戦車模型製作の教科書 ドイツ戦車編

2016–08–02 (Tue) 20:43
戦車模型製作の教科書 ドイツ戦車編_01

発刊されて、既に久しく経っておりますが…(当方も書いたことすら失念していた次第で…)
ホビージャパンより2月29日刊行のMOOK『戦車模型製作の教科書 ドイツ戦車編』において、「ドイツ戦車兵の軍装」という記事を掲載して頂いております。
当方、AFVなどのスケールモデル製作はとんと致しませんので…
今回は1/6スケールのフィギュアなどに関してでもなく…
1/1スケールの(独軍戦車兵)軍装等に関して少々書かせて頂きました。
おそらく、どこの書店にもあるというような本ではございませんが…
戦車模型の作り方をホビージャパンのプロモデラー諸氏が分かりやすく解説している…
他の方の記事はハウツー本としては大変重宝する一冊ともなっております。
amazonなどでも、まだ購入可能なようですので、ご覧頂ければ幸いです。

戦車模型製作の教科書 ドイツ戦車編_02


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Wie geht es dir in dieser Hitze ?

2016–07–22 (Fri) 19:00
暑中お見舞い2016

空蝉

蝉は一般的に7年(長いものでは17年)程の間、地中で幼虫として成長し、地上に這い出て…脱皮し成虫となる。
ただ成虫となって地上で生きられるのは約一週間~長くて一ヶ月半程の儚い命。
人間の価値観からすれば、長い年月をかけ地上にやっと出てきた蝉はいったい何のために生きてきたのか?
勿論、地上に出て成虫となった一週間ほどの間で子孫を残す…種の保存という重要な行為のためではあるのだが…
(因みに、オスは複数回の交尾が出来るのに対し、メスは一生の内に1回のみなのだとか…)

でも見方を変え蝉の価値観?からすれば、地上よりも地中の方が彼らにとっては住みやすい環境なのではないだろうか。
また成虫という形態ではなく、幼虫という形態でいることも、地中という環境下には適しているのは勿論だが…
その形態の方が彼らにとっては生物学的にも本来の形態なのかもしれない。
但し、種の保存という観点においては、どうしても成虫という形態をとらざるを得ず…
その過酷な環境に耐えうる限界となる最期の短い期間のみ、彼らは地上に出てくると言った方が当てはまるのかもしれない。

一夏で一生を終えてしまう儚さに人の一生・最期の時を準らえ…
太陽の照りつける、明るいはずの夏の季語として用いられる「蝉」という単語には、そこはかとない寂しさを感じてしまう。
もうすぐ梅雨も明け、今年は特に暑い夏がやってくるようである…
蝉の大合唱は、その暑さを助長するに他ならないが…
最近は少なくなる一方の“夏の風情”として、彼らの叫び?を楽しめればよいのだが…
夏の暑さ…こと蒸し暑さにめっぽう弱い身としては、そんな余裕があるのやら…

蝉の脱皮


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Kaiserbaracke

2016–06–17 (Fri) 19:52
kaiserbarracke_1944.12.18

ドイツとベルギーの国境付近のサン・ヴィト(ザンクト・フィート)とマルメディ間を結ぶN62号線の分岐点のひとつである…“Kaiserbaracke(カイザーバラック)”…
その昔は「助手席で葉巻を咥える人物はアルデンヌでのパイパーだ!」などとまことしやかに言われたこともある↑の二枚の有名な写真が撮られた場所なのだが…
撮影されたのは1944年12月18日…
SS第1装甲偵察大隊指揮官のグスタフ・クニッテルSS少佐が率いる戦闘団“クニッテル”所属の…パイパー似?がオクスナーSS伍長…
後部座席から地図を指さしているのがペルズィンSS曹長、そしてドライバーのSS兵長(姓名は未特定)の三人であったことが現在では確認されている。
その彼らが乗車するのが車輌番号標“SS-929301”のシュヴィムワーゲン。
(※最初の三ケタは管轄地域を表わし、後半3ケタまたは4ケタが配備部隊における番号なのだとか。)
因みに、戦闘団“クニッテル”は、この写真の撮られた1944年12月18日付でパイパー戦闘団に増援部隊として合流している。

Gustav Knittel
フランス侵攻(西方戦役)においてLSSAHオートバイ小隊指揮官として1940年6月13日付で二級鉄十字章を受章。
ウクライナの都市、ウーマニの戦いにおいてLSSAH偵察大隊/第4中隊指揮官として1941年9月14日付で一級鉄十字章を受章。
ソ連のベルジーチフ(ベルディチェフ)の防御戦においてSS第1装甲偵察大隊指揮官として1944年1月23日付でドイツ十字章金章を受章。
1944年4月、ソ連軍の春期攻勢により第一装甲軍全体がカメネツ・ポドルスキーで孤立。
第1SS装甲軍団“LSSAH”は、合流した第2SS装甲軍団の救援を受けて、ブチャッチ近郊での激しい脱出作戦の末、その包囲網を突破。
クニッテルのその間の戦功に対し、1944年6月4日付で騎士鉄十字章が授与された。
多大に消耗したLSSAHは休養のためにベルギーに移送となった。
再編されたSS第1装甲偵察大隊を率い、1944年12月14日付で戦闘団“クニッテル”を編成、18日付でパイパー戦闘団と合流。
12月31日、ベルギーのヴィエルサルム近くにあった指揮所が米軍機により爆撃される。
クニッテルは重傷を負い、戦線を離れ、ドイツ本国において療養病床に入院。



1944年12月18日に…これはベルギーのスタヴロに通じるラ・ヴォー・リシャールで撮影されたクニッテルとSS第1装甲偵察大隊/第2中隊指揮官ハンス・マルティーン・ライトライタァSS中尉(左)の映像。


Heinrich
ハインリヒ“ハインツ”・ゴルツSS中尉がカイザーバラックの道路標識の前で位置情報の確認をしている様子も撮られている。
この時点で、道路標識の最上段には、「"202 ORD DEPOT FWD"(202兵器補給廠この先)」の標識があるが、自軍に不利益とみて剥ぎ取られている。
因みにゴルツは、フェルディナンド・オッタァSS中尉がネルファニッヒ(アーヘンから東に30km程にある町)において連合軍による空爆をうけ死亡したことにより中隊副官を引き継いでいる。


Kampfgruppe
オクスナーSS伍長(右)とペルズィンSS曹長(左)



カイザーバラックでの一連の画像は、おそらくフィルムから起こされた写真のようで、その元画は↑の動画で確認が出来る。
アルデンヌでの写真、映像は現存数自体が少ないが…
そのほとんどがSS-KBやPKの演出による…まさに宣伝用に撮られた写真、映像といえる。
勿論、カイザーバラックでの この一連の写真も↑の動画からも分かるように完璧なヤラセなのだが…
これまでの、どんな名作“戦争映画”のワンシーンより…
印象深く、かつ格好いいシーンになっていると思うのは決して私だけではないと思う。
人選に配置、そして着こなし等…独軍フリークには堪らない…
まさに絶妙なバランスの構図なのである。

Kaiserbarracke_Verkehrszeichen
P's カスタムのすすめ』の記事でも紹介させて頂いた2001年の展示の際に作成したカイザーバラックの道路標識。
自身ではなかなかこの場面を再現することもないであろうから…
1/6でスケールで、この場面を再現しているLizardKing1968、Spanish Freiwillige両氏の作例などを紹介させて頂こうと思う。

Kaiserbarracke Dec.18 1944』 (LizardKing1968)
『Kaiserbarracke Dec.18 1944』 (LizardKing1968)

Kaiserbarracke Ardennes 1944』 (Spanish Freiwillige)
『Kaiserbarracke Ardennes 1944』 (Spanish Freiwillige)


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第55回 静岡ホビーショー

2016–05–27 (Fri) 18:30
先の5月14日(土)、15日(日)の二日間、静岡市のツインメッセ静岡にて開催された「第55回静岡ホビーショー」に、今回は初めて作例出展者側として参加させて頂きました!
これまで二度ほどですが、来場者として会場に訪れたのとは全く違う楽しさが味わえた三日間でした。
ブースのスペースを分けて頂いたYASさん、酒井さん…
今回一緒に参加してくれたta-sukeさん…
そして、他の同(1/6)スケールの中野先生、ICHKAWA BASEの市川さんはじめ海外からの同胞の方々、本当にお疲れ様&楽しい時間をありがとうございました!
イベント終了後に、其処此処に飛び交う「また来年!」の挨拶がうなずけます。

静岡ホビーショー_前日搬入
今回は、過去の作例ですが、この4点にて出展参加をさせて頂きました。
毎年のことですが、会期が始まるとすごい来場者の人波でゆっくり撮影などもしていられない状態ですので…
前日夜の搬入時にセットアップしたばかりのiPhoneでの画像です。
(※拡大画像)

余談ですが…
C.F.E.2004以来、毎年…年賀状のやり取りのみとなってしまっている嘉瀬 翔氏と久しぶりにお会いできて…
それも、ちょうど…
ホビーの聖地ことタミヤ本社が無料で見学可能ということで…
案内チラシの略地図だとツインメッセからも程近い(それを鵜呑みにして歩いて行ってイタイ目にあいましたが…)こともあり、ta-sukeさんと足をのばし…
まさに、そのタミヤ本社に展示されてあった嘉瀬さんのジオラマ群を見てきて…
ツインメッセの私たちのブースに戻った直後に、目を上げると嘉瀬さんが立っておられたのにはホントびっくりしました!
いやぁ~こんな偶然もあるのですね!

嘉瀬翔_Kuberwagen
C.F.E.2004にも出展頂いた嘉瀬 翔氏製作のキューベルワーゲン。
ホビーショーの際にもお話したのですが、この時期の一連の作品以降、1/6スケールは手がけておらず…
今後も、おそらくはないとのことで…今となっては貴重な画像となってしまいました。
(※拡大画像)

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Oberst Otto Ernst Remer

2015–11–27 (Fri) 05:55
Führerbegleitregiment Kommandeur / Oberst Otto Ernst Remer

シュタウフェンベルクらによる1944年7月20日の総統暗殺未遂事件の際の“功労者?”として異例の昇進を果たし…
事件後、総統警護連隊(FBB:Führerbegleitregiment )の指揮官として意気盛んだった頃のオットー・エルンスト・レーマー陸軍大佐を再現してみた。
ヘッドに関しては、レーマーそのものというモノがないこともあり…とりあえず今回はHotToys社からリリースされている『The Avengers / Agent Phil Coulson』(2013) で代用した。

fig_Otto Ernst Remer_oberst_01

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は、“ヒトラー暗殺未遂事件”における反乱鎮圧の殊勲を讃える閲兵式典でのレーマー陸軍大佐とその部下たちが紹介されている、1944年8月3日発表の『ドイツ週間ニュース 第726回(Die Deutsche Wochenschau Nr. 726)』での一場面であるが…
この時のレーマーの将校然とした姿は、何度見ても“様”になっている。

Otto Ernst Remer

オットー・エルンスト・レーマーは、1912年8月18日にドイツ北東部に位置するメクレンブルク=フォアポンメルン州メクレンブルギッシュ=ゼーンプラッテ郡に属する都市に生まれている。
1932年に陸軍に入隊を志願、翌年に士官候補生として陸軍第4歩兵連隊に配属となった。
1939年9月からのポーランド侵攻、バルカン半島の戦い、ソ連侵攻における戦闘では機械化歩兵中隊を指揮している。
歩兵連隊“Grosdeutschland”は、1942年に自動車化歩兵師団“Grosdeutschland”として再編成され、レーマー陸軍少佐(当時)の“Grosdeutschland”としての経歴は、その第1歩兵連隊“Grosdeutschland”/第Ⅳ(重装備)大隊の指揮官として始まった。
1943年2月中旬からの第三次ハリコフ攻防戦では、歩兵連隊第Ⅰ(装甲化)大隊を揮官し…
フリードリヒ・パウルス陸軍元帥の第6軍降伏後に包囲殲滅の窮地に立たされていたパウル・ハウサーSS大将(当時)率いるSS装甲軍団の脱出を援護し、その後のハリコフ奪還にも大きく貢献をした。
その戦功および指揮ぶりに対して1943年5月13日付で騎士鉄十字章が授与された。
クルスクにおけるツィタデレ作戦の失敗、遁走の際もクリヴォイ・ログ近郊の戦闘でのレーマーの大隊長としての指揮ぶりは評価を得て、その戦功により1943年11月2日付で全軍第325番目となる柏葉章を受章している。
1943年3月、ハラルド・クリーク陸軍少佐に後を任せ、ベルリンに戻り、ケルト・ゲールケ陸軍中佐から総統護衛大隊“Grosdeutschland”を引き継いだ。

レーマーが指揮していた総統警護大隊“Grosdeutschland”は、反ヒトラー・反ナチスの活動に加わっていた首都(ベルリン)防衛司令官パウル・フォン・ハーゼ陸軍中将の指揮下にあり、上官であるハーゼにより、官庁街の封鎖を命令され、その時点でのベルリンにいた内閣およびナチ党における最高位の幹部であったゲッベルスのいる国民啓蒙・宣伝省に踏み込み、その身柄を確保する手はずとなっていた。
その際に、レーマーの補佐官として、彼とともに宣伝省に踏み込んだハンス・ヴィルヘルム・ハーゲン陸軍中尉(当時)は、かつて宣伝省管轄の機関誌で編集長も勤めていた経緯もあり、ヒトラー死亡情報に関してゲッベルスに確認させるようにレーマーに提案している。
これによりゲッベルスは、総統大本営“ヴォルフスシャンツェ”との電話連絡を取り…その結果、ヒトラーの生存が明らかとなり、電話口で直接ヒトラーと話す機会を得たレーマーはクーデター鎮圧を直々に命じられ、事態は一気に急展開をする。
歴史にもしもはないが…この時に、宣伝省との関わりのあったハーゲンがレーマーに随行していなかったら、また事態は違った展開になっていたかもしれない。
鎮圧後、レーマーは二階級特進で陸軍大佐に昇進し、ハーゲンもこの功績により陸軍大尉に昇進をしている。

Karl Paul Immanuel von Hase
一方、ハーゼはクーデターが失敗に終わると、その日のうちに逮捕され、8月8日に人民法廷による裁判で死刑判決を受け、その日のうちにベルリン・プレッツェンゼー刑務所で絞首刑となっている。(享年59歳)


アナウンサー:総統閣下は、ベルリン警護隊の指揮官レーマー少佐の1944年7月20日におけるベルリンを救ったその優れた功績により大佐に昇進させました。

レーマー:我々は、今日、軍人としてここにいる。
政治的かつ当然の使命として...我々の生活圏を守り、祖国を防衛し、国家社会主義の理念を守ることは、我々の義務である。
そして、我々は最終的な勝利を手にするまでその義務を果たし続けようではないか。


アナウンサー:レーマー大佐は閲兵式において行進する彼の大隊に敬意を表しました。


因みに、この回は…
その“ヒトラー暗殺未遂事件”で命を落としたギュンター・コルテン空軍(航空兵)大将の葬儀の模様に始まり…
また、その際に負傷した者たちを犒うため、ヒトラー自らが病室に赴くシーン…
身の潔白を誇示するかのような諸高官たちのヒトラー詣でのシーン…
更に、オットー・カリウスやミハエル・ヴィットマンなども登場するシーン…
戦車フリークも楽しめるパンターやティーガーの映像なども見ることの出来る、なかなか見応えのある回となっている。


1944年9月1日付で総統警護大隊“Großdeutschland”の上部組織となる総統擲弾兵連隊(FGR:Führergrenadierregiment)に連隊長として転属することに内定していたレーマーだったが、ある意味、総統の肝煎で新たなポストを設けるべく…
9月初旬に、総統護衛連隊(FBR)に戦車連隊“Grosdeutschland”/第2大隊を加えての再編が行われ、11月に新編成された総統護衛旅団(FBB)の旅団長に任官することとなった。
第5装甲軍麾下の第XLVII装甲軍団に配属され、12月18日にはバストーニュにおいて米軍の第101空挺師団と対峙することとなる。
結果はあまり芳しいものとは言えなかったようで…
旅団の兵員における野戦訓練および実戦経験の不足もさることながら…
上級指揮官としてのレーマー自身の指揮能力・経験の不足も相まって、いたずらに損害ばかりが増加してしまったという見方もある。

FBBは、年が明けた1945年1月26日付で…実質的な戦力の増強はなく名目上の昇格をして総統護衛師団(FBD)となった。
そしてレーマーも、1月31日付でドイツ国防軍における最年少(32歳)での陸軍少将に昇進、同日付でFBDの師団長に任官している。

その後、オーデル川東岸~西岸における戦闘を経て、4月16日からのソ連軍最後の大攻勢の時点には第4戦車軍の予備部隊としてコトブスの南約20kmのシュプレンベルク東に布陣。
ラウバン奪還作戦に参加するも、4月19日にはエルベ川東方で包囲されることとなる。
FBDは、同時に包囲されていた第344歩兵師団の一部、第10SS装甲師団“Frundsberg”とともにエルヴィン・ヨラッセ陸軍中将を指揮官としたヨラッセ戦闘団を組織してゼンフテンベルク(ドレスデンの北西約50km)を目標に南西方向への脱出を決行するも、障害物のない開けた地形での無謀な脱出戦により、戦車、車輌などの重装備全てを失い、兵士のみならず一緒に疎開した一般市民が一方的にソ連軍の猛砲撃にさらされ多数が犠牲になった。
レーマーも僅かな部下たちとともに私服に着替え命からがら徒歩で脱出し、5月3日にようやくドレスデンまで辿り着き、その後アメリカ軍の捕虜となり終戦を向かえた。
戦後は、ホロコースト否認、西ドイツ社会におけるドイツ民族の尊厳再建活動に傾倒し、修正主義的文献の出版等により刑事訴追されている。
そのために、1994年2月にスペインに亡命し、1997年10月4日に地中海のコスタ・デル・ソルに面したスペインのマルベーリャで亡くなっている。(享年85歳)


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