが、まさに『砂漠の戦場 エル・アラメン』でのヒョウ柄スカーフを巻いた“オッセン”ロンメル↓であり…
The Plot to Kill Hitler(邦題:殺しのプロット)』でヘルムート・グリームが演じたロンメル↓↓なども、これにあたるものと思われる。




他に印象に残っている“ロンメル”登場作品といえば、やはり大作である『The Longest Day(邦題:史上最大の作戦)』でのヴェルナー・ヒンツという方も多いかもしれない。


そして当方的には作品自体もイマイチではあるのに加え、タイトルにまで冠されている割には登場場面の少ない点もマイナス要素である『Raid on Rommel(邦題:ロンメル軍団を叩け)』でのヴォルフガング・プライスなどがいる。
各俳優たちが、これらの作品のなかで、どのようなロンメルを演じたのかは興味のあるところであり、その大半が未見なのは何とも残念で仕方がない。



映画として二次戦を題材に扱ったものの多くは、やはり映画として成立させるということで致し方がないのかもしれないが、どうしてもフィクション性 が色濃くなりがちである。
フィクション性がないというわけではないが、最近はTVドラマとして制作されるドキュメンタリー・ドラマ…いわゆる“ドキュドラ”というような作りのモノがなかなかに面白い。
様々な層を対象とし、興業ということを考えざるを得ない映画に対して、ドキュドラは、ある程度限定的な…極端にいえばマニア向けに制作されている と言えなくもない。
従って、資料や史実に基づいて構成していこうとする制作側の意図がある程度窺えて…まぁ、捉え方、取り扱われ方に偏向性はどうしてもあるのだが…自ずと内容もフィクション性よりもノンフィクション性が強調されることとなる。

“ロンメル”に関しては、伝記的映画ともされる「砂漠の鬼将軍」製作以来…それまで製作されていなかったのが逆に不思議なくらいだが…60年を経てようやくロンメルをメインにフィーチャーしたTV映画…タイトルも、まさに「Rommel(原題)」が2012年にドイツで製作された。
Rommel (2012)_Ulrich Tukur
1944年3月からロンメルの最期の時までを、B軍集団参謀長ハンス・シュパイデル陸軍中将、そして西方軍司令官(ロ ンメル負傷後はB軍集団司令官も兼務)ギュンター・フォン・クルーゲ陸軍元帥、他の登場人物などとの関わりのなかから、反ヒトラー活 動への関与、自決に追い込まれるまでの経緯について時系列的に描かれていく。
ドイツの制作会社よる120分にわたるTV映画ということで、台詞は勿論…全編ドイツ語であり、ロンメル役もドイツを代表する俳優の一人と されるウルリッヒ・トゥクールが演じている。
若干、他に比し大柄?な観もあることや…当方が人一倍衣装や徽章に目が行ってしまうたちなこともあり、この作品においても処々諸々気になるところのあるものの…ドラマが進むにつれてトゥクールのロンメルはロンメル然として見えてくる。
残念ながら、まだ日本においてはDVD化などがなされておらずリリースが待たれる!




ここまで語って、これを言っては身も蓋もなくなってしまうかもしれないが、私のなかでは幾多の俳優たちが演じるどの“ロンメル”…これは“ロンメル”役に限らず、様々な俳優たちがドイツの軍人、武官、文官を演じてもいるが、その所作、身のこなし、軍装などを見るにつけ…やはりオリジナル以上にしっくりとくる者はいない。
…ということで、最後にオリジナルのロンメルの映像・肉声もご覧・お聞き頂こうと思う。




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白バラが赤く染まった日

2008–09–04 (Thu) 03:07
<シネマ“感傷” 01>

白バラが紅く染まった日
1942年6月28日に始まったスターリングラード攻防戦…
当初はなんとか攻勢に進めていた戦闘も頑強なソ連軍の抵抗に苦しめられ劣勢に転じることになる。
そして1943年1月31日…
ナチス政権発足10周年の記念日でもあったその前日(30日)に陸軍元帥に昇進していたドイツ第6軍司令官のフリードリヒ・ヴィルヘルム・エルンスト・パウルスはヒトラーの厳命に逆らいきれず第6軍全体の降伏というカタチではなく、あくまでも司令部としての投降というカタチでソ連第64軍司令官シュミロフ中将に降伏する。
このため、第6軍全体としては各師団単位で個々に降伏することとなり…
2月2日のシュトレッカー陸軍歩兵科大将率いる第11軍団の投降によりついに終結をみた。

そうした劣勢の戦況にあって尚、国民を戦争にかき立てるヒトラー政権に対し…
ミュンヘン大学医学部の学生であったハンス・ショルクリストフ・プロープストらが中心となり非暴力的反ナチス抵抗運動…いわゆる“白バラ(Die Weiße Rose)”が結成された。
ハンスとクリストフら学生のなかにはフランス侵攻、東部戦線に従軍しその惨状を目の当りにし、さらにスターリングラード攻防戦における大敗を直視しなければドイツ自体の破滅につながるとの思いを強くし、一刻も早く戦争及び殺戮をやめねばならないと喚起を促す活動に専念する。

1942年7月以降、一旦下火になっていた活動ではあったが…
翌1943年1月に5号目となる「白バラ」ビラを作成・配布などを再開する。
この間に兄であるハンスと考えを一にした、やはりミュンヘン大学哲学科の学生であった妹のゾフィー・ショルも活動に参加している。
Hans Scholl, Sophie Scholl, and Christoph Probst_R
左から衛生兵時代のハンス、ゾフィー、クリストフ

Sophie Scholl_Julia Jentsch
ゾフィーを演じたユリア・イェンチ(左)と本人(右)

そして運命の2月18日…
兄妹らは講義終了にあわせてミュンヘン大学構内に1000枚以上の「白バラ」6号ビラを撒いた(置いた?)との嫌疑で逮捕されることとなる。
戦後50年程を経て旧東ドイツ地区に保管されていたゲシュタポによるゾフィー達の尋問調書、関連の捜査・逮捕記録、処刑記録などが公開され、彼女たちの最期をめぐる真実が明らかになった。
その資料および政治犯として5日間同じ監房でゾフィーから直接話を聞いたエルゼ・ゲーベルの回想(『白バラが紅く散るとき』)などを基に制作されたのが『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々(原題:Sophie Scholl / Die letzten Tage)』(独 2005年)で…
逮捕からわずか5日間で取り調べ、裁判そして即日処刑執行となったゾフィーたちの様子を出来得る限り忠実に再現した映画なのである。
白バラの祈り

そして、この映画ではその取り調べのシーンにかなりの時間が費やされ…
ゾフィーを取り調べるロベルト・モーア尋問官も重要な役割を果たしている。
後年公開された尋問調書でもゾフィーの信念を貫こうとする強い意思とその態度に深く心を動かされたようで…
「兄を手伝っただけ」と認定してゾフィーを救うおうとしていたことが傍証された。
また、エルゼの回想録においてもゾフィーの裁判の前日に果物、ビスケット、タバコなどを差し入れしエルゼに彼女の様子などを尋ねるなど尋問官としては数少ない親切な人物だったと語られている。
そのロベルト・モーア刑事役を演じているのはジェラルド・アレクサンダー・ヘルト
『シンドラーのリスト』では親衛隊(SS)官僚を演じている。
アレクサンダー・ヘルト - ロベルト・モーア刑事

さて、話を戻すと…
取り調べは昼夜の別なく4日間行われ…
22日にはベルリンの民族裁判所長官ローラント・フライスラーによる“正義”の裁判が開かれることとなる。
フライスラーといえば…1944年7月20日に起きたヒトラー暗殺未遂事件の被告に対する裁判の模様をご覧になられた方もおられることと思う。
フライスラーは“死の裁判官”といわれるほど、長官就任後の締め付けは厳しく…
彼の担当した裁判においては死刑あるいは終身禁固刑判決が激増した。

ローラント・フライスラーの裁判(7.20ヒトラー暗殺未遂事件公判)中の様子


ローラント・フライスラー民族裁判所長官ローラント・フライスラー民族裁判所長官

劇中アンドレ・ヘンニッケはそのフライスラー役を迫真の演技で熱演している。
額に青筋を立て罵倒する姿はその裁判の様子などをよく研究したのではないかと思える。
因みに、彼は以前にも紹介した『ヒトラー ~最期の12日間~』でヴィルヘルム・モーンケSS少将役を…
『ヒトラーの建築家 アルベルト・シュペーア』ではルドルフ・ヘス副総統役を演じている。
アンドレ・ヘンニッケ‐ローラント・フライスラー判事



午前10時に開廷した裁判は審議休廷をはさみ午後1時半ごろには判決が言い渡された。
判決は…勿論、“死刑”…
それも猶予期間も認められず…しかも即日執行というあまりに不当なものであった。
言論・思想統制に神経を尖らせていた政府、警察当局が…
一学生たちの“白バラ”抵抗運動にさえ危険性・危機感を感じるほど状況は逼迫したものになっていたことが窺われる。
そしてシュターデルハイム刑務所に戻されたゾフィー、ハンス、クリストフら3人の刑は午後5時に執行された。
映画のラストシーンではゾフィーが断頭台の置かれた処刑室に入り斬首されるところで暗転…
後は音(声)のみのというところが逆にリアル感を演出している。



ゾフィーは逮捕後の尋問の際の「こういったことを全部よくお考えになっていたら、あのような行動はとらなかったのではないですか?」という質問に…
私はもう一度、すっかり同じことをやるでしょう。
考え方のまちがっているのは私ではなく、あなたがたの方なのですから…
」と答えたという。
一貫した彼女の毅然とした姿勢、生き様を描いた映画としても…
また映画として純粋に作り手、演じ手の描き方を堪能するにおいても見応えのある作品なのではないだろうか。

DER UNTERGANG

2008–07–10 (Thu) 01:34
DER UNTERGANG_poster

有名人のそっくり蝋人形で知られるロンドンのマダム・タッソー蝋人形館が先頃('08 7/5)世界で7番目の分館をベルリンにオープンさせた。
ベートーベンやアインシュタインなど75体のなかにアドルフ・ヒトラー総統(↓)も用意されていたのだが…
オープン初日に早くもそのヒトラーの首がもぎ取られるという騒ぎがあった。
因みに、制作費は約2万ユーロ(約340万円)とのこと。
DER UNTERGANG_Hitler_wax
分館はヒトラーが最期の時をむかえた地下壕からわずか350m程の目抜き通り沿いに立地しており…
また、ユダヤ人を追悼する施設なども近くにあり…
当初から一部の政治家やユダヤ人団体、反ナチス団体などからは開館前から「ヒトラーを呼び物にするとは無神経で悪趣味!」「ネオナチの聖地になりかねない!」などの物議を醸していたものの…
分館側は「ヒトラーはドイツ史の一部…外せばかえって歴史の美化につながる」と反論していた…
私も同感である!
戦後、敗戦国は戦勝国側の意向なのか戦中の詳細を湾曲する部分も多々見受けられる…
確かに人道的に反することも行われていたことは事実であるが…
実際に起こったこと…起こしたことは事実として…
“戦勝国が隠したい…隠した…事実”も含めて両者共に認識をしていくことが重要であり…
ヒトラーという人物を見ないように…なかったかのようにすることが果たして戦争反対につながるものかは?なところだと思う…
“憎し!”の意識が未だに薄れることのない事も確かに致し方のないことなのかもしれないが…
ただ、そうした“民族”でさえもまた平和裏には歴史を動かしてはいけないのは皮肉な事実ではある…(苦笑)

ところで、犯人?…実行者?は…開館直後(二番目)に入館した元警官だというベルリン在住の41歳の男性で…
仕切りのロープを飛び越え、ヒトラー手前にあった机に駆け上り「戦争反対!」などと叫びながら頭部をもぎ取ったのだという。
男はその場で取り押さえられ…
器物損壊に加え、止めに入った警備員などを殴り軽症を負わせたことから傷害でも逮捕・起訴されていたが間もなく釈放されたようである。

因みに、今回の事件に対し独メディアのなかには「やっとヒトラーの暗殺が成功した」など皮肉まじりに報じたが…
その2日後には“復活”を遂げられてしまってはそうした皮肉も藪蛇とも言えなくもない…(苦笑)

さて、その蝋人形の展示シチュエーションは広報担当によれば「崇拝されるべき人物としての印象を与えないように、第二次世界大戦終結の直前に地下壕で苦悩する“失意の人”を強調したものにした」とのことである。
騒動後…周りへの配慮からか…更に“失意の人”は強調されたようで…
髪をボサボサに…ネクタイを緩めて、だらしなさも強調させられたようです。
まぁ、ネクタイを鉢巻にして“バカボンのパパ”にされていないだけよかったのかなぁ~(苦笑)
Hitler_wax

そんな地下壕での“失意”のヒトラーをリアルに描いた映画がある。
それが2005年公開の『DER UNTERGANG/ヒトラー ~最期の12日間~』である。

原作はヨアヒム・フェスト著書の『ヒトラー 最期の12日間』…
そして、ヒトラーの最期を目の当りにした秘書トラウドゥル・ユンゲが自身の死の直前に著した『私はヒトラーの秘書だった』などをもとに脚本が書かれている。

1943年以降になると歳よりも老けて見えはじめ…
地下壕に閉じ篭った頃ともなると“まるで廃人”のようだったと表現する証言者もいるくらい外見的にも判る程に精神的にも荒廃していたヒトラー…
ただそうした状態のもとにあってもなお人々を引き付け、その威光が完全に失われたわけではなかったというヒトラーをブルーノ・ガンツが迫真の演技で演じている。
DER UNTERGANG_Hitler

ヒトラーとその取り巻き連中の描き方については賛否両論あるかとも思うが…
私的にはかなり当時を知る者達の証言事項などが細部にわたって織り込まれ…
また市街戦などのシーンもかなり迫真に迫っており、なかなか見応えのある映画になっているのではないかと思っている。
ただ映画の内容・批評等については私如きが語るまでもなく少し検索をすれば他所でもご覧になることも出来ようかと思うで、ここでは映画の登場人物が実際にはどのような人物だったのかをサラッと触れるこにしようと思っております。
勿論、全員について紹介することは出来ませんので…
劇中で気になった登場人物だけをピックアップしてみました。

●ヒトラー専属副官オットー・ギュンシェSS少佐役はゲッツ・オットーで…
雰囲気としてはまあまあな感じなのではないだろうか…
因みに、ご本人は2003年までご存命で享年86歳。
DER UNTERGANG_Gunsche

●今回の中ではヒトラー役のブルーノ・ガンツ(↓中央)と並んでかなり近い雰囲気を出していたように思えるのがハイノ・フレヒ(↓右)が演じたアルベルト・シュペーア
エヴァ・ヒトラー(ブラウン)に関しては、個人的嗜好を言わせて頂くとユリアーネ・ケーラー(↓左)より『モレク神』のエレーナ・ルファーノヴァの方がしっくり来るようにも思える。
DER UNTERGANG_Hitler_Eva_Speer

ヘルマン・フェーゲラインSS中将は『戦場のピアニスト』など独軍将校役としてお馴染みのトーマス・クレッチマン(↓上段)が演じている訳ですが…
似ているかと言われれば首を傾げるところではあります。…(苦笑)
ただ、演じる役柄がこれだけ有名な人物なだけに階級(この時点では既にSS少将ではなくSS中将)は間違えないで頂きたいものである。
因みに、ハインリヒ・ヒムラーSS全国指導者役のウルリッヒ・ネーテン(↓下段)に関しては…
まぁ、雰囲気としてはなかなかだとは思いますが欲を言えば…私的には少々“男前”過ぎなくもございませんが…(苦笑)
DER UNTERGANG_Fegelein_Himmler

●ベルリン中央地区防衛司令官ヴィルヘルム・モーンケSS少将役のアンドレ・ヘンニッケ…これまた似ているかと言われれば首を傾げるところではあります。
因みに、これはソ連軍に拘束された直後の写真だが、その窶れ方というか風貌からもベルリンを巡る攻防戦の苛烈さが窺い知れるのと同時に安堵感というものも垣間見られるのではないだろうか。
DER UNTERGANG_Mohnke

マルティン・ボルマンNSDAP全国政治指導者兼ヒトラー個人秘書兼SS大将役のトーマス・ティーメ (↓)
衣装的にはフィールドグレーの開襟服にちゃんと43年型襟章を着用している。
(因みに、両肩の肩章もちゃんと一般SS型を着用している。)
ただ、少々思っていた印象よりもオドオドした感じに描かれていたのが…?(苦笑)
DER UNTERGANG_Bormann

●ヒトラーの第二侍医だったヴェルナー・ハーゼSS予備役軍医中佐
この写真を見る限りでは握手を求めた方?とも思える容姿ですが、オペ中のドクターの方である。
この写真はやはり拘束時に撮られたものですが、証明書の写真だとこんな感じです。
劇中ではマティアス・ハビッヒが演じている。
DER UNTERGANG_Haase

●ヴェルナー・ハーゼSS予備役軍医中佐と共に地下壕において負傷者の手当に追われることとなったエルンスト=ギュンター・シェンクSS軍医大佐(劇中ではSS軍医中佐となっている?)を演じたクリスチャン・ベルケル
シェンクは栄養学などに素養があったことなどから、戦地におけるW-SS兵士達のビタミン剤やプロテイン・ソーセージといったレーション開発・製造などに携わっていた。
ただ残念なことに、シェンク本人を収めた画像が検索出来なかったため今回は掲載できない。
※因みに、これは晩年のシェンクのお写真である。
シェンクを演じたベルケルの父親が元軍医とのことであるが、母親はユダヤ人だったこともあり、戦時中は迫害を逃れてフランス、アルゼンチンなどに亡命していた。
ベルケルはこの後も、『ブラックブック』『ワルキューレ』などでもドイツ将校・将官役を演じている。
DER UNTERGANG_Dr.Schenck

ヘルムート・ヴァイトリング砲兵科大将役のミヒャエル・メンドルは実際の雰囲気とは若干違うものの、なかなか魅力的に描かれていたように思います。
DER UNTERGANG_Weidring

●今回の主人公トラウドゥル・ユンゲ未亡人と共に官邸地下壕に残ったもう一人のヒトラー個人秘書のゲルダ・クリスティアン夫人…
劇中ではユンゲと対比させるためか少々見劣りさせるような人選になっていたような…
ユンゲ未亡人役はアレクサンドラ・マリア・ララ(↓左)、クリスティアン夫人役はビルジット・ミニヒマイア(↓右)
さて、その主人公のユンゲ未亡人…
劇中でも触れられているように結構スモーカーのようで…
タバコが手放せないようですねぇ~(苦笑)
因みに、この写真は夫であるハンス・ヘルマン・ユンゲSS中尉とのツーショット…
その彼は1944年8月13日にノルマンディー地方ドルーで低空攻撃により死亡している。
DER UNTERGANG_Juge_Gerda

●今回、ちょっと人選を間違えたのではとも思えるのがヨーゼフ・ゲッペルス役のウルリッヒ・マッテス
私的には彼がエルンスト・カルテンブルンナーSS大将に見えてしまって…(苦笑)
DER UNTERGANG_Goebbels

●さらに、人選を間違えたのではないかと言えば…
ヘルマン・ゲーリング国家元帥役のマティアス・グネーディンガー
ゲーリングはゲーリングでもITPTのゲーリングの元ネタではなかろうかと思えてしまうの私だけだろうか?…(苦笑)
DER UNTERGANG_Goring

アルフレート・ヨードル陸軍上級大将(OKW作戦本部長)役のクリスチャン・レドル
もぅ、何も申しません…(苦笑)
DER UNTERGANG_Jodl

●この映画では、恐怖と欺瞞と退廃に満ちた息の詰まるような地下壕での時間を秘書のユンゲの目を通して描くのとは別に…その外…ソ連軍が迫り、激しさを増す攻撃・砲撃のなか…
恐怖と怯懦と狂信の錯綜する荒廃してゆくベルリン市街での時間をドネヴァン・グニア演じるペーター・クランツ少年の目を通しても描いている。
エンディングではそのペーターとユンゲが手を取り、共に明日へと歩き出すという…ある意味、象徴的なシーンでこの映画を締め括っている。
DER UNTERGANG_Peter

この映画には、実在した人物という…ある意味、絶対的な存在感をもつ登場人物たちの多いなか…登場するシーン、セリフこそ少ないが、ペーターと市街戦を共にする…三つ編みのブロンド少女…インゲ・ドンブロフスキ役のエレーナ・ツェレンスカヤ嬢の凛とした美しさが強く印象に残っているという方は少なくはないのでは…
DER UNTERGANG_Inge

●最後はブロンディ君です…
劇中のブロンディ役の○○○君は、まさにブロンディ君…私如きには見分けがつきません…(苦笑)
因みに、ブロンディ君とエヴァの愛犬(スコティッシュ・テリア…地下壕に連れて来たのがニガス(Negus)かKatuschka(愛称“Stasi”?)かは不明)を毒殺したのが↑のハーゼ教授である…


【 Hinzufügen 】

< 劇中のシーンで気になった点について… >

◎ゲッペルス夫妻と6人の子供達の最期
総統官邸歯科医師のヘルムート・クンツ(劇中でマグダに頼まれて子供達に薬品を飲ませていた人物)の証言によると…
ほぼ劇中の如く…ただ若干違うのは…
注射によってモルヒネ(傾眠効果あり)0.5ccを…劇中では嫌がるヘルガに無理やり飲ませたことになっていますが、ソ連軍への供述では“マグダは子供達に「いつもよその子供や兵隊さん達もしているやつよ」と言い終えると部屋から出て行きました。私は長女のヘルガ、次女ヘルデ、次男ヘルムート、三女ホルデ、四女へータ、五女ハイデの順で処置していきました。それが済んだのが午後8時40分…10分ほど経ってマグダと子供達の寝室に戻り、更に5分程待って一人一人の口に青酸カリ(1.5cc)のアンプルを砕いて含ませました。”
…ということのようです…
因みに、ゲッベルス夫妻の遺体焼却を頼まれたゲッベルス専属警護隊所属のギュンター・シュベーガーマンSS大尉の証言によると「焼却用のガソリンを用意している時に銃声が聞こえ、庭に行ってみるとゲッベルスとマグダの死体を発見する。マグダは毒(青酸カリ)を飲んで既に死亡していたが、ゲッベルスは自分ではどうしても急所を撃つことが出来なかったようだったので私は部下の一人に命じて止めをささせました。これは当初からゲッベルス本人に頼まれていたことでもあり、彼が撃ったあと念を入れて私がもう一度撃ち、それから死体を火葬に付すことになっていました。ただ、私にはどうしても撃てなかったのです…。」
時刻は5月1日午後8時15分頃だったという。
上記二人の証言では時間的に誤差が生じてはいるが、あのような状況下では記憶の不確かさは否めないのかもしれない…
DER UNTERGANG_Goebbels w/Family



◎ヘルマン・フェーゲラインSS中将の最期
4月27日…地下壕の住人達の証言から…フェーゲラインが姿を消したことが発覚した…
ヒトラーは自分の第二飛行士でもあるベーツSS大佐を捜索に派遣…
ベーツはベルリンの自宅のベットに私服姿で横たわっているフェーゲラインを発見し、拘束している…
フェーゲラインはその場で妻グレートルの姉エヴァに直接電話をかけ、彼女に懇願するも無駄だったということである…
官邸地下壕に連れ戻された彼はハインリヒ・ミュラーSS中将(ゲスターポ局長)を裁判長とする簡易軍法会議に掛られ“脱走罪”の判決を受け、即刻官邸の庭に引き出され銃殺された。
このフェーゲラインに対する“銃殺”という判決の背景にはゲーリングの背信的行為以上に精神的打撃を与えるに至った“忠臣ハインリヒ”の裏切り行為に起因するところが大きかったものと思われる…
あのハインリヒ・ヒムラーが勝手に和平交渉を申し出たこともさることながら自分(ヒトラー)の身柄を引き渡す約束をしたともされ、“裏切り行為”に対する怒りは頂点に達した。
それと同時に、戦況がもはや絶望的であることを認めざるを得なくなったこの時点に至っては、ヒトラーはムッソリーニのような惨めな最期…晒し者としての最期だけは断じて避けなくてはならないという思いに一層駆られていくことになる。

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