空蝉

2016–07–22 (Fri) 19:00
蝉は一般的に7年(長いものでは17年)程の間、地中で幼虫として成長し、地上に這い出て…脱皮し成虫となる。
ただ成虫となって地上で生きられるのは約一週間~長くて一ヶ月半程の儚い命。
人間の価値観からすれば、長い年月をかけ地上にやっと出てきた蝉はいったい何のために生きてきたのか?
勿論、地上に出て成虫となった一週間ほどの間で子孫を残す…種の保存という重要な行為のためではあるのだが…
(因みに、オスは複数回の交尾が出来るのに対し、メスは一生の内に1回のみなのだとか…)

でも見方を変え蝉の価値観?からすれば、地上よりも地中の方が彼らにとっては住みやすい環境なのではないだろうか。
また成虫という形態ではなく、幼虫という形態でいることも、地中という環境下には適しているのは勿論だが…
その形態の方が彼らにとっては生物学的にも本来の形態なのかもしれない。
但し、種の保存という観点においては、どうしても成虫という形態をとらざるを得ず…
その過酷な環境に耐えうる限界となる最期の短い期間のみ、彼らは地上に出てくると言った方が当てはまるのかもしれない。

一夏で一生を終えてしまう儚さに人の一生・最期の時を準らえ…
太陽の照りつける、明るいはずの夏の季語として用いられる「蝉」という単語には、そこはかとない寂しさを感じてしまう。
もうすぐ梅雨も明け、今年は特に暑い夏がやってくるようである…
蝉の大合唱は、その暑さを助長するに他ならないが…
最近は少なくなる一方の“夏の風情”として、彼らの叫び?を楽しめればよいのだが…
夏の暑さ…こと蒸し暑さにめっぽう弱い身としては、そんな余裕があるのやら…

蝉の脱皮


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『PEIPER's CUSTOM』 HP閉鎖のお知らせ

2015–02–12 (Thu) 00:01
PEIPER's CUSTOM_title

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INDEX
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end roll

約14年の長きに亘りご覧頂いてまいりましたPEIPER's CUSTOMのホームページですが…
PCクラッシュ等の影響で、更新が出来ない状態が続いており…
この度、↓のコンテンツの移転を済ませましたことを機に閉鎖をさせて頂くことと致しました。
長い間、本当にありがとうございました。
今後は、当P'logを引き続き宜しくお願い致します。


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ひじカタナ話

2008–05–24 (Sat) 23:38
土方歳三

今年は新選組副長・土方歳三が亡くなって“140回忌”ということで…
祥月命日である5月11日には残念ながら“御参り”は果たせなかったが…
※明治2年5月11日(西暦では1869年6月20日となるようだが…)に函館に没した。
ほぼ一年越し…その後も何度か足止めにあったことなどもあり…
今回こそは!と、土方の生家に併設された“土方歳三資料館”訪館を実現すべく…
お天気にもめぐまれ、一週遅れ(5/18)の麗らかな日曜日にやっと赴“日野”が実現した。
国領付近での不発弾処理のおかげで若干遠回りをさせられたが…
なんとか予定より30分程の遅れで京王線“高幡不動”駅に到着…
多摩モノレールが浅川を渡ればすぐ左眼下に“土方歳三資料館”が見えてくる…
“万願寺”駅から急ぎ資料館に向かうと…
既に30人程の人が狭い資料室に詰めかけおり、館の方の説明が始まったところであった。

土方歳三資料館 正門


先にも述べたように…
なぜ、ほぼ一年越しの想いかと言えば…
資料館を訪れるなら…毎年、この時期のみ展示されるという土方所用の愛刀“和泉守兼定”を是非この目で見てみたかったからで…
昨年は既に展示期間が終了したところだったのである。
そのうえ、今年はなんと土方のもう一振の愛刀“大和守源秀国”も展示されるとのことで…訪館の想いは一入だったというわけなのである。
館の方のお話では…“大和守源秀国”が個人所有のため、こうして二振揃って展示されるのは最初で最後かもしれないとのこと…
本身はそれでなくとも引き込まれるような怪しい魅力があるものなのだが…
土方の様々な想いを知るこれら二振の愛刀を目の当りにすると、言い様のない感慨を覚えずにはいられなかった。

和泉守兼定
和泉守兼定


司馬遼太郎の『燃えよ剣』では上洛前の江戸で入手する段があるが、事実は上洛後間もなくのようで…
会津藩主松平容保の上洛に伴い会津の名刀匠である11代兼定も上洛し、京都で刀を鍛えていたこともあり…
会津藩関係者との関わりのなかで11代“兼定”(2尺8寸=106.4㎝)の作を入手し、愛用したのだそうである。
文久3年8月18日の政変や池田屋事変などの際には、さすがに、これだけの名刀…“兼定”を惜しげもなく振るっていたかは?であるが…とにかく、何かの折には腰に差していたことは間違いないであろう。
ただ、資料館に展示されていた“兼定”はこの“兼定”ではなく…
慶応3年2月の作と銘打たれた12代作の“兼定”で…
2尺3寸1分6厘(88.0㎝)と11代“兼定”よりも短い作りとなっている。
なんでも赤茶色の鞘の塗りも会津漆だそうで…そこに牡丹唐草と鳳凰の紋様が配されている。
その拵は無骨さとお洒落さがミックスした土方らしいものと言えるのではないだろうか…
この12代“兼定”は1年強程しか使われなかったようだが、その巻きの磨り減り様から推測される使い込み方は尋常ではないのだそうだ…
さすが“燃えよ剣!”、“鬼の副長”!!
実はこの“兼定”がどのような経緯で生家に届けられたかは伝えられていないのである。

土方の側近として土方絶命に際しても居合わせたという(元)新選組隊士…沢 忠助および立川主税の二人は、やはり隊士であり箱館で陸軍奉行添役となっていた安富才助の土方の戦死を伝える手紙と遺品(遺髪、写真、下げ緒など)を託され、箱館から湯ノ川への脱出を決行した。
立川は新政府軍に捕縛されたものの、沢がなんとか明治3年(1870年)に、土方の親戚である日野宿の佐藤彦五郎宅にこれらの遺品を届けたという。
ただ刀のことは伝えられておらず、もし届けられた品々のなかに刀が含まれていたのならば、むしろこのことの方が語り継がれているのではないかと見る向きもある。

そしてもう一人…
箱館時にまだ15歳…小姓として土方に付き添っていた市村鉄之助という隊士は直に土方から形見の品などを託されて箱館脱出を命じられたのだという。
市村は官軍の包囲網を掻い潜り、3ヶ月かけて何とか無事に佐藤彦五郎宅に到着したらしい。
ただ、生前の土方が激戦の最中に愛刀を手放すはずがないと見る向きもある。
これはあくまでも勝手な推量であるが…
もしこの時、11代作の“兼定”もまだ土方の手元にあったのならば…
土方が市村に12代作“兼定”を託し…
新選組全盛時を共に闘ってきた11代作“兼定”と共に自らの最期を向かえるべく、これを再び主刀としたと考えれば手放す…託す…理由とも考えられなくもないのでは?…などと。
御歴々の諸説もあくまでも推測の域を脱せず…
今となっては眼前にあった“兼定”だけが、その経緯を知るのみなのである。
因みに市村はその後、約2年ほど佐藤家に滞在していたのだという。

もう一振の“秀国”<2尺2寸8分(86.64㎝)>もやはり会津刀匠である秀国の作で…
土方が慶応2年8月に“秋月某…たぶん登之助?”に譲ったものらしい…

大和守源秀国
大和守源秀国




当日は展示最終日ということで若干混んでいたとはいえ、祥月命日となる前週は、そんな混みようではなかったのだということで…
また、土方の墓のある石田寺(せきでんじ)も、同じく相当の混みようだったそうだが…
私がお参りした時は、私の他には誰もおらず…思わず墓前に盃でもたむけて一献…といきたくなるほどだった。
そう考えれば、一週ずらしてて正解だったのかもしれない。

石田寺_正門

石田寺境内_土方歳三之墓

土方歳三之碑


帰りは高幡不動を参詣し…“土方歳三”像も拝み…土方な一日を過ごしたのでした!

高幡不動_土方歳三之像



さて、そんな土方歳三を…
やはりP☆としては1/6化せねば…ということで…
当初はアルフレックスの“栗塚”版でも購入すればそれで善し…などと考えていたのだが…
なかなか手に入らないのと…よしんば手に入るとしてもチトお高過ぎて…
栗塚氏といえば“ミスター土方”とも呼ばれているほどなのだが…
通説の土方像にはまり過ぎの観はあるものの…
勿論、司馬先生が栗塚氏の隊士姿を見て「まさに土方!」と思われたくらいですから…
私も勿論、司馬作品の土方像としては文句のつけようはないのだが…
(でも、私の中では野良犬or牟礼の旦那の方が、どちらかといえばドンピシャなのだが…)

ひじカタナ人形_01

実像に鑑みてみると…
榎本武揚も土方を評して“入室伹清風(にゅうしつしょせいふう)”と言っているくらいで…
爽やかで一見すると線の細そうな感じ?だったのではないかと…

ひじカタナ人形_02
そんなわけで今回は…ソフトな感じの十二吋土方をカタチにしてみた。

何やかんやと手を加えて(”胴”“垂”をカスタム、草鞋を編むなど…)はいるものの…あくまでもキットバッシュということで…手抜きの程は、ご容赦あれ…(^ ^;
惜しむらくは…プリントではない白山形…だんだら模様を染め抜いた浅黄色の麻地風生地などがあれば、羽織は自作したかったところである。

ひじカタナ人形_04

ひじカタナ人形_05

『初夢?』の御告げ…??

2007–01–16 (Tue) 14:41
東京大仏_01

一年の最初に見る夢…
元日の夜または正月二日の夜に見る夢…
…が『初夢』ということで…
正月(1月)ももう半月以上過ぎているわけで…
今年に入ってからも既に何度も夢は見ているものとは思いますが…

ここでいう『初夢?』は…
睡眠リズムと覚醒のタイミングにより目覚めた時にその夢の内容を思い出せないということはよくあることだと思いますが…
おぼろげながらでも…
また、ある場面だけでも覚えていた“夢”…
…として、今年になってから初めて…という意味での『初夢?』ということでございます。

前置きが長くなりましたが…
数日前に“こんな夢をみた”…(^ ^;

現在は付き合いはない…知り合いと話しているのです…
自分が「今、練馬に住んでいる」というと…
知人:「近所に大仏があるでしょ~」というのでございます。
私:「えぇ~、そんなのあるの???…じゃ~初詣に行かなきゃ行けないねぇ~(苦笑)」云々…

少しはしょりましたが、覚えている内容もこれとさしたる差はなく…
とにかく目覚めた時に“大仏”というキーワードが妙に引っ掛かっていたのでございます。

そこで起きた後、PCで検索してみると…
なんと、あったのでございます!
今住んでいるところからもさほど遠くはないのですが…
以前住んでいたところからだと自転車でお散歩がてら…も可能なほどの近くに…

念のため書かせて頂きますが…
これまでその“大仏”様の噂も…TV、雑誌等での情報といったものも…
目、耳にした記憶が全くないのです。

その名も“東京大仏”!!!
夢の御告げ…御引合せ…とあっては行かぬ訳にはまいりませぬ!
…ということで、遅蒔きながら初詣に行って参りました!!

大仏といえば奈良東大寺(毘盧遮那如来【15.0m】)が有名ですが…  
関東であれば鎌倉高徳院(阿弥陀如来【11.4m】)…
なんと“東京大仏(阿弥陀如来)”はそれに次ぐ8.2mもある立派な大仏様だったのです!

東京大仏_02

この大仏様が鎮座まします御山(?)は…
板橋区赤塚にあります“赤塚山 乗蓮寺”。
応永14年(1407)に没した英蓮社信誉生阿了賢無的によって開かれたそうで…
当初は山中村(現在の仲町付近)にあったとな…
その後、中宿(現在は仲宿)へ移され…
昭和46年(1971)に国道17号線の拡張工事や高速道路建設などにより、現在の赤塚に移転したそうである。
江戸期には“孤雲山慶学院”と号していたが、現在の山号は“赤塚山”…
浄土宗専称院に合併された浄土宗の寺院である。
(ちなみに、当方の“家”の宗派も浄土宗だったりする…)

赤塚山乗蓮寺総門&仁王門

赤塚山 乗蓮寺_01

赤塚山 乗蓮寺_02


御本堂

赤塚山 乗蓮寺_03

赤塚山 乗蓮寺_04

赤塚山 乗蓮寺_05


なんでも、天正19年(1591)11月には徳川家康より10石の寺領(朱印地)が寄進されたという格式ある寺院でもあるそうで…
また、寛保3年(1743)には“暴れん坊将軍”こと徳川吉宗が志村筋への鷹狩に際して当寺で小休止し、以降将軍様の御膳所となったとのことです。
そのためか、境内のそこここにある紋という紋が“葵の御紋”なのであります!

赤塚山 乗蓮寺_06

赤塚山 乗蓮寺_07


大仏様に話を戻すと…
乗蓮寺にはもともと天保8年(1837)3月~11月の飢饉で亡くなり、当寺に埋葬された423名の戒名が刻まれた供養塔がございますが…
赤塚移転に際し、天災・戦災等の無縁仏の供養と恒久平和を祈願して青銅製の“東京大仏”が建立(昭和52年)されたのだそうです。
像高8.2m…台座を含めると約13m…
重量22tの立派な“阿弥陀如来坐像”なのでございます。

東京大仏_03

東京大仏_04


東武東上線下赤塚駅より徒歩25分、都営三田線西高島平駅より徒歩20分という…
少々、電車を利用されると不便なところにはございますが…
お近くにお立ち寄りの際には是非ご尊姿を拝みに行かれては如何でしょうか?


やはり初詣だけでは…という“兎忠”な私は…
同時に近所によい“兎忠処”はないものかと検索したところ…
あるではございませんか…“大仏そば”が名物!というお店が…
それが今回伺った『萬吉禎』でございます。
乗蓮寺門前近くにあり…
隣接するカレー店『萬吉禎 華麗の店』の“薬健カレー”は知る人ぞ知る…なのだそうで…
ビーフ、チーズ、トマトの各メニューはそれぞれ1日限定10食!
昼ごろには1日分のルーがなくなってしまうため看板を下げてしまうとのことで…
行った当日も、カレー店の方は既に営業を終了しておりました。
次回は是非頂かなくては! (※残念ながら現在は既に華麗店は閉店してしまったとのこと…)

萬吉禎_外観

今回はMが“鴨汁せいろ”を…私は“せいろ”を注文してみました。
やはり蕎麦屋に行って蕎麦だけ…などという野暮(?)の出来ない私たちは…(苦笑)
蕎麦を頂く前に…
“焼味噌”に“玉子焼き”…そして“天ぷら盛り合わせ”…
これらを頂く前に…先ずは、御燗でカラダを清め、温め…冷酒でココロを清め、和ませ…
頂きま~す!

萬吉禎_焼き味噌_玉子焼

萬吉禎_天ぷら盛り合わせ

萬吉禎_鴨せいろ

店主拘り!なだけあり…“お蕎麦は”美味しゅうございますよ~!
(ちなみに、“大仏そば”というメニューは現在はないそうですので、あしからず…)
是非、こちらも乗蓮寺にお立ち寄りの際には立ち寄ってみられては如何でしょうか?


【おまけ】

萬吉禎では“自家製チーズケーキ”というのも密かなオススメと聞き、注文してみました。
こちらは、まぁ~まあまあ…といったところでしょうか…(苦笑)

萬吉禎_自家製チーズケーキ

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